登記室の鍵は誰が持つ

登記室の鍵は誰が持つ

午前八時の静寂

法務局の建物は、夏の朝の湿気に包まれながらも、いつも通りの静けさを保っていた。誰もがまだ目をこすりながら机に向かっている時間、唯一音を立てていたのは、回転扉を抜けて入ってきた登記官の革靴だった。

だが、その朝は違った。シンドウが持参した登記書類を提出しようとすると、受付の職員が困った顔をしていた。「すみません、登記室が開かないんです」と。

鍵が見つからない。理由も、説明もなく、ただ一枚の扉が開かない。そんなことが、あるのか。

鍵のない法務局

「念のため、昨日の夕方には閉めたはずなんです」と若手職員が言う。だが、開けるべき今朝、鍵がない。登記室に入れなければ、全ての処理が止まる。

シンドウは腕時計を見た。すでに次の依頼先に向かう時間が迫っている。だが気になって仕方がない。鍵の所在、それだけの問題ではなさそうだった。

いつものように「この件は後日に」と済ませることもできたが、なぜか今回は違った。胸の奥に、かすかな違和感が引っかかっていた。

サトウさんの冷たい視線

隣で控えていたサトウさんが、小さな声で「どうせまた誰かが鍵を失くしただけでしょう」と呟いた。まるで無関心だが、それは仮の姿。シンドウは知っている。彼女の目が鋭く光った時、何かが動き始める。

「それにしても、このままじゃ何もできませんね」と言いながら、スマホでなにやら調べ始めるサトウさん。その姿勢に、シンドウはそっと期待を寄せる。

鍵の謎は、きっとその冷たい頭脳で解き明かされるはずだ。

消えた登記簿

午前中の騒動が収まらないうちに、もう一つの異変が発覚した。「登記簿の一冊が見当たらないんです」と、別の職員が青ざめた顔で駆け込んできた。

まるで誰かが、開かない部屋と連動して消えたような錯覚を与える。記録簿がなくなれば、補正も何もできない。重要な書類だった。

そしてそれは、数日前にシンドウが扱った依頼に関するものだった。

嘱託登記の依頼人

その依頼人は、どこか浮世離れした雰囲気の男だった。「旧家の倉を壊して、土地の境界を整理したい」と話していたが、その口調に妙な含みがあった。

提出された書類は一見問題なかったが、いま思えばあまりにも整いすぎていた。几帳面というより、不自然な整然さ。それが、登記簿ごと消えた今となっては、さらに怪しく思える。

「あの依頼人、やっぱり何か隠してましたよね」とサトウさんが言った。

封印された記録室

登記室は相変わらず開かないままだった。鍵のスペアすら行方不明。局内の誰も、鍵の保管状況を正確に説明できない。

「まるで意図的に封印されたようですね」とサトウさんがぽつりと言った。シンドウはその言葉にゾクリとした。まさか、本当に誰かが……。

やれやれ、、、これは想像以上に面倒な案件かもしれない。

うっかりと直感のはざまで

シンドウは鞄の中をまさぐった。何か手がかりはないか。封筒、朱肉、メモ帳。そして、なぜかあるはずのないものがあった。登記室の鍵——。

「えっ……?」思わず口に出す。どうやら、前回の提出時に職員から手渡され、そのままうっかり持ち帰ってしまったらしい。

「これ……俺が持ってた?」サトウさんがこちらを見る。「まさかと思ったけど、やっぱり」冷たく、でも少し笑っていた。

シンドウの勘違い

その瞬間、彼は全てを理解した。鍵を失くしたのではない。回収されるべき鍵を、彼が勝手に持ち帰っていたのだった。

「うわぁ、これは……一番やっちゃいけないやつだ」冷や汗が背中を流れる。だがサトウさんは言った。「でも鍵だけじゃ、まだ解決じゃないですよ」

「え、なにが?」

閉ざされた部屋の正体

鍵で扉を開けると、中はきちんと整頓されていた。だが、あるはずの登記簿だけが、ぽっかりと消えている。

サトウさんは部屋を見回し、小さな監視カメラの存在に気づいた。「このアングル、少しおかしいですね。死角、あります」

「つまり……誰かが入ったってこと?」サトウさんはうなずいた。「鍵がなかったのに、です」

三日前の登記官の動き

その登記官は今日、なぜか休んでいた。無断欠勤。電話も繋がらない。職員たちはざわつく。

「彼、こないだこの部屋で長いこと残業してましたよ」そんな声が上がる。何かを隠すための残業?それとも、偽装の準備?

シンドウの頭の中に、怪盗キッドのように跡形もなく姿を消す手口が浮かんでいた。

台帳に残された謎の筆跡

一冊だけ戻っていた古い台帳に、明らかに異なる筆跡があった。「これ、旧字体だ……」

その字体は、依頼人が提出した書類の署名と酷似していた。つまり、外部の者が内部の台帳に書き込んだ可能性がある。

そんなこと、許されるはずがない。でも、何のために?

元野球部の推理力

「あ、分かったかもしれない!」シンドウは叫んだ。「登記簿が消えたんじゃなくて、別の書類がすり替えられてたんだ」

「えっ?」

「三日前のあの依頼、たぶん、偽造だよ。本物の地目変更申請はすでに別の名前で完了してた。書き換えの痕跡が……」

登記官の失踪

数日後、登記官は荷物を持って海外に逃亡しようとしたところで逮捕された。すべての証拠が揃い、事実が露呈する。

書類の差し替え、登記の偽装、そして依頼人との共謀。完璧なようでどこか甘い犯罪計画だった。

「やっぱり、最後に勝つのはうっかり司法書士ですよね」とサトウさんは皮肉っぽく笑った。

事件の決着と夕暮れの風

夕暮れ、事務所に戻ったシンドウは、冷たい麦茶を一口飲んでから、深いため息をついた。「やれやれ、、、本当に疲れたよ」

サトウさんは特に感想も言わず、PCに向かってカタカタと入力を続けていた。

それが、日常。今日も事件は片付き、明日もまた、誰かの登記が待っている。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓