封印された会話
司法書士の朝は重たい空気から始まる
目覚まし時計が鳴る前に、天井を見上げてしまう朝はだいたいロクな日じゃない。
事務所のコーヒーメーカーも、今日はいつにも増して無愛想に唸っている気がする。
そんな気怠い空気を破るように、サトウさんのヒールの音が玄関から響いた。
公証役場から届いた奇妙な連絡
「シンドウ先生、今日の10時、田所公証人から来所希望の電話です」
サトウさんの声は冷蔵庫より冷たい。だが、その名前を聞いて、僕はカップを落としそうになった。
田所公証人――つい昨日、急な心筋梗塞で亡くなったはずじゃなかったか?
消えた男と最後の予約
記録を確認してみると、確かに昨日の午後三時に「田所」の名で予約が入っていた。
だが、その時間、彼はすでに病院に運ばれていたはずだ。
誰が、何のために、田所の名を使って予約をしたのか。混乱が広がるばかりだった。
サトウさんの無言の圧力
「まさか、幽霊とか言わないですよね?」
サトウさんの視線が、コナンの阿笠博士に対する少年探偵団並みに冷たい。
「いやいや、俺だってそこまでファンタジーには生きてないって……たぶん」そう返しながら、胸の奥がざわついていた。
遺言公正証書の謎に潜む影
件の田所公証人が最後に作成した公正証書が、こちらに郵送で届いていた。
中身は至って普通の遺言書に見えたが、妙な違和感があった。
「第三章の文言が変じゃないですか?」とサトウさん。確かに、微妙に句読点の位置がずれている。
カルテと戸籍と登記簿と
念のため、故人の戸籍と、遺言に登場する受遺者たちの名義関係を洗ってみることにした。
登記簿上、相続予定の不動産はまだ故人名義で動きがない。
だが、受遺者の一人が入手不可能な転籍先に記載されていることがわかった。
証言のない目撃者
「先生、役場の前で田所さんを見たという人がいました」
近隣の文房具屋の店主によれば、田所は亡くなる前日の夜8時、何者かと口論していたという。
だが店主は「それ以上は関わりたくない」と言って、情報提供を打ち切った。
なぜ彼はその日に限って黙秘したのか
不思議なのは、田所が前日、通常の記録用音声を一切残していなかった点だった。
公証人は必ず、作成した証書の補足音声を録音しておくのが通例だ。
それをしなかったのは「録れなかった」からなのか、それとも「録りたくなかった」のか。
公証人の机に残された五文字
公証役場の机の裏に、小さく「フクダ」と書かれているのを見つけた。
それは受遺者の一人であり、かつて田所と共同出資していた人物の名前だった。
事件は遺言だけでなく、過去の利権と裏切りの匂いを孕み始めていた。
登録免許税ともう一つの支払い
シミュレーションしていた登記手続きの中で、不可解な費目が一つあった。
「非課税扱いで済むはずなのに、なぜ3万円上乗せ?」とサトウさん。
その答えは、公証人が誰かへの“口止め料”を報酬として上乗せしていたという仮説にたどり着いた。
過去の遺産と未来の嘘
真相はこうだ。フクダは田所の弱みを握り、不正な証書の作成を強要した。
だが田所は、最後の最後で己の良心に従い、偽証を避ける形で記録を封印した。
その上で、唯一信頼できる司法書士――つまり僕に、後処理を託したのだった。
やれやれ、、、またしてもこうなる
警察に事情を伝え、証拠をそろえ、登記も正しく整理された。
フクダは捜査の結果、詐欺と偽造の容疑で逮捕。僕は肩の荷を降ろしたが、心は晴れない。
「俺が登場する時って、だいたい誰か死んでるよな……やれやれ、、、」
そして封印は解かれた
田所の残した証書は、訂正の上で正式な形に整えられ、無事登記も完了。
依頼人だった遺族は静かに礼を述べて帰っていった。
サトウさんは一言、「今回も、どうにかなりましたね」とだけ言い、帰り支度を始めていた。