気がつけば印紙ばかり見ていた
気づいたときには、誰かと過ごす未来より、どの案件にどの額面の収入印紙を貼るかの判断にばかり神経を使っていた。登記申請書に添付する印紙が、なぜこの金額なのかを語らせたら30分は話せる。一方で、マッチングアプリのプロフィール欄には何を書けばいいのか5分でも悩んでしまう。昔はもう少し「人生を誰かと歩む」みたいな夢もあった気がするのだが、今や夢を見る暇もない。日々の業務に追われる中で、気づかぬうちに「得意なもの」がだいぶ偏ってしまったようだ。
婚活の話を振られると胃が痛くなる
同年代の友人たちが集まると、話題に上るのは「子どもの習い事」や「奥さんとの小競り合い」。一人だけ既読スルーのような疎外感を味わいながら、「お前も婚活とかしないの?」という何気ない一言に胃がキュッと痛む。婚活に時間を割く余裕がない、というより、割こうと思えないのが本音だ。週末には必ず急ぎの登記が入り、予定は事務所での残務処理か、法務局の締切とのにらめっこ。そんな生活が長く続けば、誰かと出会う気持ちすら遠のいていく。
会話が登記と印紙のことばかり
以前、意を決してお見合いに行ったことがある。相手は公務員の女性。話題に困った僕は、つい「登録免許税と収入印紙の関係って…」と切り出してしまった。その瞬間、彼女の表情がふっと遠くを見たのを今でも覚えている。こちらにとっては日常であり、正義感に近い使命のような話も、他人からすれば退屈以外の何物でもない。話が盛り上がるわけもなく、その後の連絡はなかった。自分がいかに”登記界の住人”になっていたのか、あの沈黙で思い知らされた。
デートより法務局の受付時間に詳しくなるという現実
土曜日のデートの約束をすっぽかしたことがある。いや、正確には「午前中だけ法務局寄ってくる」と言って、結局午後まで戻れなかったのだ。15時を回った頃にやっと携帯を見ると、未読のLINEが6件。そこには「やっぱり仕事が一番なんだね」の言葉があった。本当にその通りだった。人より法務局の受付時間の方が頭に入っている人生。それが現実だ。誰かと過ごす時間より、登記の締切の方が優先される日々を、僕はもう当たり前のように受け入れていた。
そもそも婚活に向いていない気がしている
婚活を「頑張ってみたら?」と勧められることがあるが、正直その気力が湧かない。自己紹介からして難しい。司法書士としての実績は話せるが、趣味は?特技は?と聞かれると、口をつぐんでしまう。野球部だったのは遠い昔。今はバッティングセンターにも行かず、休日はほぼ仕事。モテないことも承知しているし、それを変えようという気持ちすら、忙しさにかき消されていった。
元野球部の根性もここでは無意味だった
若い頃、僕は野球に全てを捧げていた。努力は報われる、練習は裏切らない、そんな精神論が染みついていた。けれど、婚活は違った。どれだけプロフィールを工夫しても、連絡は来ない。会話を頑張っても、心の距離は埋まらない。グラウンドでは汗と声で繋がれた仲間も、婚活の場ではただの独身中年男だ。元野球部の根性は、どうやら恋愛には通用しなかったようだ。
マッチングアプリのプロフィールが書けない
実は一度、マッチングアプリに登録したことがある。「まじめに出会いたい方」と書かれた欄に、「司法書士をしています」とだけ入力して提出ボタンを押した。でも、次の「趣味」や「週末の過ごし方」が全く埋められなかった。だって、週末は謄本の確認か、法務局の準備で終わるんだから。趣味に「印紙の整理」と書いたら引かれるだろうし、事実を書けば誰も反応しない。気づけば、そっとアプリをアンインストールしていた。
趣味に印紙収集とは書けない
正直、印紙を見るのは嫌いじゃない。古い書式に貼られた変色した印紙、珍しい額面のものを見ると心が踊る。でもそれを「趣味」とは言えない。言ったら終わりだと思っている。そんな”好き”を誰かに言えないことが、妙に切なかった。それでも、印紙台帳を見ながら「このパターンなら200円だな」とつぶやく自分は、少しだけ誇らしくもあった。恋愛より得意なことがある人生、それは悪いことなのだろうか。
それでもまあ こういう人生もある
誰かと過ごす楽しさも、家庭を持つ喜びも知らないまま、僕は今日もまた登記の準備をしている。でも、これはこれで悪くない。誰かを守るような仕事をしている実感はあるし、お客さんからの「ありがとう」だけで少しだけ報われる。結婚していなくても、日々の中に小さな意味は見つかるものだ。印紙とともに歩んだ人生も、振り返ればそんなに悪くはないのかもしれない。
モテない人生でも信頼は得られるかもしれない
恋愛経験は少ない。でも、仕事上の信頼関係は築いてこられた。依頼者からの「この人なら大丈夫」という目線は、どこか救いになる。印紙の金額一つで不安そうな顔をしていたお客さんが、説明を終えた後に「安心しました」と笑ってくれるとき、この仕事の意味を感じる。恋愛と信頼は違う。でも信頼も、確かに誰かとの関係の中にある。そう思えば、少し気持ちが救われる。
印紙選びは慎重でも 人付き合いは雑だったかも
印紙の金額には神経をとがらせても、人との関係にはどこか無頓着だったかもしれない。メールの返信が遅れがちになったり、何気ないLINEに既読をつけないままだったり。気づけば、少しずつ人が離れていた。仕事にのめり込むことで、誰かとのつながりを犠牲にしていた部分があったのかもしれない。自分が選んだ道とはいえ、ちょっとだけ寂しさが残る。
どこかで誰かが笑ってくれたら救われる
この文章を読んで、「俺もだよ」と笑ってくれる人がいれば、それだけで書いた意味がある。婚活はうまくいかなくても、印紙の話なら誰よりもできる。そんな人生でも、誰かの共感を得られるなら、それはそれで悪くない。仕事に生きて、恋には不器用。それでも、こうして日々を積み重ねていけるのなら、この人生もそう捨てたもんじゃない。