疲れてるのに気づかれないほうが楽って思ってしまう日

疲れてるのに気づかれないほうが楽って思ってしまう日

疲れてるって言えない性格がしんどい

「疲れた」と言えばいいだけなのに、それができない自分がいます。司法書士という仕事柄、落ち着いていて冷静な対応を求められるのはわかっています。でも、いつの間にかそれが「疲れを見せてはいけない」という思い込みに変わってしまいました。誰にも迷惑かけたくない、弱く見られたくない。でも正直、心も体も限界の日もあります。それでも笑顔で「大丈夫です」と言い続ける。そんな日々に、自分で自分を追い込んでいることに気づくのです。

誰かに甘えることが苦手になったのはいつからだろう

昔から「自分のことは自分で何とかしろ」と言われて育ちました。特に高校時代の野球部では、疲れていても声を出し、痛くても走るのが当たり前。それが根性だと信じていたし、むしろ誇りでした。けれど社会に出てから、その根性論は誰かに頼ることの下手さになってしまった。今さら「しんどいです」と言えるようなキャラでもない。気づけば、疲れたときほど黙って一人で耐えるクセが染みついてしまったようです。

元野球部の「根性文化」の副作用

野球部時代、「水飲むな」と言われたあの夏の練習は今でも思い出します。先輩に気づかれないように、トイレで水をすする。そんな我慢の美学が、いつのまにか社会に持ち込まれてしまいました。司法書士としても、我慢は美徳だと思っていたけれど、今ではその反動で、誰かに相談することすら怖く感じるのです。弱音を吐くこと=怠け、と刷り込まれていた自分に、今でも時々腹が立ちます。

頼れないのではなく、頼り方がわからない

たとえば事務所の事務員さんが「今日は調子悪そうですね」と声をかけてくれても、反射的に「いや、大丈夫」と返してしまう。頼りたいのに、頼られ慣れてなさすぎて、どうしていいかわからない。しかも、仕事の流れや案件のことを一から説明するのも面倒だし、どうせ自分でやった方が早い。そうやってどんどん抱え込んで、ますます孤立していく自分がいます。

「忙しいですか?」と聞かれた時の正解がわからない

たまに同業者やお客さんに「最近どうですか?忙しいですか?」と聞かれることがあります。本当は「しんどいです。疲れてます」と言いたいのに、「まあまあですね」とか「そこそこやってます」と当たり障りなく返す自分がいます。正直、どう答えればいいのかわからないのです。弱音を吐くのも違う、かといって元気ぶるのもしんどい。そもそもそんな質問自体が苦手で、どうにも正直になれません。

「まあまあですね」と答える自動スイッチ

気づけば「まあまあですね」が口癖のようになっています。誰に言われたわけでもなく、反射的に出るその言葉。でも実際は、その“まあまあ”の裏でかなり無理をしていることが多い。数字の締切、登記のミス、顧客からのクレーム、すべてが頭にのしかかっているのに、なぜか「まあまあ」とまとめてしまう自分。もはや自分でもその意味がわからなくなることすらあります。

本音を言ったら空気が重くなる気がして

「しんどいです」と言った瞬間、その場の空気が重くなるような気がして言えません。司法書士という職業柄、専門職として「しっかりしてる」と思われている分、その期待に応えようとするクセが染みついてしまったのかもしれません。事務所でも、家庭でも、誰かに迷惑をかけたくないという気持ちが先に出てしまう。だからこそ、どんどん自分を隠してしまうのです。

事務所のドアを開ける瞬間が一番しんどい

朝、事務所のドアを開けるとき、時々「今日は入らずにどこか行ってしまいたいな」と思うことがあります。疲れが溜まっているときは特にそう。けれど、そんなわけにはいかない。自分が動かないと何も進まないのが個人事務所の現実です。一人雇っている事務員さんの顔を思い浮かべて、重い体を無理やり押してドアを開ける。それがルーティンになってしまっているのがまた、悲しい現実です。

出迎えてくれる事務員さんの声が時に刺さる

「おはようございます、今日も元気そうですね」と声をかけてくれる事務員さん。その明るい声が、ありがたくもあり、時に胸に刺さります。こちらは睡眠時間もろくに取れず、疲れきっているのに、元気そうに見えてしまうのかと。自分の“平気なふり”が上手くなりすぎて、逆に孤独を深めてしまっていることに気づいて、朝からちょっと落ち込んでしまうのです。

元気そうですね、の一言が一番つらい日もある

とくにしんどい日ほど、「元気そうですね」の一言がつらい。その言葉に「あなたは大丈夫そう」と線引きされた気がして、相談しづらくなるのです。本当は、今にも倒れそうなくらい疲れているのに。それでも「そうですか?」と笑って返す。この繰り返しが、しんどさをさらに深めているのかもしれません。

相手に気を遣わせたくない気持ちと本音の板挟み

「しんどいです」と言えば、きっと気を遣わせてしまう。それが怖くて言えない。でも、本当は誰かに聞いてほしい気持ちもある。その矛盾の中で、毎日バランスをとって生きているような感覚です。優しさと我慢の境目が曖昧になって、自分を守ってるのか苦しめてるのか、わからなくなる日もあります。

たった一人で背負っているものの重み

経営も実務もすべて自分で背負っている司法書士事務所という環境は、やりがいがある反面、とてつもなく重たいものです。相談も決定も実行も、すべて自分。誰にも相談できないからこそ、夜になるとどっと疲れが出てくる。休日も仕事のことが頭を離れず、休んでいても心が落ち着かない。そんな毎日に慣れすぎてしまった自分が、少し怖くもあります。

責任 請求 登記期限 全部が自分の肩にかかっている

たとえば月末。登記期限に追われ、顧客の請求書の処理も重なり、ふと時計を見ると23時。そんな日が珍しくありません。スタッフに頼むわけにもいかず、結局すべてを抱え込んでしまう。自分の判断ミスが直接損害になる世界だからこそ、手は抜けない。そうして気づかないうちに、心が摩耗していくのです。

たまには「お疲れさま」と言われたいだけなのに

ただ一言、「お疲れさま」って誰かに言ってもらえたら、それだけで救われる気がします。でもそれを口に出すのは、なんだか自分で自分を情けなく思ってしまって、できない。でも実際は、たったその一言で立ち直れたりもする。だから本当は誰かに言ってほしいんです。でも気づかれたくない…その矛盾を抱えながら、今日もまた「平気な顔」で机に向かっています。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓