朝のルーティンと異常な依頼メール
午前8時30分、いつものように湯気の立つインスタント味噌汁をすする。寒い朝、年季の入った電気ポットが唯一の友達のように思えてくる。パソコンを立ち上げると、一通のメールが目に飛び込んできた。差出人は聞き覚えのない不動産業者で、登記申請の依頼と共に複数のファイルが添付されていた。
「初回からファイルが多すぎるな」と独り言を呟いた矢先、後ろからサトウさんの冷たい視線を感じた。きっとまた、うっかり何か見落とすと思われているのだろう。
申請前に届いた不自然な添付ファイル
「このPDF、本文と中身のファイル名が違いますね」 サトウさんが指差したのは『登記申請書_最終.pdf』という名前のファイル。だが開いてみると、中身は『定款の変更について』という別件の資料だった。 「差し替えミスでしょうかね」と言った瞬間、彼女の眉がぴくりと動いた。小さな違和感は、嵐の前触れだったのかもしれない。
サトウさんの冷静な違和感
「依頼人の名前が書かれていないですよ。署名欄が白紙です」 そう言われて、私は初めて気づいた。申請人欄が空白で、住所もざっくりとしか書かれていない。 「あー、これは……たぶんあとで補足しますってことなんじゃ……」と自分でも苦しい言い訳をしながら、画面を閉じた。
表記揺れと不一致のファイル名
さらに、同じフォルダ内のファイル名が微妙に異なっていることに彼女は気づく。「登記申請書」「登記しんせいしょ」「登記申請書(最終)」と微妙な違い。ファイル名だけでなく、フォントや余白、記載の順序にも統一感がない。 「これ、複数の人間が別々に作って、それをつなぎ合わせた感じですね」サトウさんの推理は冴えていた。
依頼人はどこへ消えたのか
さすがに不安になって、依頼人に電話をかけてみる。…が、通じない。何度かけても留守番電話で、「ご用件を…」の無機質な声が虚しく響くだけだった。 翌日も同じ状況が続き、私は登記所へ直接出向くことを決めた。何かがおかしい。これは、ただの手違いではない。
連絡が取れないという不吉な静寂
その晩、事務所に戻ってからサトウさんが一言。「その不動産、取引記録がネットに出てこないんです」 それはつまり、存在しない会社、あるいは架空の物件という可能性を意味していた。調べれば調べるほど、不気味な静寂が広がっていく。
登記情報と現地調査の矛盾
現地を訪れてみると、そこには古びた一軒家が建っていた。誰かが住んでいる形跡はなく、ポストには大量のチラシが詰まっていた。 「昔は人がいたんでしょうけどね……」隣人らしき老婦人の証言によると、5年前から誰も住んでいないとのことだった。
現場の土地にいた意外な人物
しかしその帰り道、私は見覚えのある顔とすれ違った。登記申請書の末尾に記された“提出代理人”と同じ名前の人物だった。彼は私と目が合うや否や、小走りで逃げていった。 やれやれ、、、まるでルパン三世の銭形警部にでもなった気分だ。
オンライン申請直前の「不一致」
戻って再度ファイルを精査すると、電子証明書の発行者と書類に記された申請者の氏名が一致していないことに気づいた。つまり、このままボタンを押してしまえば、不正申請に加担することになる。 指がクリックの上で止まる。「押すな、押すなよ」と心の中のカツオがささやく。
ログイン履歴の影に潜む操作
更に調べると、私の電子証明書の利用履歴に、見覚えのないアクセスが数回。深夜2時、事務所は無人のはずだ。 「誰かがこのパソコンを使ってる?」思わず背筋が凍る。ログイン元IPをたどると、近隣のコワーキングスペースからだった。
登記原因証明情報のすり替え
一見それらしく見せかけたデータも、サトウさんの目には通用しなかった。あるはずの捺印が写真で無理やり合成されていると見抜いたのだ。 元画像を比べると、同じ印影が使い回されていた。まるでコナンの犯人が偽の証拠写真をでっち上げたようだ。
スキャン画像の細工に潜む嘘
「これ、スキャン画像の下に、さらに元データの透けが見える」サトウさんは画面をズームして見せた。 よく見ると、住所欄が上書きされていた痕跡がある。しかも、ペイントで消した形跡がそのまま残っていた。 「雑ですね」彼女の一言が決定打だった。
サトウさんの推理が切り開く真相
彼女は関連ファイルのタイムスタンプや送信元IPを徹底的に調べ上げた。 「依頼人本人じゃない。これ、元従業員が勝手にやってます」 かつて事務所に在籍していた補助者が、旧データを使って勝手に申請を試みていたのだ。私の名前で。
申請人の代理権をめぐる罠
しかも、その補助者はすでに司法書士登録を抹消しており、代理権を持たない人物だった。 これは明確な不正であり、意図的な登記詐欺未遂だった。 「ボタンひとつで、人生が終わるところでしたよ」 サトウさんはため息交じりに言った。
真犯人は司法書士を信じすぎた人物
犯人は、私の古い知人だった。不動産投資に失敗し、どうしても名義変更が必要だったという。 「お前なら、気づかずにやってくれると思った」その言葉は、信用ではなく、甘えだった。
「正しいこと」を利用した動機
彼は私の“真面目さ”を逆手に取ったのだ。申請ボタンを押すまでの迷いを読んで、きっと処理するだろうと踏んだ。 だがその判断は、サトウさんという最強の助っ人を見落としていた。 「人を見る目は、なかったようですね」と彼女は冷たく言った。
最後のクリックが語った結末
私は申請を取りやめ、全資料を警察に提出した。 登記の世界において、クリックひとつが善と悪を分けることもある。 その重みを、これほどまでに感じたのは初めてだった。
誰がどの端末で押したのか
操作ログと防犯カメラの記録により、すべてが明らかになった。ボタンを押す指が誰のものだったのか。 私は最後にひとつだけ、その補助者に問うた。 「俺の名前で登記したかったのか、それとも俺の責任にしたかったのか?」 彼は答えなかった。