午前九時の依頼人

午前九時の依頼人

午前九時の依頼人

どこか影のある男

八月の蒸し暑さがまだ残る朝、事務所の扉が静かに開いた。入ってきたのは、黒い帽子にサングラスといういかにも「素性を隠してます」と言いたげな中年の男だった。 「土地の名義を調べてほしい」と、ぶっきらぼうに言いながらも、どこか怯えているように見えた。司法書士としての経験が、無意識に警戒心をくすぐった。

登記簿にない土地の話

依頼されたのは山間部にある、今では誰も使っていないと思われる土地だった。しかし、地番を検索しても、法務局のデータベースには一切該当なし。 「昔は畑だったそうです」と依頼人は言ったが、それにしても記録がないのはおかしい。私は一抹の不安を覚えつつ、調査を進めることにした。

サトウさんの冷静な視線

登記簿謄本の違和感

「これ、地番飛んでますよ」サトウさんは謄本を一瞥して指摘した。さすがである。 該当するはずの地番の前後は存在するのに、依頼人の指定した番号だけが消えていた。 地元の法務局に電話すると、「その地番は確かに昔、合筆されて消えた」とのこと。だが、記録には矛盾が残っていた。

測量図と古地図の矛盾

私は法務局の備え付け図面をPDFで取り寄せ、さらに町役場に残る戦後すぐの古地図を調べた。そこには、確かに現在の区画にはない細長い土地が記されていた。 つまり、登記簿からは消えたが、現地には実在していた土地——「消された地番」が存在していたというわけだ。

司法書士の出張調査

山奥の廃屋で見つけたもの

私は、元野球部で鍛えた足腰を頼りに山を登った。林の奥にぽつんと、戦前の農家らしき廃屋が残っていた。草に埋もれた庭先には、苔むした井戸。 その傍らに、手帳のような革表紙の帳面が落ちていた。ページをめくると、昭和初期の筆跡で、土地の耕作記録がびっしりと書かれていた。

境界杭が語る真実

ふと足元を見ると、半ば土に埋もれた境界杭があった。現代のそれとは異なり、木製で文字もかすれていたが、「壱弐六番地」とかろうじて読めた。 それは、失われたとされた地番そのものだった。物理的には、土地はまだここに存在していた。

不審な委任状

偽造か正規か

依頼人から渡された委任状は、一見して問題なさそうに見えた。しかし、印鑑証明書の発行日と照らし合わせると微妙なズレがあった。 「日付を逆算して偽造したのかもしれませんね」とサトウさんがぼそりとつぶやいた。私は、件の依頼人がただ者ではないと確信した。

署名に残る奇妙なクセ

筆跡鑑定を依頼するわけにもいかず、私は昔見た推理漫画を思い出した。怪盗がサインで正体を見破られるエピソードだ。 そう——この依頼人のサイン、「山田太郎」の“田”の字だけが、くっきり楷書体だったのだ。他は癖字なのに、そこだけ不自然だった。

かすかな記憶と古い事件

町役場職員の証言

「その土地、昔はお屋敷があったはずですわ」と年配の役場職員が言った。「地主さん、戦後すぐに行方知れずになって……登記は宙ぶらりんやったような」 私はその言葉に引っかかりを覚えた。登記簿が飛んでいたのは、意図的だったのではないか?

昭和の土地トラブル

調べるうちに、戦後すぐの土地接収騒動に関する新聞記事にたどり着いた。山林の開墾地をめぐって、複数の名義争いがあったらしい。 その記事には、小さく「地主山田氏、失踪」とだけ書かれていた。依頼人の名字と一致している。

所有権移転の謎

失踪した地主の真実

サトウさんの提案で、戸籍謄本をたどることにした。案の定、「山田太郎」は戦後に死亡届が出されていたが、記録上は白紙。 死亡の事実が確認できないため、法的には“生存中”扱いのまま。つまり、所有権は誰にも移っていなかった。

数十年越しの再登場

そして今になって現れた「山田太郎」は、果たして本人なのか。私は役場の裏帳簿で、明らかに別人と思われる記録を発見した。 写真付きの身分証とも一致しない。やはり、依頼人はニセモノだったのだ。

裏で糸を引く人物

司法書士に恨みを持つ男

依頼人の身元をさらに洗っていくと、10年前に相続登記を断ったことがある男の名前が出てきた。 「登記簿なんて、結局は紙の虚構やろ?」当時、彼はそう吐き捨てていた。彼が今回の偽装を仕組んだ黒幕に違いなかった。

消えた過去と再開の動機

彼は、登記簿から消された土地に未練を持っていたのだ。自分の名で登記しなおすことで、かつての父の土地を取り戻そうとした。 しかし、手段が違った。正当な手続きであれば、別の道があったはずだ。

サトウさんの鋭い一手

偽装登記の証拠を突く

「この申請書、日付の書式が法務省の旧様式なんです。最近出回ってないはずですが?」 サトウさんはそう言って、件の書類を指差した。その一言で、私はすべてを確信した。これが決定的な偽造の証拠だ。

登記記録から炙り出した裏付け

本物の記録を電子署名ログから掘り出すと、依頼人が使っていた電子証明書が実在の別人のものであることが分かった。 そこまでわかれば、あとは警察に連絡するだけだった。事件は終わった。

事件の結末と静かな朝

男の正体と土地の真の持ち主

依頼人は、かつての地主の遠縁にあたる人物で、土地に執着するあまり偽装を図ったのだった。だが、その土地はすでに国庫帰属の手続きが進んでいた。 遅すぎた犯行だった。本人も呆然としていた。

司法書士が守るもの

「紙の虚構」だと誰かが言った。でも私は、そうは思わない。登記簿こそが、土地の記憶を継いでいるのだ。 それを守るのが司法書士の仕事——地味だが、重たい責任がそこにはある。

やれやれとつぶやきながら

いつもの日常へ

「やれやれ、、、」と私はつぶやいた。結局、また余計な仕事を増やしてしまった。 だが、サトウさんの冷たい視線が「余計なことをしたのはあなたです」と言っている気がした。

それでも続く書類との戦い

今日もまた、登記申請書の山が机に積まれている。謄本、添付書類、印鑑証明、戸籍。 事件が終わっても、司法書士の日常には終わりがない。でも、それが、いいのかもしれない。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓