雨の朝に持ち込まれた相談
午前9時。外はしとしとと雨が降っていた。傘をたたみながら事務所に入ってきたのは、黒いスーツを着た女性だった。目の下にうっすらと隈がある。寝不足か、それとも悩みごとか。
彼女が差し出したのは、一通の登記簿謄本だった。手はかすかに震えていた。開いたページには、一つの家に三つの名義が記されていた。
謎の女性が握りしめていた登記簿謄本
「これは、私の家だったはずなんです」と彼女は言った。だが登記簿には、彼女の名前のほかに、男性の名前が二つ並んでいた。しかも、名義変更の時期がバラバラで、理由も異なる。
売買、贈与、相続……理由が複雑に絡み合っていて、何がどうなっているのか、ひと目ではわからない。まるで推理クイズだ。
離婚か売買かそれとも相続か
最初の名義人は彼女の元夫、次に彼女自身、そして最後が見知らぬ男性。登記の時系列は逆らっておらず、名義は順番に移っていた。しかし、離婚と売買、贈与といった理由が噛み合っていない。
「それぞれの変更には、登記原因証明情報が必要です」と説明しながら、僕は心の中でため息をついた。めんどうな案件の匂いがする。
サトウさんの違和感
彼女が帰ったあと、サトウさんが無言で僕の机の上に固定資産税の納付書を置いた。「これは?」と聞くと、「一緒に提出されていました」とそっけない返事。
その中には、第三の名義人である男性の名前で支払われた証明書が挟まっていた。年数は、元夫が出て行った直後のものである。
登記簿の中に潜むもう一人の名義人
問題の人物、第三の男——“藤原”という名前だった。女性の話には出てこなかった名前だ。だが、納税証明と登記簿の時期が完全に一致していた。
これは偶然ではない。何か裏がある。僕は徐々に歯車が動き始める感覚を覚えていた。
住所変更が語る関係の断絶
藤原の住所は、女性と同じ番地だった。しかも登記の翌年に住所が変わっている。つまり、一時的に一緒に住んでいた可能性がある。
「それってつまり……」と、僕の独り言に、サトウさんが「不倫です」とバッサリ言った。やれやれ、、、なんだってうちの事務所にはこういう話ばかり持ち込まれるんだ。
三角関係の輪郭
女性は元夫と離婚し、その後藤原と生活を共にした。そして家を自分名義に変更しようとしたが、登記原因が曖昧なため、司法書士が断ったのだろう。
だから、あえて藤原名義にした。贈与として。だが、それが後にトラブルの火種になる。
離婚届と贈与契約の矛盾
離婚から贈与までの期間が短すぎる。明らかに意図的な手続きだった。恋愛感情が背景にあったとしても、不動産の処理としては強引すぎる。
「こういうの、ドラマだったら泥沼展開ですよね」とサトウさんがつぶやく。サザエさんで言えば、ノリスケが家を持ってイクラちゃんを連れて出奔するようなものだ。
カギを握るのは固定資産税の納付書
納付書が語るのは、家を「誰が自分のものだと思っていたか」という事実だった。支払ったのは藤原。つまり、彼の中ではこの家は自分のものだったのだ。
だが名義変更の直後に別住所に移ったということは、彼にも裏切りがあったのかもしれない。
現地調査で見た真実
週末、僕は現地調査に出かけた。地方の住宅街、築30年の戸建て。庭には錆びた自転車と、誰かの名前が書かれた表札があった。
それは、元夫の名前だった。つまり、最初の名義人だ。まだ出ていっていない、あるいは戻ってきている可能性がある。
庭に残された元夫の私物
勝手口には元夫の釣り道具が残されていた。離婚後も完全には切れていなかったようだ。三角関係ではなく、むしろループ構造のような人間関係。
感情が複雑に絡み合った結果、登記だけが正直に事実を物語っている。まるで、怪盗キッドのようにすべてを見透かしているような。
近所の証言が語る関係の綻び
「最近、前の旦那さんと今の恋人さんが鉢合わせしてね、大声で言い合ってたわよ」近所の奥さんが教えてくれた。愛憎がぶつかり、ついに爆発したのだろう。
僕は首をかしげながら、その様子を思い浮かべた。やっぱりこの案件は、登記よりドラマにしたほうが売れる気がする。
やれやれとため息をつきながら
事務所に戻ると、サトウさんがすでに報告書の下書きを終えていた。すごい。やっぱり彼女は名探偵コナンみたいだ。
「依頼者にどう伝えます?」と聞かれ、僕は机に突っ伏した。「やれやれ、、、もう恋愛沙汰はご遠慮願いたいよ」
司法書士が描く人間模様
紙の上の記録にすぎない登記簿も、人の想いをなぞればそこにドラマが生まれる。三つの名義。それぞれが残した愛と裏切りの痕跡。
登記簿は嘘をつかない。ただ、見えるようにしてくれるだけだ。僕は今日も、静かにその行間を読む。
登記簿が最後に語ったのは
名義変更の裏にある感情の流れ、それがもたらした争い、そしてそれを解決するのは、法ではなく誠意かもしれない。
「次の相談者、もう来てます」とサトウさん。やれやれ、、、終わらない日常がまた一つ、静かに始まる。