涙で滲んだ署名の謎

涙で滲んだ署名の謎

朝の事務所に届いた一通の封筒

サトウさんが机にぽんと置いた封筒は、少しだけ湿っていた。夏の湿気のせいかと思ったが、よく見ると紙の端がほんのり波打っていた。封は開かれておらず、依頼人の名前だけが滲んだインクで書かれている。

「ちょっと変じゃないですか?」とサトウさん。ぼくはまだコーヒーも飲んでいないというのに、謎が勝手にやって来るらしい。やれやれ、、、今日は静かに書類整理したかったんだが。

委任状に記された異変

封筒の中には遺言に関する委任状が一枚入っていた。筆跡は乱れていない。ただ、署名の下にぽつりとシミがある。それは明らかに涙の跡のようだった。司法書士として多くの書面を見てきたが、感情がにじむ一枚は珍しい。

しかも、その委任者――立花という老婦人――は、ちょうどその前日に孤独死したと新聞記事にあった。

依頼人の死と不審なタイミング

死後に届いた委任状。偶然にしては出来すぎている。しかも彼女には相続人がいないとされていたが、書面には「すべてを孫のユウタに譲る」とある。だが戸籍を辿ってもユウタという名前は一切出てこない。

「幽霊の孫ですか?」とサトウさんが冷たく言った。いや、きっとこの署名の涙がヒントになる。心を込めて書かれた書類には、何かが宿っている。

町の福祉課で見つけた手がかり

立花の生活支援に関わっていた福祉課の職員から、こんな話を聞いた。「あの人、よく施設の少年に文通してたよ。実の孫じゃないけど、ずっとかわいがってた」

どうやらユウタはその少年らしい。彼女は戸籍に載らない“心の孫”に遺したかったのだ。だがそれでは法的効力は弱い。だからこそ委任状を通じて、ぼくのような司法書士に頼んだのかもしれない。

突如現れた別の相続主張者

そんな矢先、兄と名乗る中年男性が現れた。相続人不存在のはずが、戸籍上は存在していた。だが彼の態度は金目当て丸出しで、どうにも不自然だった。

「お前、ユウタのこと知らないよな?」と聞くと、男は顔をしかめた。ああ、やっぱりな。真実を知られたくないのか、それとも、、、。

滲んだ署名に込められた真意

委任状の下書きの裏面に、走り書きが残っていた。「本当の家族は血じゃない、心なんだよ」その文字にも涙の跡がにじんでいた。これは、法的にではなく人としての最後の意思表示だ。

「どうします?」とサトウさん。ぼくはしばらく黙ったあと、小さくため息をついた。「やるしかないな。遺志を生かすのが俺の仕事だ」

形式を超えるための戦い

家庭裁判所に意見書を添えて、特別縁故者としての申立てをする。法律の隙間を縫うような作業だ。だが、できる。いや、やるしかない。

少年ユウタの笑顔が、ぼくの背中を押す気がした。

思わぬ場所にいたユウタ

ユウタは施設を出た後、アルバイトをしながら通信制の大学に通っていた。「立花さんには感謝しかないです」と彼は涙ながらに言った。ぼくは思った。血がつながってなくても、家族は作れるのだと。

サザエさんの茶の間とは違う現実

サザエさんの世界では、家族はいつも仲良く揃っている。でも現実はそうじゃない。だからこそ、たった一通の委任状が誰かの人生を変えることもある。

「やれやれ、、、今度はドラマじゃなくて、ちゃんとラブレターでも来てほしいもんだな」そう言うと、サトウさんが冷たく言った。「その前に仕事を終わらせてください」

そして今日もまた封筒が届く

コーヒーが冷める頃、新たな封筒が届いた。中身は、、、まだ見ていない。だが、また誰かの物語が始まろうとしている気がする。

司法書士というのは、書類に宿った心を読み解く探偵なのかもしれない。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓