記録なき土地の影

記録なき土地の影

奇妙な相談

午前中、事務所の扉が控えめに開いた。立っていたのは、くたびれたジャケットを羽織った中年男性だった。顔色が冴えないのは、日焼けのせいか、心配事のせいか。

「実家の土地のことなんですが、どうも登記が妙でして……」と男は切り出した。いかにも地方らしい山林付きの古い宅地。だが、登記簿には肝心の所有者の名前が空白になっているという。

所有者不明土地。近年増えている案件だが、それが司法書士の元に舞い込むと、たいていはひと騒動ある。

誰のものでもない土地

持ち主が分からない土地というのは、誰のものでもなく、そして誰のものでもあり得る。放置されて数十年、そこには今も人が住んでいるという。

「亡くなった祖父の家なんですが、固定資産税の通知も届かないんです。何だか怖くて……」

男の言葉に、こちらも眉をひそめる。名義の空白。それは過去の闇を映す鏡かもしれない。

古い地図と登記簿

古い登記簿と地図を照らし合わせる作業は、まるでパズルのようだった。明治時代の地図には確かにその土地が描かれているが、所有者欄はかすれて読めない。

「これ、まるでサザエさん家の家系図みたいに枝分かれしてますね」とサトウさんが呟いた。相変わらず塩対応だが、的確だ。

土地というのは、人と人との関係を記録するものでもある。だがその記録が抜け落ちているというのは、何かを意図的に隠したのではないか。

空欄の所有者欄

所有者欄の空白は、昭和のある時期から続いていた。名義変更がされず、相続登記もなされないまま放置されていた形跡がある。

「戦後の混乱期に、誰かがこの土地を放棄した可能性があります」とサトウさん。冷静な分析に、思わずうなずいた。

だがそれだけでは、なぜ今まで誰も問題にしなかったのかが説明できない。そこにはもっと複雑な理由があるようだった。

サトウさんの冷静な推理

サトウさんは、地方自治体の固定資産台帳と照らし合わせながら、粛々と過去の記録を調べていく。その姿はまるで、名探偵コナンの阿笠博士が発明をしているかのような集中ぶりだった。

「この住所、実は二重登記の可能性があります。別名義での登記も一度あったようです」

それは見過ごせない。司法書士としての本能が、何か裏があると告げていた。

過去の売買契約を洗い出す

昔の売買契約書の写しが、古びたタンスの中から見つかった。筆で書かれた文字に、「昭和四十五年 譲渡」とある。

だが、それが登記簿には反映されていない。つまり非公式な取引であり、登記義務も果たされていなかったということだ。

それは今も昔も変わらぬ、人のうっかりと、意図的な曖昧さが絡んでいた。

封印された過去

その家には、かつて戦争から戻らなかった兵士がいたという。名義人とされるその男は、行方知れずのまま、家族に何も告げずに姿を消していた。

「誰かが名義をいじるのを避けたんでしょうね。まるで供養のように」とサトウさん。

その言葉に、少し胸が詰まる思いがした。人が土地に込める想いは、時に書類よりも重い。

昭和の名義人の痕跡

村の古老に話を聞くと、「あの家は、ずっと空き家じゃった」とつぶやいた。「名義人は東京に行って帰ってこなんだ」

もはや名義人の行方も、所在もつかめない。ただ、家は風雨に晒されながら、そこにあり続けている。

「やれやれ、、、こうなると、もうタイムマシンでもない限り手がかりは無さそうだな」と思わず口からこぼれた。

思いがけない相続人

戸籍を辿っていくと、名義人の妹が遠方に存命であることが分かった。彼女は高齢で施設に入っていた。

「兄の土地? ええ、そんな話は聞いてませんが……」と、困惑する声。だが戸籍上の繋がりは紛れもない。

相続登記を依頼され、ようやく土地に光が差し始めた。

戸籍から導かれる血縁

戸籍は、まるで忘れられた迷宮の地図のようだった。何十年も前の出来事が、今を動かす力になる。

「やっぱ戸籍って大事ですね」とポツリとサトウさんが言った。たまには素直な感想も言うらしい。

血縁とは、意識せぬまま受け継がれていく責任でもある。

境界線を越えた動機

さらに調査を進めると、隣接地の住民が勝手に土地を使っていた事実が判明した。畑を広げるために、境界線を曖昧にしたらしい。

「これ、明らかに越境ですね」とサトウさん。指差すその境界は、目印すら曖昧だった。

記録が無ければ、欲望が境界を侵す。それが人の業というものか。

名義を隠した者の存在

そしてついに、非公式な売買を仕掛けた当事者が、すでに亡くなっていることが確認された。土地の取得を急ぎ、名義変更をしなかったのは、何か事情があったのか。

「税金逃れか、相続争い回避か……何かがあったのは間違いないですね」とサトウさん。

だが、すべてはもう過去のこと。今はそれを正しく整理するのが我々の仕事だった。

やれやれとつぶやいて

無事、相続登記を終え、相談者に土地の正式な証明書を渡した時、彼は深く頭を下げた。

「本当にありがとうございました。ようやく父の家に帰れる気がします」

やれやれ、、、またひとつ、地味だけど大事な仕事が終わった。目立ちはしないが、誰かの人生を少しだけ前に進めた。

司法書士としての仕事とは

派手な活躍はない。だが、司法書士の仕事は、人と人、人と土地をつなぐ記録の整理だ。誰かがやらなければならない、大切な作業。

「さて、次はどこの謎解きですかね」とサトウさん。もう次の案件を見ているらしい。

休む間もなく、また日常が始まる。

すべての謎がつながる時

全てが解き明かされた後、静かになった古家を訪れた。風が吹き抜ける中、草の匂いと、土の湿った香りが漂っていた。

記録なき土地の影。それは、誰かが遺した無言の記憶だった。

静かに頭を下げ、事務所へと戻った。新しい事件は、もう目の前に迫っている。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓