登記簿は語らない
忙しさの中の一本の電話
8月の蒸し暑さが容赦なく背中にまとわりついていた。事務所のクーラーは相変わらず気まぐれで、音ばかりうるさい。そんな中、古びた電話が鳴ったのは、14時30分ちょうどだった。着信表示には「○○不動産調査」とだけあった。
「合筆登記された土地の件でちょっと見てほしい」と、年配の男性の声。いやな予感がした。たいていこの手の話は、話が長く、面倒で、調査も報酬も見合わない。
合筆された地番の違和感
相談内容は、10年前に合筆されたはずの地番にまつわる不一致だった。登記上はすでに一筆になっているはずの土地が、なぜか現地では二つの家屋と二つの水道メーターを持っていた。 「それだけならよくあることです」とサトウさんが即座に返す。そう、実務上の処理漏れは日常茶飯事。
しかし、今回は話が違った。調査士も「おかしい」と言っている。となると、これは面倒なやつだ。やれやれ、、、また泥に足を取られる展開か。
土地家屋調査士の不審な態度
その調査士、長谷部という男は、現場では極端に口数が少なかった。測量器をのぞいては黙り、何かに気づいても黙り。まるで何かを隠しているような動きだった。
「地番のずれはよくある話なんですよ」彼はそれだけ言って現地を後にした。だがその目は、何かをごまかしているように見えた。私は昔、部活の監督がサボりを見破る目と似ていると感じた。
亡き父が遺した手書きメモ
相談者の一人、古い農家の娘という女性が、突然「これ、父の遺品の中にあったんです」と一枚の紙を差し出してきた。それは、手書きの地番と、赤鉛筆で引かれた境界線のメモだった。
赤線の部分は、現在の登記簿とは違っていた。つまり、かつてこの土地は三筆に分かれていた、ということだ。しかし、現在の登記にはその痕跡がどこにもない。
現地に残された境界杭の謎
翌日、私はサトウさんとともに現地へ向かった。暑さでワイシャツが貼りつく中、草をかき分けると、地中からひょっこりと顔を出している古い境界杭が見つかった。しかもそれは、登記簿に記載された線から外れた場所にあった。
「これ、平成じゃなくて昭和の杭ですね」サトウさんが冷静に呟く。古い測量資料と一致することから、合筆前の筆界が浮かび上がってきた。
地番図と現況のズレ
役所から取り寄せた地番図と、実地測量のデータを並べてみる。そこには明らかなずれがあった。というより、何かが削除されたような、不自然な空白があった。
「ここ、もともともう一つ筆があったんじゃないですか」サトウさんの一言で、私の眠気は一気に吹き飛んだ。削除された地番が、もし故意によるものだったとしたら、、、。
サトウさんの冷静な指摘
「先生、これ、平成14年の閉鎖登記簿見てください」彼女はPC画面をこちらに向けた。そこには一度だけ「○○番ノ三」という地番が存在していた記録が残っていた。
しかし、現在の登記簿にはその記録は存在しない。書き換えか、意図的な合筆か、いずれにせよ、これは自然な登記の流れではない。
昭和の合筆登記が語るもの
閉鎖登記簿と旧法の登記資料をあたるうち、昭和48年に一度、登記が戻され、再度合筆された記録を見つけた。これは異常だ。通常、合筆は一度きりだ。何度も繰り返す意味がない。
「この時、何か隠されたのでは?」サトウさんの目が鋭くなる。私の背中に嫌な汗が流れた。まさか、土地そのものが事件の舞台だったのか。
消えたもう一つの筆
調査を進めると、昭和期に問題になった土地収用案件が出てきた。関係者の一人は、当時の地主の弟で、現在はその土地を相続している。そこに、行方不明になった筆が関係している可能性が高い。
私は不動産登記法の条文を繰りながら、もつれた登記の糸をゆっくりほどいていった。やれやれ、、、頭を使うのは、もう野球のサインプレーだけで充分だったのに。
閉ざされたはずの倉庫の鍵
事件の糸口は、空き家となっていた倉庫の奥にあった。そこに残された古い契約書には、失われた地番と所有者の記載があった。しかも、それは現在の名義人とは異なる人物だった。
「つまり、不正登記の可能性があるってことですか」サトウさんの目が光る。私はうなずいた。ここまでくれば、もはや単なる地番のミスではなかった。
隠された分筆前の真実
古い資料を精査する中で、私は見落としていた一通の文書を見つけた。それは、昭和期の分筆申請書の写しで、なぜか不受理となっていた。理由は「筆界不明」。
つまり、本来は三筆であるべき土地が、合筆によって二筆に処理され、そのうち一筆は曖昧にされたまま、存在を失ったのだ。
やれやれ、、、結局こうなる
最終的に、隠されていた地番は詐取目的で封印されていたことがわかった。昭和の地主が兄と弟で土地を分けた際、弟が登記を故意に消したのだ。今の名義人は、その系譜を知らずに相続しただけだった。
登記は正直だ。だが、語るべきことを語るには、読み解く者がいなければならない。私はため息をつき、ボールペンのキャップを閉じた。「やれやれ、、、」
意外な犯人と動機
最初に依頼してきた不動産会社の男こそが、過去の経緯を知っていた張本人だった。彼はかつてこの土地の管理人をしており、倉庫の鍵を今も握っていた。
動機は「どうせ誰も気づかないから」。それが一番厄介なやつだ。私は登記簿の復元申請を準備しつつ、彼の行動を法務局へ報告した。
地番がつなぐ家族の秘密
土地の背後には、戦後の混乱と、家族の対立と和解があった。失われた筆は、許されなかった弟の名前そのものだった。 依頼人の目に浮かんだ涙を見て、私は何も言えなかった。ただ、土地は、そこに流れた時間ごと記録している。ただ、それだけだ。
登記簿が語らなかった最後の証言
登記簿には書かれないことがある。争い、憎しみ、そして赦し。私の仕事は、それを読み取り、静かに伝えることだ。
サトウさんが小さくあくびをして「またややこしいの来たら休ませてくださいね」と呟いた。私は力なく笑った。 そう、またすぐ次の地番が待っている。