鍵は三本部屋は一つだけ

鍵は三本部屋は一つだけ

午前九時の依頼人

古びたアパートと見慣れぬ青年

午前九時、事務所のドアが開く音とともに、スーツ姿の若い男性が入ってきた。緊張した面持ちで差し出されたのは、一枚の賃貸契約書だった。
「すみません……これ、本当に有効なんでしょうか」——その問いかけは、ただならぬ気配を含んでいた。

サトウさんの無言の観察

サトウさんは青年の姿をじっと見つめた。視線は鋭く、まるで名探偵コナンのようだ。
「この人、何か隠してますね」と、視線だけで伝えてきた。言葉がないのが、逆にプレッシャーになるのが彼女の技である。
私はというと、差し出された契約書をうっかりコーヒーで濡らしそうになり、サトウさんに睨まれた。

不自然な賃貸契約書

部屋番号が重なる奇妙な書類

契約書には「203号室」と記されていたが、妙なことに部屋の間取り図は「201」と一致していた。
「これは、、、ダブルブッキングか?」と呟きつつ、私は過去の同様事例を思い出そうとするが、何一つ出てこない。
サトウさんはすでにコピー機の前で、二枚目の書類を照合していた。動きが速い。

礼金が倍に記載されていた理由

さらに目を引いたのは「礼金二ヶ月」と赤字で書き直された箇所だ。
「今時、礼金二ヶ月なんて珍しいですね」と私が言うと、サトウさんが一言だけ、「消した跡があります」と冷静に返す。
やれやれ、、、こっちはまだ思考回路が温まっていないというのに、彼女はすでに二手先を読んでいる。

二重契約の罠

「やれやれ、、、」と呟きながら読み込む契約書

契約書を一枚一枚めくっていくと、すべての書式が同じにもかかわらず、署名欄の筆跡が微妙に異なっていた。
「これ、たぶん二重契約ですね。筆跡鑑定でもすればすぐバレるでしょう」と私は言うが、自信は三割。
「筆跡見ればわかるじゃないですか、ルパン三世の銭形警部でも見抜けますよ」と、サトウさんの辛辣なツッコミが飛んできた。

保証人欄の筆跡が違っていた

保証人の欄は特に怪しかった。一つは太く丸文字で、もう一方は細くて几帳面。
同一人物が書いたとは到底思えず、まるで二人分の人生が無理やり一つの部屋に詰め込まれたようだった。
「筆跡の癖って消せないんですよね」と私はポツリと呟き、学生時代のラブレターの失敗を思い出していた。

管理会社の背後にいた男

法人登記簿から浮かび上がる名前

依頼人の話をもとに調査を進めると、管理会社の代表取締役が不動産ブローカーとしても活動していたことが分かった。
その名は「丸川翔吾」。登記簿で調べると、別法人でも代表を務めていた。まるでキャッツアイの美術品二重管理のようだ。
「サトウさん、やっぱりあの契約、ウソが多い」と私が言うと、彼女は無言で頷いた。

サトウさんの冷静な追及

管理会社に同行してもらったサトウさんは、相手の担当者に淡々と質問を重ねた。
「では、なぜ入居前に鍵が三本も渡されたのですか?」——その問いに相手は口ごもった。
「普通、一本は管理会社用です。でも、あなたが四本目を握っていたんじゃないですか?」と詰める姿は、まるで少年探偵団の小林先生だった。

もう一つの鍵の持ち主

郵便受けに残された不在票

現地に行ってみると、ポストに「佐久間」という名前で不在票が残されていた。
「この名前、契約者のどちらにもありませんよね」と私が言うと、サトウさんがスマホで検索を始めた。
なんと、「佐久間」は過去に別の賃貸契約でトラブルを起こしていた人物だった。

シンドウのうっかりが真相を開く

ふとした拍子に、私は鍵を落とした。すると、それを拾ったサトウさんが「あれ?」と呟く。
なんとその鍵には「204」と刻まれていた。つまり——依頼人が渡された鍵は、そもそも別の部屋のものだったのだ。
「やれやれ、、、鍵から全部間違っていたってことか」と、私は頭をかいた。

敷金礼金はどこへ消えたか

通帳に記された一つの入金記録

通帳のコピーには、依頼人が振り込んだ金額がきっちりと記されていた。だが、入金先は管理会社名ではなく、個人名義だった。
その名義は——「丸川翔吾」。つまり、完全な私的流用だったのだ。
「なるほど、礼金は“礼”でもなんでもないな。単なる詐欺ですね」と私は吐き捨てた。

預かり証の“余白”の意味

預かり証には金額の記載があるが、但し書きの部分に妙な余白があった。
そこに本来「契約成立次第返還」と書かれるはずが、後から修正されていた形跡がある。
「悪い人間ほど、余白を使いたがるんです」とサトウさんが呟いた。名言だと思った。

最後の証言者

夜逃げした元住人の語った真実

近隣に聞き込みをしていたところ、「前に住んでた男、すぐ夜逃げしたよ」と教えてくれた老婦人がいた。
なんと、その男も「礼金二ヶ月」と言われて契約していたという。
「一つの部屋で二重三重に金を取る。まるでトリックアートですね」と私は嘆いた。

「契約は一つで十分だ」と語った理由

元住人にSNS経由でコンタクトが取れた。彼は「お金がなかったから文句も言えなかった」と話した。
そして、「あんな奴らとは契約しないのが一番」と結んだ。まさにその通りだった。
サトウさんは黙って画面を閉じた。怒っていたのだと思う。

小さな部屋に残された二重の影

再発防止と司法書士の役目

私は行政書士と連携して、管理会社への処分要望書を作成した。
「こういうことがあるから、ちゃんとした手続きって必要なんですよね」と、ひとり言のように呟いた。
サトウさんは机の角を拭きながら、うっすらと笑った気がした。

サトウさんのひと言と、ちいさな笑顔

事件が終わったあと、私はポツリと「なんでこんなに面倒なことばかり起きるんだろうね」と言った。
「シンドウさんがうっかりするからですよ」と、サトウさん。
そしてひと言——「でも、最後には解決するから不思議です」。それは、たぶん最大の賛辞だった。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓