書斎に残された封筒
古びた便箋と不自然な一文
父の死後、一通の封筒が書斎の机の中から見つかった。黄ばみ、縁がほつれたその封筒には、達筆な筆跡で「シンドウへ」とだけ書かれていた。封を開けると、中からは便箋一枚と、何かを意味するような押印だけが残されていた。
そこに書かれていた一文。「財産は、あの影の中にある」。まるでルパン三世の予告状のような文面に、サトウさんが小さく鼻で笑った。
依頼人の不安な眼差し
遺言書の検認で浮かぶ違和感
長女のカナエさんが事務所にやってきたのは、忌明けの数日後だった。手にしたのは公正証書遺言と、父の手書きらしいもう一通の文書。「どちらが有効なのか、教えていただきたいのですが…」
見比べてすぐに気づく。形式は整っていないが、手書きの方には明らかな父の筆跡。しかし、日付が妙に新しい。死の二日前。しかも証人欄が空白のままだった。
俺とサトウさんの現地調査
父が通っていた謎の施設
その筆跡が書かれたと思われる日、父はある高齢者支援センターを訪れていた記録が残っていた。サトウさんと共に現地に向かうと、受付で「手続きの相談に来ていた」とのこと。
だが、相談の内容は不動産ではなく、どうやら「家族への思いの伝え方」だったという。手書き遺言が父の“最終メッセージ”だった可能性が高まった。
封印された押印と捺印ミス
署名欄の裏に隠された意味
ふと気づく。手書き遺言の用紙裏に、朱肉のかすれが浮かび上がっていた。何かが押されていた痕跡だが、表には見当たらない。
「二枚重ねで捺した形ですね。ミスして、上の紙を剥がしたんでしょう」とサトウさん。彼女の指摘で裏側を透かすと、そこには“別の文面”がかすかに浮かび上がっていた。
兄と妹の相続争い
取り違えられた長男の信頼
長男のアキオは当初から「父の財産はすべて妹に渡るべき」と言っていたが、なぜか今日の顔色は違っていた。「いや、あの遺言が本物なら僕は納得しない」と態度を翻した。
聞けば、アキオが見た父の遺言は“完全に妹に渡す”内容だったという。しかし俺たちが確認したものは“均等に分ける”と書かれていた。つまり、誰かが内容を書き換えた可能性がある。
サトウさんの冷静な推理
筆跡の矛盾とボールペンの真実
サトウさんは両方の遺言書を並べ、じっと見つめていた。「これ、同じボールペンで書かれています。でもこっちは筆圧が弱い。たぶん、誰かが真似て書いた」
つまり偽造だ。しかし父の筆跡を再現できるのは、相当に親しい者に限られる。そしてそれは、父の世話をしていたカナエの可能性を示していた。
影の正体と真実の遺言
父が守りたかった家族の形
父の書斎の壁の後ろに、古いロールカーテンが掛かっていた。カーテンを上げると、そこには封筒とともに“真の遺言書”が貼りつけられていた。「影の中にある」とは、比喩ではなかったのだ。
その遺言には、財産はすべて教育支援団体に寄付し、家族にはそれぞれ手紙を添える、と記されていた。財産分与ではなく、思いの配分だった。
静かな結末
遺産よりも大切なもの
アキオとカナエは何も言わずに書斎を出ていった。俺はその背中を見送るしかなかった。遺産に対する未練と、父への想いが交錯する姿は、どこか切なかった。
「やれやれ、、、書類よりも家族の整理の方が難しいな」俺は一人呟いた。だが、これもまた司法書士の仕事なのだ。
サトウさんのひと言
「書斎の棚、整理しておいてくださいね」
サトウさんは、事件の全てが終わったあとにそう言った。塩対応なのはいつも通りだが、声色がいつもよりほんの少しだけ柔らかかった。
俺は静かにうなずき、棚の整理を始めた。古い書類の奥から、野球部の頃の写真が出てきて、つい微笑んでしまった。
そして影は夜に溶けた
もうひとつの遺言が語る希望
真実の遺言書は、父の想いの集大成だった。争うことなく、思いを受け取ること。それこそが父の願いだったのだ。
深夜、事務所で一人になったとき、ふと風がカーテンを揺らした。「ありがとう」と誰かが囁いた気がして、俺は静かに目を閉じた。