朝の鍵と書類の山
朝の陽ざしが事務所の窓をすり抜けて、乱雑な机の上に落ちている未整理の書類を照らしていた。机の角には小さな茶封筒がひとつ、そこには「合鍵」とだけ書かれていた。俺はコーヒー片手にそれを見つめたまま、重いため息をついた。
「また忘れてたんですか」と冷たい声。サトウさんが背後から書類の束を差し出してきた。月曜の朝から責められるのは慣れているが、それでも胃がキュッとなるのだ。
サトウさんの冷たい視線とコーヒーの匂い
俺が何も言わずに合鍵の封筒を手に取ると、サトウさんは無言で別の封筒を差し出した。「こっちが今日の登記申請分です」とのこと。冷たい視線が「余計なこと考えるな」と言っているようだった。
コーヒーの匂いだけが、唯一の慰めだった。いや、彼女の塩対応も一周回って癒やしなのかもしれない。たぶん、だけど。
依頼人は隣の奥さん
その日、訪ねてきたのは事務所の隣にある古いアパートの住人、タケダさんだった。俺より一回りほど若いが、どこか影のある女性で、今日はひどく困った顔をしていた。
「先生、ちょっと相談がありまして…実は夫が家に戻らないんです。でも、あの家に入るには合鍵が必要で…」そう言いながら、手にしていた封筒をそっと机に置いた。
合鍵を渡さなかった理由
中にあったのは、家の権利証と婚姻届のコピー、そして一枚の遺言書だった。ただの行方不明なら警察に相談すべき案件だが、この書類たちはそれだけでは済まない事情を語っていた。
「夫には合鍵を渡していません。信用できなかったんです」そう告げたとき、彼女の目はどこか決意を秘めていた。
空き家と登記簿の不一致
翌日、俺は念のためその家の登記簿を取り寄せてみた。確かに彼女の話どおり、名義はまだ夫名義のままだった。だが、最近なぜか抵当権が外されていた。おかしい。
「住宅ローン、完済したんですかね」とサトウさんがぽつり。俺はその言葉に何かが引っかかった。完済したなら、彼が動いているはずだ。どこに消えたんだ?
名義は変わっていないはずなのに
いや、逆に言えば彼が動いている可能性があるということか。書類上は彼名義でも、何かをしようとしているなら、今もどこかで“家”を使って何かしている。カギがなくても。
「合鍵が使われた形跡があるかどうか…見に行きますか?」とサトウさん。まるでルパン三世の峰不二子のように、さっと立ち上がる。やれやれ、、、俺は巻き込まれるタイプなんだよな。
嘘をついていたのは誰か
家を訪ねてみると、玄関の鍵には傷がなかった。だが、内部には微妙に違和感があった。テーブルの上のコップ、キッチンの湿った流し。誰か、最近までいた形跡がある。
「先生、これ見てください」とサトウさんが床に落ちていたレシートを拾う。日付は三日前。タケダさんが言っていた日付よりも後だ。つまり、誰かが出入りしている。
一枚の委任状の落とし穴
持ち帰った書類を見直すと、気になる記載が一つ。タケダさんが差し出した委任状の印鑑が、何か変だった。印影の一部がかすれていて、しかも古い型の三文判。現住所も違っている。
「これ、偽造の可能性がありますね」サトウさんが冷静に言い放った。俺の背中にじっとりと汗がにじんだ。
元夫の所在と不在
いろんな可能性が頭をよぎった。家に戻ってきていないはずの元夫が、もしかしたら家のどこかに隠れていたんじゃないか?あるいは別の誰かが彼を装って出入りしているのか。
だが、それならなぜ鍵は使われていない?どこから入った?妙な違和感がずっと付きまとっていた。
鍵を持っていた人物の意外な正体
鍵を持っていたのは、実はタケダさんの妹だった。彼女は元夫と密かに連絡を取り合い、彼の留守中に家に入って私物を整理していたのだ。夫の失踪を利用して何かを探していた。
「サザエさんのカツオが押入れに漫画を隠すようなもんですね」と俺が言うと、サトウさんは冷ややかに「そのたとえ、今使う意味ありました?」と返した。ぐぬぬ。
サトウさんの推理
「つまり、妹さんがこっそり家に入り、書類を探していたと考えれば合点がいきます」サトウさんの指摘は鋭かった。鍵を渡していなかったのは夫にではなく、妹に対してだったのか。
いや、それとも妹が勝手に作っていたのか?ならば彼女が言っていた“信用できない”というのは、夫ではなく…。
登記と鍵の矛盾点に気づく瞬間
「先生、この登記簿見てください。住所が少し違います」そう言われて確認すると、確かに番地が一つずれている。つまり、この家は…実は別人の名義の家だった。
一瞬、何が起きているのかわからなくなった。誰の家だったんだ?それにしても…ややこしい。
深夜の空き家と小さな音
深夜、俺たちは改めて家を見に行った。すると、奥からガタリと音がした。「まさか…」と呟きながらそっと中に入る。台所の隅に、埃をかぶった金庫があった。
それはまるで探偵アニメに出てくるような、隠された真実の在処だった。
誰かが中にいた形跡
金庫の鍵穴には新しい引っかき傷があった。誰かがこじ開けようとした痕跡だ。そして横には小さな封筒。中には、隠されていたもう一通の遺言書が入っていた。
それを見たとき、すべてのピースがつながった。
元夫の証言と矛盾する時間
数日後、警察が元夫を保護した。彼は「別れた家に未練はなかった」と言ったが、金庫の存在だけは「知らなかった」と否定した。その矛盾が、すべてを物語っていた。
「隠していたのはあなただったんですね」と俺が言うと、彼は静かにうなずいた。
決定的だったゴミ袋の中身
妹が家から持ち出していたゴミ袋の中には、古い印鑑と不動産のパンフレットがあった。それは誰かが登記の変更を試みていた証拠だった。すべては、財産目当ての内輪揉めだった。
鍵がすべてを開けるわけではない。渡せない鍵が、守っていたものもあるのだ。
真相は合鍵の先にあった
最終的に家の名義は本来の所有者に戻され、妹は事情聴取を受けた。依頼人のタケダさんは肩の荷が下りたようだったが、どこか寂しそうだった。
「鍵を渡せなかったのは、信頼じゃなくて恐れだったんですね」彼女はそう呟いた。
鍵を渡せなかった本当の理由
鍵を握っていたのは、結局“疑心”だった。誰かを信じるということは、自分を明け渡すことでもある。タケダさんはそれができなかった。それだけの話なのかもしれない。
「それでも、人はまた鍵を作るんですよね」俺がぽつりと言うと、サトウさんは「センチメンタルですね」と鼻で笑った。
事件の終わりと後味
全てが終わった後、事務所に戻った俺は、机の上にあった封筒を静かに開けた。合鍵は、どこか寂しげな輝きを放っていた。誰かのための鍵。けれど、誰も開けなかった扉。
「やれやれ、、、また鍵に振り回されるとはな」と俺は呟いた。
やれやれとつぶやきながら鍵を返す
サトウさんは無言で俺のコーヒーを机に置いた。「ちゃんと片づけてくださいよ」と一言だけ言って、また書類の山に戻っていった。
今日も俺は、誰かの“開けられない扉”の前に立っている。