朝一番の訪問者
事務所のドアが開いたのは、まだ珈琲の香りが残る午前九時だった。
厚手のコートを羽織った中年の男性が、やや躊躇いながらもこちらを見た。
その表情には、疲労と不安、そして微かな焦りがにじんでいた。
疲れ切った顔の依頼人
「兄の相続登記をお願いしたいんですが……」
そう切り出した依頼人の声はかすれていた。
ふと目をやると、その手にはボロボロになった遺産分割協議書のコピーが握られていた。
奇妙な相続登記の依頼
依頼内容は一見すると平凡な相続登記だった。
地方ではよくある「放置された土地」の名義変更。
だが、受け取った資料にはどこか不自然なにおいがした。
一見すると単純な案件
戸籍、住民票、固定資産台帳、どれも形式上は整っていた。
けれど、まるで“整いすぎている”というか、妙に演出されたような印象を受けた。
それは、サザエさんが突然完璧なカレーを作るくらいの違和感だった。
亡くなったはずの兄
登記簿上の被相続人、つまり兄は、二年前に亡くなっていたはずだ。
しかし、その兄が亡くなる直前に“自筆”で所有権を移転したという書類が提出されていた。
まるで死ぬ直前に、「あ、土地やるわ」ってメモを残すようなタイミングだった。
登記簿上の違和感
登記簿の記載日と、死亡日が微妙にズレている。
しかも、そのズレが“都合よく”移転日と一致していた。
これを偶然と片付けるには、司法書士としての鼻が許さなかった。
サトウさんの冷静な分析
「これ、どう見ても偽造ですね」と、サトウさんが淡々と言った。
朝から目も合わせず書類をチェックしていた彼女は、既に違和感を三つ見つけていた。
「字の癖が死亡届と違いますし、日付の書き順も不自然です」
表面上の事実と裏の矛盾
俺はそれを聞いて、こめかみを押さえた。
「やれやれ、、、またか」
年々増えている“にわか不動産詐欺”に、またしても巻き込まれたようだった。
旧所有者の署名に違和感
筆跡鑑定士ではないが、見れば分かるものもある。
署名が妙に力強く、まるで若者のような筆運びだった。
亡くなる直前の人間の手が、こんなに生き生きしているはずがない。
筆跡と日付の不一致
死亡届に添付された医師の診断日と、贈与契約書の日付が一致している。
いや、厳密には“数時間のズレ”があった。
だがそれこそが、まるで名探偵コナンのアリバイ崩しのような、突破口となった。
関係者に聞き込みを開始
近所の住人に話を聞いてみることにした。
こういうとき、顔が広い町内会長が頼りになる。
俺はサトウさんに留守番を任せ、自転車で町内会長の家へ向かった。
町内会長の証言
「あの兄さんはね、寝たきりだったんだよ。
あの時期に筆が持てたとは思えないねぇ」
その証言は、俺の中の“推理回路”に火をつけた。
亡き兄の生前贈与の真相
結局、依頼人の言う「兄の遺志」というのは、遺言でも遺産分割協議でもなかった。
彼が提出していた“贈与契約書”は、作成時点で兄が意思能力を喪失していた可能性が高い。
つまり、無効だ。
浮かび上がる偽造の可能性
真実は、義理の弟が勝手に書いた書類だった。
筆跡は、弟がよく使うゴルフ場の署名と一致した。
これで役所も動く。詐欺罪での立件も視野に入る。
登記原因証明情報の矛盾
提出された登記原因証明情報の記述が変だった。
通常、第三者が作成したような記述になっているが、明らかに素人の文章。
しかも、用紙の下部には「FAX送信済み」の黒ずみが残っていた。
ファックスで届いた資料の罠
依頼人は「全部原本です」と言い張っていたが、それは真っ赤な嘘だった。
どれもスキャン画像を印刷したもので、押印はカラーコピー。
昔の探偵漫画でも、もうちょっと手の込んだ偽造をするぞ。
土地を狙った黒幕の存在
最終的に出てきたのは、依頼人の義理の弟。
兄が亡くなった直後、土地の名義を変えて売却しようと画策していたという。
金額にして数百万。けれど、その代償は大きかった。
依頼人の義理の弟の影
サトウさんがつぶやいた。「それ、売れてたら完全にアウトですよ」
俺も頷いた。「未遂で済んでよかったが……」
その男は、警察に連行された。
真犯人を突き止める決定的証拠
固定資産税の納付書には、兄の名前と共に“使用者”として弟の名が。
さらに、納税証明書の受取印が弟のものと一致した。
この一点突破が、事件を解決に導いた。
一枚の固定資産税通知書
結局、それが決定打になった。
紙一枚が真実を語るとき、司法書士の出番がある。
少なくとも、まだ俺たちの仕事は“紙と印鑑”の世界に生きている。
警察への通報とその後
俺は、所轄の警察署に資料一式を提出した。
刑事さんは呆れ顔だったが、「また登記絡みの事件か」と苦笑していた。
被害が未然に防げたことだけが、救いだった。
司法書士としての判断
登記は“正確であること”が絶対条件。
どんな事情があろうと、偽りを正すことがこの職の責任だ。
やれやれ、、、誰かに褒められることもないのが悲しいけどな。
依頼人の涙と再出発
依頼人は、涙を流して頭を下げた。
「兄の名を汚さずに済みました」
その言葉が、今回の唯一の救いだった。
土地の本当の持ち主のために
正しい登記が完了し、土地は再び故人の名義に戻った。
相続人全員で話し合い、適正な分割が進められることになった。
土地も人も、ようやく静かになれる。
サトウさんの一言で締まる空気
「で、次の依頼は?」
パソコンのキーボードを叩きながら、サトウさんが訊いてきた。
その無機質な声に、俺は苦笑するしかなかった。
「仕事ですから」と塩対応
「いいよな、君は感情がなくて」
「仕事ですから」
……それを言われると、何も言い返せない。
やれやれと言いながら机に向かう
静かになった事務所で、俺は再び書類の山に向き合う。
ホチキスの音だけがカチカチと響く午後。
やれやれ、、、次はどんな事件が飛び込んでくるのやら。