登記所で起きた静かな違和感
その日も朝から書類の山に埋もれていた。依頼の波はひっきりなしで、目の奥がズキズキする。そんな中、一通の登記申請書が、妙に目に引っかかった。文字は整っている、押印もある、しかし妙に作られすぎている気配がした。
見た目に不備はない。だが、この完璧さが逆に不自然だった。まるで誰かが「正しいもの」を装っているように見えるのだ。
申請書の裏にあった微細な誤記
よく見ると、添付の委任状にだけ微妙な誤字があった。「株式会社」の「社」が、旧字体のままになっている。そんな細かいこと、通常は見落とされる。だが、それが逆に、何かを隠そうとしている痕跡に思えた。
まるで完璧な変装の中に残されたほくろのようなものだ。コナン君なら即ツッコんでいただろう。「それ、変装じゃないよ」と。
午前十時の電話と依頼人の焦り
「登記の件、どうなってますか?」とだけ言って電話を切った男。名前も名乗らず、声も低く押さえられていた。こちらが何を聞いても、「お忙しいところすみません、それだけです」と繰り返すばかりだった。
ああいうのが一番怪しい。急ぎのわりに余計な情報を出したくない感じ。いかにもアリバイ作りに必死な怪盗っぽい雰囲気だ。ルパン三世で言えば、第1話の「俺はルパンだ」くらいの不気味さ。
名前を名乗らない男の登記相談
その後も、何度か非通知で着信があった。電話口の人物は一貫して、「登録免許税が足りないかもしれない」と曖昧なことを言うだけ。だが、税額に関しては一切間違いがない。つまりこれは、問い合わせに偽装した牽制だ。
僕はそういう直感だけは当たるのだ。不思議と、野球部時代にピッチャーの牽制球が来る瞬間がわかったように。
サトウさんの冷静な指摘
「この字、同じ人が書いたように見えますけど?」サトウさんが差し出したのは、過去の別件登記の委任状。字体もペンの走りもそっくりだ。正直、言われるまで気づかなかった。
「よく見つけたな」と言うと、「当たり前です、仕事ですから」と返される。冷たいが頼もしい。やれやれ、、、またサトウさんに救われたか。
書類のクセと筆跡の矛盾
2つの委任状を並べて比較する。名義人が違うのに、筆跡が似すぎている。普通は印鑑証明と一緒に確認するが、今回はなぜか印鑑証明が「原本還付」扱いになっていた。
つまり、本物が手元にないということだ。うっかりしていた。いや、相手が巧妙すぎたのか。
現地調査と見えない境界線
実地調査に行った。隣地との境界に立つ古びたブロック塀。その足元に、金属の境界標が打ち込まれていた。だが、法務局の図面と数センチずれている。登記官なら気づいていたかもしれない。
この微妙なズレが、今回の登記の「目的」だったのではないか。小さな土地の移動、だがそこに大きな意図がある。
ブロック塀の中にあったもう一つの真実
よく見ると、ブロックの一部だけ新しい。まるで中を一度壊して、境界標を移し替えたようだった。「ここまでやるか……」と僕は思った。
まさにキャッツアイが盗んだ宝石を、元の場所にそっと戻すような鮮やかさ。普通の人間には思いつかない発想だ。
登記簿に隠された過去の履歴
過去の登記履歴を洗い出す。すると、ある一件だけ、極端に短期間で所有者が変わっていた。不動産屋の転売かと思いきや、その中に出てくる住所が、すでに取り壊された空き家のものだった。
つまり、実体のない人物が登記に登場している可能性がある。いわゆる「架空名義人」。これは本格的にマズいパターンだ。
抹消された所有者と時効取得の絡み
しかも、その架空名義を盾に、時効取得を主張するような記述がある。「20年使っていた」と言い張るわりに、水道使用記録はゼロ。まるで記憶喪失の探偵が、自分の犯行現場を自白するような話だ。
これは完全に登記制度の穴を狙った攻撃。登記官が疑念を抱いたのも、当然だった。
登記官の独白と目線の揺れ
後日、こっそり登記官に聞いてみた。「あれ、どう思ってるんですか?」すると彼は「全部が完璧すぎて、逆に信じられなかった」とだけ言った。
あの目線の揺れは、単なる不安ではなかった。職責と直感のせめぎ合いだったのだ。
彼が疑念を抱いた本当の理由
登記官は、若いころ似たような事件に関与したことがあるという。その時は疑念を口に出せず、結果として不正が通ってしまった。今回はその轍を踏むまいと、わずかな違和感を見逃さなかったのだ。
まさに彼が「見逃さなかった」者だったのだ。
登記申請に忍ばせた第三の目的
結局、その土地の一部にだけ抵当権が設定されていた。それも別件の債務と絡む奇妙な構造だ。つまり、土地を分筆し、名義を移し、抵当権をつけ、回収を難しくしていたのだ。
これはもはや登記制度を利用した犯罪。僕ら司法書士が気づかねば誰が止める。
真実が明かされた夜の会話
その夜、サトウさんと事務所でラーメンをすする。「どうせまた、僕がうっかりしたってバカにするんでしょ」と言うと、「ええ、でも今回はギリ及第点です」とだけ言われた。
やれやれ、、、こっちは命削ってるってのに。
翌朝事務所に届いた一通の手紙
差出人は不明。中には「すべての書類は偽物でした」とだけ書かれた便箋一枚。それが事の終わりか、始まりかは、まだ分からない。
でも、登記官も僕も、そしてサトウさんも、確かに「何かを見逃さなかった」。それだけは、間違いなかった。