連絡先が増えないスマホを眺める夜に思うこと

連絡先が増えないスマホを眺める夜に思うこと

連絡先が増えないスマホと静かな日常

ふとした夜、ソファに座ってスマホを手に取る。新しい通知も、未読のメッセージもなく、ただただ静かだ。連絡先の一覧を開いてみると、ここ数年ほとんど更新されていない。仕事関係の名前はいくつか増えたが、それも「一時的なやりとり」で終わることがほとんどだ。気がつけば、増えるのは迷惑電話くらいで、心を通わせる相手は一人もいない。スマホはどんどん新しくなるのに、連絡先の中身はずっと変わらない。それが、何とも言えず寂しい。

画面をスクロールしても誰もいない

連絡帳を指でスクロールしても、「あ、久しぶりに話したいな」と思える名前がない。いや、正確には「いたはずなのに、消えていった」が正しいのかもしれない。転職していった同期、結婚して連絡が途絶えた友人、うまくいかなかった恋愛。過去にはつながっていたのに、今では「誰?」と思ってしまうような名前ばかりが残っている。スクロールしている指が、何かを探しているけれど、その「何か」はもうどこにもないのかもしれない。

昔の同級生の名前を見つけてため息

そんな中、ふと目に入ったのは高校時代の同級生の名前。野球部で一緒に汗を流した仲間だ。最後に連絡を取ったのは、たぶん10年以上前。あの頃は「大人になってもずっとつながってるだろうな」と思っていた。でも現実は違った。仕事や家庭、住む場所、価値観。それぞれが別の道を歩み、いつの間にか何の接点もなくなってしまった。名前を見つけた瞬間に蘇るのは思い出ばかりで、今のその人がどんな生活をしているのかは、まったく知らない。

「あいつ、元気かな」と検索してみる夜

思わず名前で検索してみる。SNSにはそれらしき人物が出てくるが、確信は持てない。写真に映る笑顔や家族の姿を見て、「きっと幸せにやってるんだろうな」と思う反面、そこに自分の存在はないことに少しだけ胸がざわつく。別に戻りたいわけじゃない。ただ、自分だけが立ち止まってしまったような感覚になるのだ。検索履歴に残ったその名前が、妙に重たく感じる夜もある。

仕事の電話は鳴るけど私用は鳴らない

日中は事務所の電話が鳴りっぱなしだ。不動産業者、銀行、依頼者。業務に関する連絡が次々と舞い込む。もちろんありがたいことだし、それが仕事というものなのは理解している。でも、ふとスマホに目をやっても、プライベートの着信はまったくない。誰かに「ちょっと話そうか」と誘われることもなく、夕方になると静寂が訪れる。仕事が終われば、連絡も終わる。それが今の現実だ。

着信履歴に並ぶ「〇〇銀行」「〇〇法務局」

着信履歴を見ると、そこに並ぶのは「〇〇銀行」「〇〇法務局」「〇〇土地家屋調査士」。まるで公的機関名鑑だ。別に悪いことではないけれど、これだけで私の社会的な立ち位置が見えてくる。誰かの人生に関わる仕事をしているはずなのに、自分の人生には誰も関わってこない。そんな風に思ってしまう日があるのは、きっと私だけではないはずだ。

通知が仕事の話ばかりになると疲れる

スマホに届く通知は、ほとんどが「○○登記についての確認です」「○○書類が届きましたか?」というようなものばかり。LINEもSlackも、業務連絡の延長線。便利なはずのツールが、ただの「仕事の束」になっている気がする。通知が鳴るたびに緊張してしまい、心が休まらない。たまには「今夜どう?」「面白い動画見つけたよ」みたいな、くだらないやりとりが欲しくなる。

誰かと雑談したい、でも誰がいるのか

「今日は疲れたね」と誰かにこぼしたい。でも、連絡帳を見ても、その「誰か」がいない。家族でも恋人でも親友でもない、ちょうどいい距離感の人がいればいいのにと、何度も思う。結局、スマホを閉じて、独り言のように「あー疲れた」とつぶやくだけ。壁に向かって話す癖がついたのは、たぶんここ数年のことだ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓