委任状に潜む嘘と恋

委任状に潜む嘘と恋

委任状が運んできた依頼人

その朝、事務所のドアが少し勢いよく開いた。振り返ると、長い髪を束ねた若い女性が立っていた。スーツ姿でキリッとしているが、どこか焦りを隠せない目つきだった。

「この委任状、急ぎでお願いできますか?」と差し出された書類は、表面上は何の変哲もない不動産登記のものだった。ただ、彼女の手がわずかに震えているのが気になった。

差し出された書類には、確かにすべての項目が記入されていた。だが、司法書士としての勘が、小さな違和感を告げていた。

妙に焦った様子の若い女性

「すみません、今日中にどうしても処理していただきたくて」と彼女は重ねて言った。大事な事情があるのだろうと推察できたが、それにしても急ぎすぎだ。

「どなたの依頼で?」と聞くと、少し間があって「婚約者です」と答えた。その語尾には迷いがにじんでいた。妙だな、と思いながらも、書類を受け取った。

どこかの探偵漫画のように、依頼人が隠し事をしているのは間違いないと直感した。この手の直感が当たるのは、経験上あまり嬉しくない場面が多いのだが。

うっかり者の司法書士シンドウ

正直に言うと、午前中はずっと別件でバタバタしていた。彼女の委任状は受け取ったが、すぐには中身を精査できなかった。どうにか昼食の時間に目を通すことにした。

「やれやれ、、、朝飯も食わずに何してんだか」と呟きながら、ようやく書類に集中し始めた。そして、最初の一読で、ある違和感が浮かび上がった。

それは、「住所の記載」だった。委任者と受任者の住所が、番地は同じなのに部屋番号が異なっている。妙に細かすぎるのだ。

見落としたはずの一点

一瞬の見落とし、だがその一点が全体を覆す鍵になった。「同じマンションに住んでる婚約者?偶然にしては出来すぎだろ」と呟くと、机の隅でサトウさんが眉をしかめた。

「それ、明らかに変ですよ。普通、婚約者と別々の部屋で同時に登記なんてしませんよ」と言い放った彼女の視線は冷たい。まるでサザエさんの波平に説教するカツオのようだ。

「うっ、、、言われてみれば、そうだな」頭をかくしかない。だが、ここで終わる話ではない気がしてきた。もしかすると、この依頼は恋愛どころか事件かもしれない。

恋と偽装と司法手続き

改めて、委任状と同封された関係書類をチェックする。そこには婚約の事実を証明する誓約書が含まれていた。が、驚くべきことに署名が微妙に違う。

名前の漢字は正しい。だが、筆跡がわずかに異なっているのだ。これが本当に同一人物の署名なのかと疑いたくなる。

「もしかして、誰かの名前を勝手に使ってる?」そう思ったとたん、背中に冷たい汗が流れた。恋を装った何か別の目的があるのかもしれない。

委任状に記された二つの住所

システムで検索をかけると、同じ建物に別の名義で登記されている部屋が複数あることがわかった。そして、委任状に記された二つの住所の両方とも、過去に所有権の移転が急に行われている。

「これは、、、単なる恋愛や婚約を超えてるな」不意に口をついた言葉が、事態の深刻さを物語っていた。

どうやら、偽装婚約により不動産を移転しようとしていた線が濃厚だ。だが、まだ決定的な証拠が足りない。

不自然な恋人関係の証明

決め手となったのは、二人のLINEの画面コピーだった。提出された「交際の証拠」には、お決まりのハートマーク付きのやり取りがあったが、送信時間がすべて深夜2時以降に集中していた。

「バイトの子が片手間に作った証拠って感じですね」とサトウさんは冷たく言い放つ。まるで探偵アニメのヒロインのような精密さだ。

そこまで言われては、私も本気を出すしかない。偽装の確証を掴み、警察と連携する方向で準備を進める。

契約書にある不一致な署名

最終的に、同じ筆跡を比較するため過去の登記資料と照合をかけた。すると、明らかに別人の署名が使われていたことが判明した。これで偽造は確実だ。

「本件、偽装婚約による不動産取得の疑いあり。警察にも協力を仰ぎます」と私は報告書に記し、静かに椅子にもたれかかった。

サトウさんは「ようやく気づきましたか」とでも言いたげに、冷たいコーヒーを置いてくれた。やれやれ、、、相変わらず俺はドジを踏む役だ。

ついに動き出したサトウさん

翌日、警察との連携で依頼人とその「婚約者」は事情聴取を受けることとなった。恋愛感情を利用して不動産を奪う手口は近年増えており、今回もその一環だった。

「登記のことは司法書士を通せば何とかなる」と思っていたのかもしれないが、そこにいるのは、うっかり者だけど根は誠実な司法書士と、鋭すぎる事務員だったのだ。

サトウさんは「また変な依頼人来ますよ」と言ったが、ほんの少しだけ口元が緩んでいたように見えた。きっと、気のせいだ。

登記簿の変遷から導かれる真実

事件の発端はたった一通の委任状だった。だが、そこから登記簿の変遷を追い、筆跡や記録を突き合わせることで全貌が明らかになった。

司法書士の仕事とは、ただハンコを押すだけじゃない。時に、真実を見抜く冷静さと、恋すら利用する悪意に立ち向かう覚悟が必要だ。

「今日は焼肉でも食って帰りますか?」と誘ってみたが、サトウさんは無言でパソコンを閉じた。ああ、やれやれ、、、。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓