指輪は誰のものか
午後の来訪者
その日は雨が降ったり止んだりを繰り返していた。書類の山に埋もれていたところに、ドアのチャイムが鳴った。振り返ると、スーツ姿の若い女性が立っていた。
仮差押えの書類に紛れた一枚
「先日、元婚約者が私の指輪を売ろうとしていると聞きまして…」と女性は話し出した。相談内容は、元婚約者に対して仮差押えを申し立てたいというものだった。だが彼女が持ってきた資料の中に、一枚だけ妙な書類が混ざっていた。
婚約者の涙と空の箱
その書類には、別の女性名義で指輪の購入証明が記されていた。しかも日付は、依頼人が「プロポーズされた日」とぴたり一致していた。つまり――誰かと二股をかけていた可能性がある。
過去の登記に残る影
念のため、彼女が元婚約者と住んでいたアパートの登記簿も確認した。すると、そこに記されていた連帯保証人の名義が、婚約者とは別の女性の名前になっていた。そこから事態は急展開を見せる。
サトウさんの無言の視線
その日の午後、俺がひとりでブツブツ考えていると、サトウさんが静かにコーヒーを机に置いた。そして無言のまま、例の仮差押えの申立書の一文を指差した。そこには、見落としていた決定的なミスがあった。
記録の空白とひとつの印影
仮差押えの書類には、証拠物件の記載がなかったのだ。ただの「宝石」とだけ書かれていた。つまり、特定できない限り、申立て自体が棄却されかねない。そしてその原因は、ある印影の読み間違いだった。
借金と指輪と二重の約束
さらに調査を進めると、元婚約者は指輪をローンで購入し、その支払いを二人の女性にそれぞれ約束していたことがわかった。支払いの証明書が二通。だが、肝心の所有者は――誰なのか。
立会いの瞬間に現れた真実
民事調停の場で、二人の女性が顔を合わせた。元婚約者は額に汗を浮かべながらも、平静を装っていた。だが、サトウさんが提出した一通の領収書が、彼の嘘を白日のもとにさらけ出すこととなった。
やれやれ我ながら詰めが甘い
「やれやれ、、、俺もまだまだだな」その場をあとにしながら、俺は空を仰いだ。指輪の真の所有者は、最初の女性でもなく、もう一人の女性でもなかった。元婚約者が勝手に使い込んでいた元上司の会社名義だったのだ。
サトウさんのひと言がすべてを変えた
「だから最初から言ったじゃないですか。ラブロマンスと資産は分けて考えろって」塩対応のひと言に、胸の奥がチクリとした。恋と金、それぞれの重さは司法書士でも量れない。
真実は机の下に
帰事務所で書類を片付けていたとき、机の下に落ちていた小さな封筒を見つけた。中には、古びた保証人契約の控えと、もうひとつの鍵のコピーが入っていた。鍵が示す先は、誰の心だったのか。
法は証拠と共に語る
結局、指輪は元婚約者の債務処理の一部として仮差押えされ、競売に付された。証拠がすべてを語り、法がその通りに動いた。それが正義なのかは、俺にはわからない。
嘘をついたのは誰か
恋愛は人を盲目にする。嘘をついていたのは元婚約者だけではなかった。依頼人も、心のどこかで真実に気づいていたのではないか。だが信じたかった、それだけなのだろう。
指輪が戻るとき
数週間後、郵送で届いた小包を開けると、中には見覚えのある指輪と一枚の紙切れが入っていた。差出人不明。ただ一言、「ありがとう」とだけ記されていた。
忘れられた仮差押えの効力
その後も、事務所では日々の書類が積み上がるばかりだった。だが、ふとあの案件のことを思い出すたびに、俺は仮差押えという制度の不思議な効力を噛みしめるのだった。心に仮差押えは効かない。だが記憶には、効いてしまうものらしい。
書類の隅にあったささやかな証明
最後に気づいた。例の申立書の裏面、角の折れたその部分に、小さくメモが書かれていた。「本当に渡したかったのは、気持ちです」と。証明できない気持ちこそが、いつも事件を動かしているのかもしれない。