好きだった証拠
「この言葉、彼が遺した最後のメッセージなんです」
机の上に置かれた遺言書の末尾には、拙い筆跡で書かれた「やっぱり好きって伝えたい」という一文があった。
相続登記の相談だと思っていたら、依頼は想像よりずっと深い場所からやってきたらしい。
朝一番の依頼人は泣いていた
事務所のドアを開けたのは、黒い喪服姿の若い女性だった。
「遺言に不審な点がある気がして…」と涙声で訴える彼女の手には、封筒と戸籍謄本の束。
つまるところ、遺言に隠された「意図」を探ってほしいということだ。
婚約者の遺言は謎の一文だった
内容自体は普通の自筆証書遺言。財産の分与も合理的で、形式も整っている。
だが、最後の「やっぱり好きって伝えたい」という一文だけが異質だった。
遺言に情緒を込める人間は少なくないが、これは何かが違う。
「やっぱり好きって伝えたい」の意味
なぜ“やっぱり”なのか。それは過去に「好きではない」と伝えた経緯があるからだろう。
もし、その言葉が翻意であり、何かの罪滅ぼしであったなら、書かれた時点の心理が重要になる。
我々司法書士は遺言の感情までは読まないが、今回はそうはいかない気がした。
サトウさんの冷静な推理
「筆跡が微妙に揺れてます。おそらく泣きながら書いたものですね」
サトウさんが言うには、冒頭の文と最後の一文でペンの種類も変わっているとのこと。
つまり、書かれたタイミングが異なっている可能性が高い。
封印された第三の登記書類
女性が後から提出してきた封筒には、もう一通の書類が入っていた。
「生前整理」とマジックで書かれたA4用紙には、土地の使用状況と、見慣れない地番が記されていた。
その地番は、法務局にも登記されていない“未登記建物”の敷地だった。
動機は愛か罪か
その土地にはかつて離れて暮らしていた実母が住んでいたという。
「彼は私との結婚を優先して、母と絶縁したんです」と女性は語る。
おそらく、遺言でその土地を記すことで、彼は母との関係を修復しようとしたのだ。
野球部の記憶が鍵を握る
地番を見て、なぜか懐かしさを感じた。
あの辺りは中学のとき、僕が野球部の遠征で通ったエリアだった。
空き地の向こうに、ひっそりと建つ平屋があった記憶が蘇った。
やれやれ、、、恋愛は難事件だ
一言で片づけるなら、「未練」と「後悔」の一行。
僕はこの手の“感情の登記”が一番苦手なのだ。
サザエさんでいうなら、波平が黙って波を見てる回みたいなやつだ。
封筒の中の最後の想い
遺言の裏には、もう一文のメモがあった。
「どうかこれを、母にも読んでほしい」と走り書きがある。
愛した人と、許せなかった母、その両方に「好きだった」と伝えたかったのだろう。
遺言執行と真実の照明
司法書士としての手続きは淡々と進めた。
未登記の土地についても、法定相続情報一覧図を添えて所有権移転を済ませた。
だが、その背後にある“気持ち”が、何よりも重かった。
サトウさんの塩対応な労い
「まあまあの解決ですね。情緒には向いてませんけど」
サトウさんはコーヒーを差し出しながら、淡々とそう言った。
僕がぼんやり空を見ていると、「泣いてないですよね?」と突き刺さる一言。
今日も誰かの想いを届ける
司法書士って、想いを法的に届ける仕事なんだと、今さらながら思う。
今日の案件は“好きだった証拠”をきちんと残すことが求められたのだ。
「やれやれ、、、明日も泣かせないようにしないとな」と独りごちて、僕はペンを取った。