独立してよかった日と後悔で眠れなかった夜

独立してよかった日と後悔で眠れなかった夜

独立して見えた景色は本当に自由だったのか

会社員時代には「自由になりたい」「自分のペースで仕事したい」と強く願っていました。決裁をもらうまでに時間がかかる、無駄な会議ばかり、他人の尻拭いで残業…。あの息苦しさから解放されるには、独立しかないと思ったんです。でも、実際に自分で事務所を構えた途端、その“自由”の定義がガラッと変わりました。好きな時間に仕事ができる代わりに、好きな時間にしか仕事が来ない。案件は選べても、選んだ責任は全部自分。思ったよりも、自由って孤独で、重いものでした。

朝の時間に感じた最初の解放感

独立して最初の数週間は、朝がとても快適でした。決まった電車に乗らなくていい。スーツを着なくてもいい。誰にも「おはようございます」と挨拶しなくていい。コーヒーをゆっくり飲みながらパソコンに向かう、そんなゆるやかな始まりがうれしくて仕方なかったんです。「これが自由か!」と、ちょっとした勝利を感じていたのを思い出します。でも、その快適な時間も、実は自分が仕事を“していない時間”であることに、後から気づくんですけどね。

誰にも縛られないはずが逆に増えた不自由

自由だと思っていた毎日が、実は不自由の連続だった。これは皮肉でもなんでもなく、現実です。やるもやらぬも自分次第という状況は、つまり「全部自分の責任」ということ。体調が悪くても、誰も代わりはいないし、休んだ分だけ収入が減る。元野球部のクセで“根性”で乗り切ろうとするんですが、さすがに40代にもなると身体がついてこない。気づけば、会社員時代よりもずっと“縛られてる”感覚が強くなっていました。

時間に縛られなくなったと思ったら仕事が終わらない

「夜中に作業すればいいや」と思っていると、だらだらと昼間を無駄にし、結局深夜まで仕事が終わらないパターンに陥ります。納期のある登記書類などは特にそうで、「あれ?今日ってもう金曜?」と気づいたときには手がついていなかったりします。時間を自由に使えるようで、自由にしすぎると結局自分の首を締めるだけ。これが“誰も管理してくれない”ということの怖さでもあります。

好きなようにできるがゆえに決断の重さがのしかかる

事務所の方針も案件の選別もすべて自分。ありがたいようで、プレッシャーが強いです。「この案件、請けるべきか」「単価を下げるべきか」「どこまで事務員さんに任せるか」…すべての判断が売上に直結する。ひとつ間違えば信用を失う。経営者としての器が試される毎日に、ぐったりする夜も多いです。特に、先の読めない案件に手を出したときの不安は、胃にきます。

後悔の瞬間はふとした日常に紛れてくる

独立して数年、何度も「やめときゃよかった」と思った瞬間があります。でもそれは大きなトラブルが起きた日じゃなく、ふとした日常の中に隠れているんです。自販機の前で財布の中身を見てため息をつくとき。昼休みに外に出たものの、行き先もなければ話し相手もいないとき。そういう小さな孤独の積み重ねが、じわじわ効いてくるんです。

冷たい事務所と誰もいない昼休み

冬の昼、暖房の効きの悪い事務所でひとりインスタント味噌汁をすする。外に出ようと思っても、商店街の店はほとんど閉まっていて、行き場がない。会社にいた頃は、昼休みの雑談や、コンビニまでの道すがらの何気ない会話が、無意識のうちに心のバランスを取ってくれていたんだなと痛感します。ひとりって、自由と引き換えに、なかなかしんどいです。

給料日に自分の口座を眺めてため息

給料日が来るたびに、事務員さんに給与を振り込んでから、自分の口座を見る。売上が伸びていない月ほど、その瞬間にどっと疲れます。自分の分が、ない。そんな月もあります。独立=稼げる、というのは幻想。もちろん大きく儲けてる人もいますが、少なくとも私のような地方の零細司法書士は、ギリギリです。「だったらどっかに就職すりゃよかったかな」と思わず口をついて出ます。

それでも独立を選んだ理由はなんだったのか

そんな後悔だらけの毎日でも、なぜ独立を選んだのか。自分でも思い返してみると、不思議な気持ちになります。結局のところ、逃げ場所がなかったんだと思うんです。会社員としての自分に限界を感じて、でも資格は持っていた。やってみるしかなかった。そんな、崖っぷちのような気持ちが、背中を押してくれたんです。

正直、会社員では居場所がなかった

私は大卒後、いくつかの会社を転々としましたが、どうにも周りと合わない。元野球部の上下関係気質が裏目に出たり、逆に無理して空気を読もうとして疲れてしまったり。上司とぶつかってばかりで、精神的にかなり参っていました。「もう誰かの下で働くのは限界だ」と思ったのが、独立への第一歩でした。

自分の看板でやってみたいという小さな意地

資格を取った当初は、どこかの事務所に勤めながら経験を積むつもりでした。でも、現実は厳しくて採用されない。だったら、もう自分でやるしかない。そんな開き直りが、今の事務所につながっています。元野球部の意地というか、どこかで「俺だってできる」と証明したかったのかもしれません。

野球部時代の先輩にもらった言葉が背中を押した

独立を迷っていたとき、野球部の先輩がこう言ってくれました。「負けると分かってる試合でも、グラウンドに立たないと始まらないだろ」。この一言が、心に残りました。勝ち負けより、まず“立つ”こと。それが、今の自分を支える柱になっています。

資格を取ったからには一度は勝負したかった

司法書士試験は、決して簡単なものではありません。数年かけて取得した資格を、“安全圏”にとどめておくのは、なんだかもったいない気がしたんです。どこかで、「一度は勝負してみたい」という気持ちが拭えませんでした。結果的にしんどい日々ではありますが、その勝負の舞台に立てたことだけは、よかったと思っています。

事務員さんのありがたみをしみじみと感じる夜

事務員さんがいなかったら、今ごろ事務所はとっくに潰れていたと思います。本当に助けられています。だけどその分、気を遣うことも多くて…。上下関係ではなく「仲間」としての関係性を築きたいと思いながら、距離感に悩むこともあります。優しさと経営のバランスって、難しいですね。

一人だったら完全に潰れていたと思う瞬間

体調が悪くて寝込んだとき、急なクレーム対応、書類のミス…。事務員さんがすぐに動いてくれて、なんとか乗り切ったことが何度もあります。小さな事務所だからこそ、ひとつの動きで全体が救われる。その存在に、何度も助けられてきました。

とはいえ気を遣いすぎて家に帰ってもぐったり

立場的には所長なんですが、やっぱり“雇っている”という意識があると、どうしても気を遣ってしまいます。「怒らせたら辞められる」「でも甘やかしすぎてもダメだ」と悩み続けるうちに、自分の感情を押し殺すクセがついてきます。帰宅してもどっと疲れが出て、誰かに話す相手もいない夜が、いちばん堪えます。

独立してよかったと思えるのはこんなとき

それでも、独立して本当によかったと思える瞬間もあります。それはやっぱり、誰かに感謝されたとき。そして、自分の足で立てている実感を持てたとき。つらさもあるけれど、だからこそ「やってきてよかった」と思える瞬間は、たしかにあるんです。

お客様のありがとうが心に沁みた日

「先生にお願いして本当によかった」と言ってもらえた日。たった一言なのに、数ヶ月分の疲れがすっと抜けていくような感覚になります。人に必要とされる喜び。これは独立していなければ、味わえなかった感覚かもしれません。

ふと昔の自分と今を比べてみた瞬間

ふと、昔の自分と今の自分を比べることがあります。あの頃の自分は、不安ばかりで、何も信じられず、誰かに責任を押しつけてばかりいた。でも今は、全部自分で引き受けて、なんとか前に進んでいる。たとえゆっくりでも、確かに変わっている自分に、少しだけ自信が持てるようになった気がします。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。