唐揚げ弁当と午後の違和感
暑さが残る秋口の午後二時。事務所の窓を少し開けていたら、どこからか甘辛い匂いが流れてきた。唐揚げ弁当の香りだ。昼食を終えたばかりのはずなのに、空腹中枢が刺激された。
その時、俺の机の上に置かれた白い包みに目がいった。午前中の依頼人、年配の女性が置いていったものだ。「手土産です」と言っていたが、やけに重かった。
依頼人が置いていった白い包み
包みを開けると、やはり弁当だった。手作りらしく、丁寧に詰められた唐揚げと卵焼き、彩り豊かな漬物。そして白米の上には赤い梅干しがひとつ、まるで何かを見下ろしているようだった。
しかし、どうにも違和感が拭えない。箸が添えられていないのだ。さらに、弁当の蓋の内側に小さな紙片が貼り付けてあった。「12時までに食べてください」と、達筆な文字で書かれている。
冷めたご飯と熱を帯びた声
「食べないんですか?」と、無表情でサトウさんが声をかけてきた。いつもの塩対応だが、なんとなく声に刺がある。
「…いや、なんか変なんだよね」と言って、俺はもう一度弁当を見つめた。冷めてはいるが、明らかに今日のものではなさそうだ。温度以上に、時間が合っていない気がした。
相談内容よりも気になる香り
本来、弁当の差し入れよりも重要なのは、依頼人の相談内容だった。亡くなった夫の名義で残された不動産をどう処理すべきかという話。だが、弁当の香りと違和感のほうが、俺の神経を引っ張った。
「その人、午前中に一言も食べ物の話をしませんでした」とサトウさん。彼女の言葉に、俺はハッとした。そういえば、手土産とだけ言っていた。なぜ、それが弁当だとわかったのだろう。
唐揚げに隠された小さな証拠
何気なく箸で唐揚げを持ち上げてみると、油の染み方が不自然だった。上部は乾いているのに、底の唐揚げはまだしっとりしている。これ、昨日の弁当じゃないか?
さらに卵焼きの端に、緑色の小さな繊維が付着していた。細い。まるで芝生のような。俺はすぐにその意味に気づく。老人ホームの庭だ。依頼人の夫が亡くなったのも、そこでの出来事だった。
漬物が語る不在の時間
漬物の一部が乾燥して白くなっている。これは冷蔵庫に一晩以上入れられていた証拠だ。しかも、梅干しは端に寄っていた。普通なら真ん中に置くはずだ。
つまりこれは、誰かが急いで詰め直した弁当ということになる。目的は、なにかを伝えるために。もしくは、なにかを隠すために。
やれやれ、、、本当に勘弁してほしい
「またですか。ご飯にまで事件がくるんですね」とサトウさんがため息をついた。俺は手にした唐揚げを元に戻して言った。
「やれやれ、、、本当に勘弁してほしい。なんで俺の昼飯タイムは毎回ミステリーなんだよ」どこかでサザエさんがタラちゃんのセリフを噛んだような、軽やかな悲劇性があった。
一見平凡な昼下がりの崩壊
この事務所では、静かな午後なんてものは幻想なのかもしれない。電話は鳴らず、依頼人もいない。それでも、弁当一つでこれだけの物語が始まってしまう。
「これ、警察に渡しますか?」とサトウさん。俺はうなずいた。「毒物の可能性がある。もしくは遺言的なメッセージだ」
サトウさんの一言が導いた突破口
「この唐揚げ、昨日のじゃないですよね」とサトウさんが言ったとき、俺の脳内でピースがはまった。依頼人の夫は前日、自室で突然倒れていた。まだ事件性はないとされていたが、急性中毒の疑いもあった。
つまりこの弁当は、夫が最後に食べた物と同じ構成だった可能性がある。それをわざと再現し、司法書士である俺に託した。証拠能力は微妙だが、状況証拠にはなる。
冷凍食品の時刻表
サトウさんがスマホで調べた情報によると、この唐揚げは特定の冷凍食品会社のもので、昨夜22時以降に入荷したものではありえないという。つまり、昨日の夜に作られた弁当である可能性が消えた。
「じゃあ、この弁当を作ったのは今朝ってことですか?」俺の言葉に、サトウさんはうなずいた。「つまり、事件の再現ではなく、隠蔽ですね。犯人は、毒の存在を知っていて、それを除いた状態で再現した」
司法書士の裏ノートと真犯人の名前
俺の手元には、依頼人の提出した遺産分割協議書の写しがあった。そこには妙な訂正印が押されていた。依頼人の娘が押したものだったが、それが午前中に差し替えられた可能性が浮上した。
つまり、今日来た「母」は、実は娘だったのだ。顔が似ているとはいえ、年齢の違いをメイクでごまかした。目的は、遺産の全取り。
封じ込められた兄妹の確執
弟と折半するはずだった相続を、毒を使って阻止し、偽装した母親として弁当を置いた。手土産に見せかけた証拠隠滅。そして、唐揚げ弁当はその演出だった。
「やはり、証拠は胃袋より弁当箱ですね」とサトウさん。シニカルだが的を射ている。
弁当が語った真実
何も語らないはずの昼飯が、これほどまでの情報を持っているとは。たしかに口をきいたわけではないが、唐揚げも梅干しも、語っていたのだ。そこに嘘があると。
本当に冷めていたのは、弁当ではなく、親族の愛情だったのかもしれない。
なぜ唐揚げだけが手つかずだったのか
犯人が食べなかったのではない。毒入りの唐揚げを除いたあと、それを再現しようとしたが、どうしても同じ位置に詰められなかった。違和感。それが事件の始まりだった。
誰もが口にしなかった唐揚げ。それこそが、最大の証人だった。
夕暮れとともに語られる結末
警察に提出された弁当と指紋、そして監視カメラ映像により、犯人は逮捕された。動機は単純だった。欲しかったのは金だけだった。
俺たちは何も報酬を得なかった。ただ、昼飯の時間が潰れただけだ。
サトウさんのため息とアイスコーヒー
「アイスコーヒーでも淹れますか」とサトウさんが言った。まるで、いつもの午後が戻ってきたように。
だが、俺の胃袋はまだ昼飯を欲していた。冷めた唐揚げに気を取られて、食べることを忘れていたのだ。
唐揚げは冷めても謎は熱かった
もう夕暮れ。窓の外はオレンジ色に染まっていた。俺は机に足を投げ出し、背もたれに体を預けた。
「明日は冷やし中華にするか、、、やれやれ、今度こそ平和なランチがしたいもんだ」俺はぼそっと呟いたが、それが叶う日は、きっとまだまだ先の話だった。