朝の来客と一通の申請書
朝のコーヒーに口をつけた途端、事務所の扉が重々しく開いた。入ってきたのは、黒いスーツを着た男。五十代半ば、顔色が悪く、どこか影を引きずっていた。机に差し出された登記申請書は、数ヶ月前に亡くなった人物名義の不動産を、今になって名義変更しようとするものだった。
こういうのは、時折ある。親族間での話し合いが難航していたのだろう。だが、どこか気になる。申請書の端に書かれた住所が、どこかで見たことがあるような気がしてならなかった。
司法書士事務所に舞い込んだ不穏な依頼
「報酬は通常の三倍で結構です。ただ、今日中に何とかお願いします」と男は言った。その必死な様子に、私は少し身構えた。金額が高いほど、こちらが背負うリスクも高くなる。そもそも今日中に登記完了など、不可能に近い。
「今日中は難しいですよ」と答えると、男は一瞬だけ目を細めた。そのまま何も言わず、黙って席を立ち、申請書だけを残して去っていった。やれやれ、、、また面倒なことになる予感がした。
サトウさんの冷静な観察
「報酬が高いときって、だいたい裏がありますよね」と、サトウさんがぼそりと呟く。私は「そんなことないだろ」と言いかけて口をつぐんだ。彼女の直感は、サザエさんのタラちゃん並みに勘がいい。いや、もはや名探偵コナン級だ。
「この住所、去年相続登記した山本さんの土地と同じじゃないですか?」と、モニターを見せてきた。そうだ、あのときは弟が自筆証書遺言を持ってきて揉めていたっけ。あの件と関係があるのか? 急に胸騒ぎがした。
奇妙な報酬の条件
申請書の委任状を見ると、委任者の署名欄には既に亡くなった人物の名前が記されていた。日付は死亡日より後。明らかにおかしい。私はサトウさんに頼み、戸籍と登記簿の再確認を依頼した。
「この申請、偽造の可能性が高いですね」とサトウさん。報酬の高さは、依頼の危うさに比例する法則。昔見た怪盗ルパンの回でも、同じような構図があった気がする。
依頼人が口にした一言の違和感
「報酬は現金で、書類と交換ということで」——そのセリフを思い出していた。まるで書類の方が商品であるかのような言い方だった。司法書士にとって、申請書はあくまで手続きの一環だ。だが、彼にとっては違ったようだ。
何かを隠すため、何かを得るための登記。それが彼の目的なのだろうか。私は一旦、法務局への提出を保留にし、警察へ匿名で相談を入れた。
登記簿謄本と失踪届
翌日、法務局から取り寄せた登記簿謄本と警察からの情報提供が重なった。なんと、数年前に失踪届が出されていた人物が、この不動産の元所有者だったのだ。失踪扱いで相続が進んだにも関わらず、今回はその失踪者名義の委任状が出てきている。
つまり、失踪者はまだ生きていて、何者かがそれを隠していた。そして現在の依頼人は、何かを知っている。まるで推理漫画の中に放り込まれたような展開に、私の頭は軽くパニックになった。
市役所で見つけた矛盾
市役所の住民票閲覧で、さらに矛盾が明らかになった。依頼人が申請書に記載した登記義務者の現住所と、住民票上の転出先が一致していなかったのだ。どうやら依頼人は、過去の住所情報を操作して登記を通そうとしていたようだった。
「ここまで来ると完全に詐欺ですね」とサトウさんが肩をすくめる。その表情は冷たくも的確だった。私は再び、警察へ連絡を取る決意をした。
消えた本人確認資料
提出予定だった本人確認資料のコピーが、突如として事務所から消えていた。机の中をいくら探しても見当たらない。「サトウさん、あの書類、しまった場所覚えてる?」と尋ねると、彼女は無言で監視カメラの映像を巻き戻した。
映っていたのは、昨日の夜、こっそり戻ってきた依頼人の姿だった。スペアキーを使って入室し、資料だけを抜き取っていたのだ。これは完全にアウトだ。
やれやれ、、、これはただの登記じゃなかった
「まったく、登記ってのはもっと地味で平和な仕事じゃなかったっけ?」と、私は頭を抱えた。やれやれ、、、こういう事件に限って、自分が巻き込まれるのが常だ。野球部時代の遠征試合より、今の方がよっぽどハードだ。
しかし、不思議と心は静かだった。相手の意図が分かり、証拠が揃った今、やるべきことはただ一つ。私は警察と法務局に正式な報告を入れた。
サトウさんの推理と私のうっかり
「ところで、シンドウ先生」とサトウさんが口を開いた。「本来ならこの案件、報酬の受け取りは印紙でなければいけないんですよ。現金で受け取る時点で、怪しかったんです」
「う、、、確かに」と私は頭をかいた。最後の最後で、基本のルールを忘れていた自分に呆れる。やれやれ、、、完全にサトウさんの方が探偵向きかもしれない。
決定的な証拠となったメモ
依頼人の残した書類の間から、サトウさんが一枚のメモを発見した。「Y不動産に連絡済。金は月曜に振込」と書かれていた。その筆跡は、依頼人が記載した委任状と完全に一致していた。
これが、動機と手口を裏付ける決定的証拠となった。後は警察に任せるだけだ。
事件の終焉と報酬の代償
依頼人はその後、警察により詐欺未遂の容疑で逮捕された。報酬どころか、余計な罪まで背負うことになったわけだ。不動産を狙っての犯行は、思ったより雑だった。
「結局、何も得ずに終わったわけですね」とサトウさんがまとめた。私は頷いた。正当な手続きの前には、どんなトリックも崩れる。それが司法書士の守るべき正義なのかもしれない。
登記が完了しても解決しないもの
後日、登記は白紙となり、相続人たちの協議で改めて整理された。ただ、残された家族の中には、今回の騒動で完全に信頼を失った者もいたという。
書類だけ整えばいい、というわけじゃない。登記の裏には、いつも人間の感情がある。それを忘れてはならない。
報酬とは金だけではない
「サトウさん、今日はうどんでも食べに行くか?」と誘うと、「うどんじゃなくて定時退社が報酬です」とぴしゃり。私は苦笑して言った。
「やれやれ、、、そのうち誰か、俺のことを登記探偵とか呼ばねぇかな」 サトウさんは、返事もせず黙々と帰り支度を始めていた。