後見人は語らない
朝のコーヒーがぬるく感じる。事務所の窓から見える空は快晴だが、心はどこか曇っている。昨日から気になっていた案件が、今日も重くのしかかっていた。
「未成年後見の相談? 今どき珍しいな……」そう独りごちた時、受話器の向こうから女性の声がした。「叔母が、私の後見人になっているのですが、おかしいんです」。
やれやれ、、、今日は長くなりそうだ、とコーヒーを飲み干して立ち上がった。
静かな朝と電話のベル
土曜日の午前、いつもは静かなはずの事務所に鳴り響く電話。受話器を取ると、若い女性の戸惑った声が耳に入った。「登記簿の内容と、叔母の言っていることが一致しないんです」。
何かの勘違いでは?と軽く聞き流そうとしたが、彼女の説明を聞くにつれ、その内容がどうにも引っかかった。形式的には整っているが、逆にそれが不自然なほど完璧だった。
形式の裏には、時として本質が隠されている。そう教えてくれたのは、昔読んだ『怪盗キッド』の台詞だったか。
依頼人は未成年の叔母
「叔母は、私の両親が事故で亡くなったあと、後見人になったんです。でも、会ったのはその時だけ。それ以来、一度も会ってないんです」。
未成年後見人と被後見人の接点がないのは、法的には珍しいことではない。しかし彼女の語気には、強い違和感と不安がにじんでいた。
「私、今19なんです。18の時に自分で後見人の変更をしようとしたら、登記簿が見られないって言われて……」。
妙な沈黙と不自然な同意
登記簿謄本を取り寄せて目を通してみる。確かに、手続き自体に瑕疵はない。だが「委任状の記載が妙に淡白だな」とサトウさんがぼそりと呟いた。
署名も捺印もある。だが「魂」がこもっていないように感じる。それは長年、書類を見てきた職業病かもしれないが、その違和感は確かだった。
沈黙の中にある、見えない何か。それは時として、大声よりも雄弁だ。
後見登記簿の中の名前
登記簿に記載された後見人の氏名を見た瞬間、僕の背筋に冷たいものが走った。「この名前、昔……別の相続の案件で見たことがある」。
それは、行方不明の相続人を装って土地を売却しようとした詐欺未遂事件の関係者だった。まさか、こんなところで再会するとは。
「これはただの家庭内のトラブルじゃなさそうですね」とサトウさんが言った。顔はいつもの塩対応だが、声には微かに緊張が混じっていた。
なぜか抜けている書類
家庭裁判所への申立書の副本が見つからなかった。後見制度の開始には必ず裁判所の関与がある。だが、どのファイルを調べても出てこない。
「おかしいですね。提出書類は控えを残しておくのが通例ですし、裁判所が関与していない後見制度などありえません」。
登記はあるのに、申立書がない。まるでゴルゴ13のように、完璧に痕跡を消している。いや、逆に完璧すぎる。
サトウさんの冷たい推理
「これは、後見制度を悪用した名義の仮装です。たぶん叔母は存在していないか、実在していても別の目的で動いている」。
さすがサトウさん、司法書士の僕が気づかない盲点を的確に突いてくる。やれやれ、、、正直、ちょっとだけ悔しい。
でもその冷静な目線が、案件の核心に迫っていく。
彼女の一言で空気が変わる
「この印鑑証明、発行元が隣県になっています。住所と合っていません」。サトウさんの指摘に、空気がピリッと引き締まった。
つまり、住所地ではないところで印鑑登録がされていたということ。それは通常ありえない。
これは本格的に、ただの登記ミスではない。犯罪の匂いがする。
調査開始と市役所への訪問
僕とサトウさんは、その足で市役所へ向かった。事情を話し、戸籍と住民票を確認させてもらう。
そこで出てきたのは、もうひとつの真実だった。後見人の名前は、数年前に死亡していたのだ。
つまり、現在も有効な後見登記は存在してはならない。
戸籍に浮かぶもう一人の存在
更に追いかけてみると、彼女には双子の姉がいたことが判明した。両親の死後、その姉が叔母の名を使って後見人になりすましていた可能性が高い。
「名義貸しどころか、名義なりすましですね」と僕が言うと、サトウさんは小さくうなずいた。
これは、法の隙間を突いた手口だ。
後見人の家と庭の郵便受け
最後の手がかりは、登記住所に残された古い家だった。誰もいないはずの家には、ポストに投函されたばかりの封書があった。
それは、僕たちが出した登記簿の写し。つまり、誰かが今もここを見ている。
「時間との勝負ですね」とサトウさんが言った。
誰も出ない家に残された紙袋
玄関先に無造作に置かれた紙袋。その中には、被後見人名義の通帳とキャッシュカードが揃って入っていた。
そして何より衝撃だったのは、その通帳に記された大金の引き出し履歴。成年に達する直前、全額が引き出されていた。
これは完全に、計画的な横領事件だった。
「やれやれ、、、結局こうなるのか」
警察と家庭裁判所に報告を行い、後見登記の抹消と法的措置の準備が始まった。
事件はこれで終わるが、彼女の信頼は簡単には戻らないだろう。制度の中で起きた犯罪は、制度そのものを疑わせてしまう。
「やれやれ、、、やっぱり人間の方がよほど複雑だ」。
消えた後見人と残された遺言案
結局、偽の後見人を演じていた姉は姿を消した。だが彼女が残した書類の中には、被後見人に遺言書を偽造させようとした痕跡もあった。
未成年者にとって後見人は守り神のような存在だ。だが今回、その仮面の裏に潜んでいたのは金への執着だった。
まるで「サザエさん」の三河屋さんが、実は裏で情報屋をしていたような裏切りだ。
司法書士の一筆が事件を解く
最後に僕が作成したのは、正しい後見人変更手続きのための一筆だった。それを家庭裁判所に提出することで、ようやく彼女の成年としての人生が始まる。
「ありがとうございます……」そう言って、彼女は深く頭を下げた。その瞳の奥には、少しだけ光が戻っていた。
誰かのために書いた書類が、誰かの人生を守ることもある。そう信じて、僕はまた次の依頼に向かう。