司法書士事務所に持ち込まれた相談
午前10時、湿気のこもった夏の空気の中で、古びたスーツを着た男が事務所に現れた。
「相続の相談なんですが……」と切り出したその声には、どこかよそよそしい響きがあった。
机の向こうで書類を広げながら、サトウさんはすでに眉をひそめていた。
妙に曖昧な遺産分割の話
被相続人は2ヶ月前に亡くなったという。相続人は相談者を含む兄弟3人――のはずだった。
「他には?」と問いかけると、「いえ、それだけです」と即答。
だが、その目が泳いだ瞬間、何かを隠していることがわかった。
相続人の一人が隠していたこと
後日、役所から届いた戸籍に目を通すと、知らない名前がひとつ。
「ミツコ?」と俺が呟くと、サトウさんが小さくため息をついた。
相談者は、異母妹の存在を故意に伏せていたようだった。
遺言書の写しと登記簿のズレ
古い筆跡で書かれた遺言書の写しには、「財産はすべて長男に」とあった。
だが、登記簿にはすでに数年前から共有名義になっていた形跡がある。
「時系列が合いませんね」とサトウさん。俺も首をかしげた。
封筒に残された違和感
封筒の裏に残された印鑑が、妙に新しかった。
日付印と朱肉の色、紙質の違い。それらが静かに「これは後で差し替えられた」と語っていた。
「やれやれ、、、やっぱり簡単な話じゃないな」と俺は呟いた。
遺言の日付と死因贈与の噂
ご近所の話によると、被相続人は生前、長男に「土地を譲る」と言っていたらしい。
しかし、それは正式な死因贈与の手続きを経たものではなかった。
むしろ、長男が遺言に見せかけて書類を作った可能性が高かった。
戸籍を辿るサトウさんの腕前
「これ見てください」
そう言って差し出されたのは、遠方の役所から取り寄せた除籍謄本だった。
そこには、被相続人が過去に認知した子の名がはっきりと記されていた。
除籍謄本から浮かび上がった別の名前
「やっぱりミツコさんは実在しますね」
その名前は一度も家族に語られたことのない存在だった。
戸籍の記録が、何十年もの沈黙を破った瞬間だった。
非公開だった認知の記録
家庭裁判所の記録から、被相続人が密かに認知届を出していた事実が浮かんだ。
当時の戸籍法により、彼女は遺産相続の権利を持っていた。
「これは…逆転劇になるかもしれませんよ」とサトウさんがぽつり。
元野球部の記憶が役立つ時
昔の卒業アルバムに、偶然にもミツコさんの名前があった。
「確か、左利きだったよな……」俺の記憶が妙に冴え渡る。
そう、被相続人も左利き。遺言の筆跡が明らかに右手で書かれたものだったのだ。
小学校の卒業アルバムという証拠
「ほらこれ、筆跡とぜんぜん違います」
卒業文集のサインと照らし合わせると、一目瞭然。
遺言は捏造された可能性が非常に高かった。
兄と名乗る男の奇妙な利き腕
さらに決定的だったのは、相談者の手の動き。
契約書に署名する際、左手でペンを持ったのだ。
つまり、遺言を右手で書いたのは、彼ではない――誰か別人だった。
やれやれ、、、真実は一つじゃない
登記と戸籍、証言と記録。そのすべてが綻びを見せ始めた。
「兄さん…ごめんなさい」
ミツコさんの一言に、全員が静かになった。
家族という嘘と登記の真実
最終的に、裁判所で遺言は無効と判断された。
相続登記も無効、遺産は法定相続分で分割されることになった。
「やっぱりサザエさんの家みたいにはいかないか…」と俺が漏らすと、サトウさんは鼻で笑った。
最後に浮かび上がる本当の相続人
相続人としての正当な立場を得たミツコさんは、「これで父に胸を張って会えます」と言った。
サトウさんが「じゃ、登記の準備進めますね」と業務モードに戻った瞬間、
俺はようやく椅子にもたれて深くため息をついた。「やれやれ、、、」と。
事件のあととサトウさんの皮肉
「やっぱり、人間関係の登記が一番ややこしいですね」
サトウさんのその一言に、俺は返す言葉が見つからなかった。
窓の外では、今日もまた誰かが相続のことで揉めているに違いない。
名義変更と沈黙の報酬
登記が完了するまでの間、相談者からの連絡は一切なかった。
ミツコさんだけが、事務所にひとこと礼を言いに来た。
その背中を見送りながら、俺はそっと独り言を漏らした。「やれやれ、、、また仕事が増えるな……」