登記簿から始まった奇妙な依頼
抵当権抹消だけでは終わらなかった
朝一番、事務所のドアがギイと軋んで開いた。男は何も言わず、封筒を机に置いた。中身は抵当権抹消登記の依頼書類。そして、それだけでは済まない空気がそこにはあった。何か、拭いきれない未練のようなものが、紙の隙間にこびりついている。
「この不動産、もう誰も住んでないんです。けど、ちゃんと清算したいんで」と男はぽつりと漏らした。妙に沈んだ声だった。
午前九時の男と古びた権利証
依頼人は沈んだ目をしていた
男の名前は高城。年齢は五十を少し超えているように見えたが、背筋はまっすぐだった。彼が差し出した権利証は、擦れた茶色の封筒に入っており、角はすっかり丸くなっていた。よほど長く誰かの引き出しで眠っていたのだろう。
「女房と一緒に買った家だったんです。もう別れて十年経ちますけどね」高城の声は、自分に言い聞かせるようだった。
サトウさんの鋭いひと言
未練のある依頼に限って厄介
彼が帰ったあと、書類を受け取っていたサトウさんが言った。「こういう依頼って、登記簿には載ってない感情が多すぎるんですよね」。僕は黙って頷いた。彼女はまだ若いのに、こういうことを妙に見抜く。
「未練が法務局に提出されたら、全国パンクしますよ」と、僕が冗談を飛ばすと、彼女は一瞬だけ口元を緩めた。たぶん、笑ったんだと思う。たぶん。
旧住所に残された謎の付箋
抵当権者の所在不明と空白の五年
登記手続きに必要な抵当権者の住所が古かった。確認のため現地へ足を運ぶと、表札すら外された木造の一軒家がそこにあった。郵便受けには貼り残された付箋。「また来てしまったね」とだけ走り書きされていた。
空白の五年間。所有権も移転していない。抵当権者が行方不明のまま、抹消もされずに残っていた。これでは、ただの登記手続きでは済まない。
不動産登記簿と裏面の数字
消せないのは権利か記憶か
事務所に戻り、登記簿を再度見返す。表面は問題なかったが、添付された古い契約書の裏に、赤鉛筆で「3月17日 忘れない」と書かれていた。何を忘れないというのか。契約?それとも別の記憶?
まるで登記簿が日記帳と化している。いや、これはもう推理モノだ。探偵コナンなら「犯人の動機はこの日だ!」とか言うんだろうな。
法務局で見つけた不一致
登記簿の名義と別人の筆跡
抵当権抹消に必要な書類の中に、委任状が一通混じっていた。署名は確かに抵当権者のもの。しかし筆跡を比べてみると、登記簿の署名とは明らかに違う。似せようとした形跡はあるが、プロの目は誤魔化せない。
「やれやれ、、、こっちは登記だけで手一杯なのに、なんでこんなサスペンス劇場まで担当しないといけないんだ」と僕はつぶやいた。
未提出の解除証書の正体
やれやれ、、、また面倒な予感がする
本来提出すべき解除証書が、なぜか依頼人の手元にあった。本人は「銀行から預かっただけ」と言ったが、どうやらその銀行も五年前に合併して消滅している。つまり、確認の取りようがない。
僕の頭に浮かんだのは、まるでルパン三世のような怪盗が、巧妙に仕組んだ登記トリックだった。残念ながら、こちらは銭形警部でもなければ不二子ちゃんもいない。
元恋人が語った過去の契約
抹消されなかったのは気持ちだった
後日、抵当権者の妹と名乗る女性から連絡があった。兄はすでに他界しているが、その家の所有者と過去に恋人関係だったという。抹消しなかったのは「最後のつながり」だったのだと彼女は語った。
登記簿に残ったままの権利。それは未練そのものだった。だが、それは法律にとってはただの瑕疵。抹消しなければ未来に進めない。
真相と故意の保存登記
抵当権は愛の証だったのか
登記を残していたのは、彼女が故意に依頼を止めたからだった。銀行からの解除証書を受け取っていながら、それを提出しなかった。「彼が戻るかもしれないと思っていた」と。
愛か執着か。それを判断するのは僕の仕事じゃない。ただ、抹消するという行為に意味があるのだ。未来のために、未練を削除する。
抹消登記申請と別れの印
書類は提出された そして彼も去った
最終的に、抹消登記は無事に完了した。封筒に収めた登記完了証を高城に渡すと、彼は深く一礼してこう言った。「これでようやく、全部終わりました」。
彼が去ったあと、サトウさんがぼそっと言った。「未練って、登記より根が深いんですね」。確かに、登記簿には書けない物語がある。そう思いながら、僕は次の依頼書に手を伸ばした。