登記簿の余白が暴いた愛

登記簿の余白が暴いた愛

登記簿の片隅から始まる違和感

それは、いつものように相続登記の依頼を片づけていた午後のことだった。
書類一式を確認していた私の目に止まったのは、謄本の余白に貼られた一枚の付箋だった。
「どうかこの件、慎重にお願いします」とだけ書かれた手書きの文字。それだけで、何かがおかしいと感じた。

依頼書に添えられた一通の手紙

依頼主である女性の筆跡は、どこか揺れていた。手紙には、亡くなった父の名義である土地建物についての感謝と、
ただ一つ、「この土地には、もう一人の想い出が住んでいます」とだけ綴られていた。法的には無意味な言葉。
しかし、謄本には確かに何かが「書かれていない」ような、そんな気配があった。

書かれていない「もう一人の所有者」

登記簿には名義人である父と、その前所有者しか記されていない。遺産分割協議書も整っている。
だが、住所の欄に「旧姓」の訂正跡が妙に目立つ。通常、ここまで修正痕があるなら補正履歴も添付されているはずだ。
私はサトウさんに、資料一式の再確認を頼むことにした。

女の涙と古びた公正証書

後日、依頼主の女性が事務所にやってきた。彼女は静かに、古びた公正証書の写しを差し出した。
そこには、「婚姻意思はないが、共同生活を営む旨」の文言があり、署名には亡くなった父と、別の女性の名が記されていた。
それは、登記簿には記録されていない「もう一人の居住者」だった。

謄本には記録されなかった過去

法的には彼女には何の権利もなかった。しかし、その家で十年暮らし、庭を手入れし、仏壇に手を合わせていたという。
依頼主の女性は、実母ではなく、その女性こそが「心の母」だったと語った。
「せめて、どこかに名前を残してやりたくて」ーーそれが余白の付箋に込めた想いだった。

愛人か妻か遺言か

遺言はなかった。公正証書にも財産の記述はない。彼女の法的地位は、あくまで「その他」に分類される。
だが、人の暮らしに「分類」など通用するものか? 彼女の涙に、私はサザエさんの波平の説教回を思い出していた。
正論が正しいとは限らない。それが人間というものだ。

サトウさんの冷静な観察力

「これ、シンドウさん、気づいてませんよね?」
サトウさんが指差したのは、戸籍附票の中の一行だった。
そこには、依頼人の父ともう一人の女性が、同住所に20年も住民登録されていた事実があった。

旧姓欄に残された見落とし

さらに戸籍の補完書類に、手書きで加えられた旧姓が見つかった。それは依頼人の知らない名前。
つまり、その女性は一度結婚し、離婚して、再び依頼人の父と暮らし始めていたのだ。
登記簿はその事実を一切記録していなかった。ただ、生活の「余白」がそこにあった。

やれやれ、、、また恋愛絡みか

事務所でコーヒーを飲みながら、私は天井を見上げてぼやいた。
「やれやれ、、、また恋愛絡みか。こっちは法務局で書類と格闘してるってのに」
サトウさんは塩対応で「仕事なんだから黙ってやってください」と言い放った。

愛憎と登記簿の交差点

登記簿に愛は記載されない。だが、そこに何もないというわけではない。
名義、所有、居住、扶養、それらの線引きは明確だが、人の心の境界線は曖昧だ。
今回の件で、その曖昧さをどう扱うかは、司法書士としての「良心」の問題だった。

遺産分割協議に伏せられた事実

協議書には、その女性の名前はない。だが、依頼人は言った。
「私は母をもう一人知っていた。誰よりも、私を愛してくれた」
その一言が、協議書の冷たさを少しだけ和らげたように思えた。

なぜ彼女は署名しなかったのか

簡単だ。彼女には署名する「資格」がなかった。
しかし、署名する「資格がない」とは「存在していなかった」ことを意味しない。
彼女が残したものは、物ではなく記憶であり、それは確かに「残されていた」。

元恋人の証言と沈黙の相続人

法務局での手続き中、私は偶然、依頼人の父とその女性を知る元近隣住民に出会った。
彼らは「ずっと夫婦のようだった」と話してくれた。
沈黙の中にあったその関係は、登記簿に記されることのない愛だった。

過去と向き合う時間

依頼人は悩んだ末、協議書とは別に一筆を作成した。
そこには、家の片隅にその女性のための仏壇を作りたいとあった。
法的拘束力はない。けれど、それはたしかに「意思表示」だった。

うっかりから導いた答え

私は依頼人に、非公式な形でその一筆を添付して登記申請を提出した。
申請担当者は眉をひそめたが、事情を話すと静かに頷いた。
「これは受けられませんが、気持ちは伝わります」その一言に救われた。

シンドウのふとした一言が突破口に

「この人の旧姓って、誰かに似てません?」私のふとした一言に、サトウさんがすぐ反応した。
それが、実は依頼人の幼なじみの母親だったことが後で判明し、地域の証言と結びついた。
「情」は時に証拠以上に人を納得させる。皮肉なようだが、それが真実だ。

最後に明かされる真実

家の裏庭には、二人が育てた紫陽花が咲いていた。
依頼人はそこに手を合わせ、「ありがとう」とだけ呟いた。
それはきっと、どんな契約書よりも強い「遺志の継承」だった。

彼女が余白に託したもの

余白に貼られた付箋は、今はもうない。
だが、その小さな紙切れが、私たちに多くを教えてくれた。
紙に書けないことを、人は紙の「外」に託すのだ。

結末と静かな別れ

登記簿は整った。申請は受理され、名義は変更された。
でも、その家にはもう一人、名もなき住人の記憶がそっと残った。
司法書士としての仕事は終わった。だが、人としての学びは、まだ続いている。

「やれやれ、、、登記簿には載らない感情もあるってことか」

私は机に書類を戻しながら、ぽつりと呟いた。
サトウさんはコーヒーを差し出しながら、「次の相続、山積みですよ」とだけ返した。
やれやれ、、、人生も登記も、一筋縄ではいかない。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓