ある午後の訪問者
曇り空の下、事務所のドアが静かに開いた。背広姿の男が、革の書類ケースを手にして立っていた。冷房の風が一瞬止まったような気がして、私は咄嗟に立ち上がった。
男は名乗りもせず、ただ「登記の件で」とだけ呟いた。眼鏡越しの目は笑っていなかった。
黒いスーツの男と封筒
男は封筒から数枚の書類を取り出し、無言で机に置いた。免許証、住民票、印鑑証明。どれもきちんと揃っているように見えた。
だが、その一連の動作に不自然さがあった。まるで何かを演じているかのような、過剰な丁寧さ。まるでサザエさんの波平が初デートに挑むような、そんな妙な気合いを感じた。
異様にかしこまった態度
「この書類で名義変更をお願いしたいのですが」と男は言った。だが、その声が少し震えていた。
私はうなずきつつ、内心では違和感を感じていた。司法書士としての勘が、ざわついていた。
住民票に記載された矛盾
提出された住民票には、目を引く点があった。本籍の所在地が、数年前に売却された土地と一致していたのだ。
その土地の件、私は偶然にも別の登記で関わっていた。嫌な予感が首筋を這う。
本籍の位置がずれている
念のため、以前の記録を引っ張り出してみた。売却先の名義人と、この男の名前が一致していない。
それどころか、同姓同名の別人として記録があった。これは偶然か、あるいは計画的な偽装か。
過去の転居履歴が曖昧すぎる
住民票に記載された転居履歴は、やけに抽象的だった。市区町村名までは記されているが、番地が抜けている。
普通なら考えられない。これは何かを隠している証拠だ。
サトウさんの鋭いツッコミ
「シンドウさん、免許証の顔、なんか違いません?」と、サトウさんが声をかけてきた。
私は眼鏡を外して画面を睨み直した。たしかに、写真の輪郭と男の顔が一致しない。特に耳の形と鼻筋。
「この人の顔、微妙に違いませんか」
「メイクじゃないですか?」と私が言いかけると、サトウさんは一瞥して「いや、鼻の軟骨までは変えられません」と即答。
やれやれ、、、。彼女には頭が上がらない。
コピーに潜む違和感
さらに見ていくと、免許証のコピーの一部に影が写り込んでいた。原本をスキャンした際に手で押さえたような跡。
それは通常の申請では見られないものだった。何かを急いで用意した形跡がある。
二つの証明書の罠
男が提出したマイナンバーカードと免許証の顔写真に、微妙なズレがあった。
耳の高さ、顎のライン、目の位置。普通の人間は見落とすような細部が、違和感を際立たせていた。
免許証とマイナンバーカード
「どちらが本物なのか」とサトウさんが呟いた。その問いに答えられる者は、今この場にはいない。
ただし、どちらかが偽造である可能性は極めて高い。
発行日と記載内容の不一致
マイナンバーカードの発行日は去年。しかし、住民票の住所変更履歴は5年前に止まっていた。
つまり、このカードの登録は、虚偽の住所を元に行われた可能性がある。
登記情報と照らし合わせて
私は自分の記憶とデータベースを照合した。すると、ある旧登記の情報が浮上してきた。
それは別件で処理した相続登記の記録。その中に、男の名前があった。
古い登記事項証明書を確認
古い登記事項には「実弟からの相続放棄」という一文があった。
つまりこの男は、既に関係を断った兄の不動産を、なりすましで奪おうとしている可能性がある。
接点のないはずの土地名が浮上
住民票に記された本籍地と、件の土地の地番が奇妙な一致を見せていた。
この一致は偶然ではない。計画的なリンクだ。
シンドウのうっかりミス
焦って私は、印鑑証明を先にオンライン提出してしまっていた。
そのため、法務局からの問い合わせが事前に入ってしまったのだ。
「やれやれ、、、」と呟きつつ、取り消しの手続きを進めるしかなかった。
再調査で見えた裏の顔
男の戸籍を辿った結果、驚くべき事実が浮上した。
数年前に失踪した兄の名義で、複数の登記が操作されていたのだ。
本人になりすました理由
弟である男は、兄の財産を狙っていた。家族間の軋轢がそうさせたのか、それとも借金返済のためか。
いずれにしても、その手口は稚拙で、甘かった。
不動産を狙った計画的犯行
兄の名義を用いて、土地を売却しようとしていたのだ。だが、そのための本人確認が最大の壁となった。
サトウさんの鋭い目と、私のうっかりミスが、皮肉にも真相にたどり着かせた。
司法書士としての決断
私は迷わず、登記の申請を取り下げた。そして、法務局に経緯を報告。
たとえ依頼人の意向であっても、不正は許されない。それが司法書士の職責だ。
登記を拒否する勇気
相手が何を言おうと、私は首を縦に振らなかった。静かに、しかし断固とした口調で。
「これは、できません」と。
通報と通達、そして静かな夜
その夜、事務所は久々に静かだった。冷房の音すら、やけに心地よく感じた。
私はコーヒーを飲み干し、椅子にもたれた。
サトウさんの一言で幕引き
「ほんと、証明書って嘘つきですよね」
サトウさんのその言葉に、私は苦笑した。紙の中には、嘘も誠も詰まっている。
だが、それを見抜くのが、我々の仕事なのだ。やれやれ、、、。