はじまりの一通の封書
その朝、事務所のポストには分厚い茶封筒が一通だけ入っていた。差出人の欄は無記名。封を切ると、なかにはコピーされた登記簿謄本と手書きの依頼書が同封されていた。
依頼書には「この名義変更はおかしい。調べていただけないか」とだけ書かれている。送り主の名前も連絡先もない。まるで探偵漫画の第一話のような幕開けだ。
私はふと、かつての名作「金田一少年の事件簿」の冒頭を思い出した。あのときも、すべては一通の手紙から始まった。
土曜の朝に届いた謎の依頼
封筒が届いたのは土曜の朝。出勤前にコンビニの惣菜パンをかじっていた私の気分は、当然ながら一気に重くなった。こういう時に限ってサトウさんは定時通りにしか来ない。
依頼書は明らかに急ぎではないが、気になるのはその登記簿謄本。見るからに古びた土地の名義が、最近になって急に変更されていたのだ。
書類の隅には「旧字体」で記された名字。今どき、こんな字を書く人間はそうそういない。
封筒に書かれた旧字体の名前
登記簿の変更欄にある「齋藤」の「齋」が異様に目に止まった。通常なら「斉藤」か「斎藤」だ。これは明らかに誰かの意図を感じる。
司法書士として、そういう些細な違和感に気づくのは職業病だが、こういう違和感はだいたいロクなことにならない。
私は封筒に戻り、差出人の筆跡をじっと見つめた。どこか、懐かしいような、ぞっとするような記憶が蘇る。
登記簿に刻まれた異変
法務局のオンラインで照会すると、やはりその名義変更はごく最近のものだった。所有者は「齋藤剛」。しかし過去の記録を見ると、そこにはもう一人の人物の名前があった。
五年前の登記には「佐々木清美」の名前が載っていたのに、それが綺麗さっぱり消えている。抹消の記録も見当たらない。
これは明らかに「何か」が隠されている。しかも、司法書士の職権で行われた可能性がある。背筋に冷たいものが走った。
古びた土地の名義変更記録
登記簿の過去の履歴を掘り起こすと、その土地はもともと戦後まもなく、ある婦人が取得したものだった。以後、数十年もの間、誰にも売却されずに静かに存在していた。
それが五年前、突然「齋藤剛」なる人物に移転し、その後再び別人に。しかも最終的な所有者はすでに死亡していることになっていた。
サザエさんで例えるなら、マスオさんが急に波平の土地を自分名義にしていたような、そんな違和感だ。
所有者の失踪と時効取得の関係
どうやら「佐々木清美」という前所有者は行方不明になっていた。所在不明を理由に、第三者が時効取得を主張して名義を移転した形だ。
しかし、それには「10年以上の占有」が必要だ。登記の記録を見る限り、それは成立していない。なのに、なぜ法務局はその登記を受理したのか。
しかも、その際の申請代理人として記載されている司法書士の名前には見覚えがあった。
消えた司法書士の名前
「田之上律子」──かつて隣町の司法書士として知られた名だ。10年前、急に廃業し、消息を絶った。まさかこんな形で再会するとは。
彼女の署名が記された登記申請書類の控えを、私は法務局の職員に頼んで閲覧させてもらった。そこには確かに彼女の印影があった。
だが、同時に不自然さも感じた。印鑑の押し方が、雑すぎる。あの几帳面な田之上先生が、こんな仕事をするだろうか?
職権抹消の不自然な手続き
さらに調べると、ある時期から彼女の職印が使われた登記申請が複数存在していた。それらはすべて、名義人が不在か死亡していた案件だ。
中には所有権が「空き家バンク」経由で買い取られたように見せかけられたものもある。しかし、それらに共通していたのは、登記が一度も職権で見直されていなかったことだ。
これは明らかに闇がある。やれやれ、、、また厄介なものを引いてしまった。
同業者からの匿名通報
その日の午後、事務所に匿名のFAXが届いた。そこには「田之上律子は偽造されている」という短い文と、ある登記申請書の写しが添えられていた。
発信元は非通知だが、FAXの文字には急いでいた様子がにじみ出ていた。まるで「誰かに追われている」ような雑さだった。
それでも、手がかりとしては充分だった。私の中で、点が線になり始めていた。
現地調査と隣人の証言
現地に赴くと、そこはすでに更地となっていた。フェンスに囲まれ、建設予定地の看板が掲げられている。隣家に声をかけると、年配の女性が玄関から出てきた。
「あそこの家、火事で焼けたのよ。五年前くらいかしらね。怖かったわぁ」
その火事がすべての始まりだったのかもしれない。私は手帳にその証言をメモした。
空き地になった旧家屋の痕跡
フェンスの隙間から中を覗くと、地面には焼けた瓦礫の一部がまだ残っていた。だが、建物の基礎や残置物はすべて撤去されていたようだ。
ここに誰が住んでいたのか、なぜ火事が起こったのか。そのあたりの情報は、市の資料館で確認する必要があった。
それにしても、ここまで徹底的に「過去」が消されているとは。
五年前の火事と葬られた噂
市の火災記録によると、あの家は漏電による火災で全焼。そのとき「住民は不在だった」とある。だが、近所の人の証言では、誰かが深夜に出入りしていたという。
さらに、火災後しばらくしてから土地の買い取りが行われた。そして登記名義は齋藤剛へ。
これでようやく話がつながった。すべては、あの火事から始まっていたのだ。
エピローグとラーメンの夜
真相は、地元の不動産屋と偽造登記グループによる土地取得のための計画だった。田之上律子の印鑑は偽造され、彼女自身はすでに亡くなっていた。
警察に資料を提出し、地元の新聞に小さく記事が載った。その日は疲れ切って、サトウさんと深夜のラーメンを食べに行った。
「やれやれ、、、」とつぶやくと、サトウさんは黙ってメンマを分けてくれた。それがなぜか、少しだけあたたかく感じた。