相続放棄から始まった違和感
「相続放棄の手続きなんですが……」そう言って事務所にやってきたのは、四十代後半の男性だった。
亡くなった父親の遺産を放棄したいという。理由は「面倒だから」。よくある話だ。
だが、その申述書の内容に、私は小さな引っ掛かりを覚えた。
古い戸籍に浮かぶ謎の名前
相続人調査のために除籍謄本を取ってみると、そこには依頼者も知らない「長男」の記載があった。
「兄なんていませんよ」と依頼者は首をかしげる。じゃあこの人物は誰なんだ?
記載を見るかぎり、昭和58年に転籍している。現在どこにいるのか、それとも……。
遺産分割協議の空席
依頼者を含めた兄弟たちの名前は揃っているのに、その“長男”の席だけがぽっかり空白になっていた。
遺産分割協議書は整っているようで、実はまったく整っていなかった。
これはただの相続放棄の話ではない。何かが、どこかで隠されている。
行方不明者の存在が示す断層
行方不明の相続人がいる場合、失踪宣告や不在者財産管理人の申立てが必要だ。
だが今回は、そのどれもがされていない。「存在しない」ことにされている。
サザエさん一家で言えば、急に波平の兄が出てきて、しかも誰も話題にしないような違和感だ。
過去の登記簿が語る真実
私は旧土地台帳を取り寄せ、古い地番で所有者の履歴を追った。
すると、その“長男”が10年前まで、父の土地を管理していた痕跡が出てきたのだ。
それは名義の登記変更がされないまま、現所有者と別人が税金を払っていたという不自然な事実だった。
名義の継承が意図的に操作されていた
どうやら生前に父がこっそり長男に土地を託していたようだ。だが、登記名義は変更されず放置されていた。
そこに父が亡くなり、次男である依頼者が話を進めようとした。
長男の存在は、面倒だからなのか、それとも意図的に……?
依頼人の動揺とサトウの冷静な分析
「サトウさん、この“長男”の戸籍、やっぱり本物のようです」
「ええ。年齢的に見ても、出生の地から転籍地までの流れは自然ですね」
それにしても、依頼者の戸惑い方が、ただの無知にしては過剰だった。
戸籍の「抜け」と言いかけた言葉
「兄がいたなんて、初耳です」と繰り返す依頼者だったが、一瞬「小さい頃に……」と漏らした。
その口調はあまりに曖昧で、過去をぼかしていた。
もしかして、記憶の中に鍵があるのかもしれない。
司法書士シンドウのうっかり調査
登記簿を再確認していて、私はある番地を見落としていたことに気づいた。
なんと、実際の物件の筆頭地番と違う場所に、かつて住んでいた形跡があったのだ。
やれやれ、、、またやっちまったよ。最初から見ておけばよかった。
謄本を一部だけ読み飛ばしていたことに気づく
読んだつもりになっていた謄本の続きに、転籍先の記載があった。
そこには「現在地不明」と明記されていたのだ。
やっぱり、“消された”のではなく“いなくなった”ということなのか。
古文書と相続権の継承線
昔の地図と一緒に送られてきた古い手紙を、依頼人が「父の遺品」として持ち出してきた。
そこには、「兄には話すな。土地はお前が守れ」とあった。
相続の断層は、感情の断層だったのだ。
「明治の戸籍」から現代までの継続性
明治から昭和、平成を経て令和まで続く戸籍の連続は、まるでひとつの歴史小説のようだった。
ただ、誰かがその章を意図的に「抜いた」ら、全体が破綻するのは当然だ。
戸籍とは、命と命の橋渡しだ。誰かが壊すと、全員が落ちる。
現地調査で見えた“もう一つの家”
依頼者の父が晩年を過ごしていたはずの住所に赴くと、そこには別の「○○家」の表札があった。
しかも、表札には長男の名前が、微かに残ったシールの跡で浮き上がっていた。
まるで、幽霊が住んでいたような家だ。
分家されたはずの者が実家の登記人
さらに調べると、登記簿上はその家は長男の単独名義となっていた。
父親が所有していたはずの物件は、生前贈与ではなく、贈与契約書も存在しない。
つまり、不法占拠だった可能性すらある。
決定打は一枚の固定資産税通知書
市役所から取得した固定資産税の納税通知書の宛名は、依頼者ではなく、長男だった。
この通知書は、登記や戸籍よりも感情の証拠だった。
父は、最後まで長男を“持ち主”として認めていたのだ。
「宛先」がすべてを物語っていた
相続の真実は、書類の中ではなく、日常に紛れていた。
通知書の“宛名”は、いちばん簡単で、いちばん重い事実だった。
誰がどこに住み、誰がそれを見ていたのか。それだけで、十分だった。
そして残された者たちへ
「登記名義は法定相続分に従って戻せますが、本当にそれでいいんですか?」
私は依頼人にそう問いかけた。彼はしばらく黙ってから、首を横に振った。
「兄さんが、持ってたんでしょう。戻す必要なんか、ないです」
断絶ではなく、繋がり直すための登記へ
登記は、所有を明らかにするもの。だが今回は、それが「赦し」の形になった。
「争族」ではなく、「家族」の再構築の一歩として、名義変更が進められた。
やれやれ、、、これだから司法書士はやめられない。