仮登記名義人の微笑
朝の来客と謎の依頼書
いつものようにコーヒーの香りが漂う事務所に、スーツ姿の中年女性がやってきた。彼女はやや緊張した面持ちで、書類の束を差し出した。 「この仮登記の件なんですけど……ちょっと見ていただけますか?」 見ると、不動産の仮登記申請書と委任状、そして旧い登記簿謄本のコピーが綴じられていた。
消えた仮登記と謎の申請人
ざっと目を通すと、問題の不動産には確かに仮登記がされていた形跡がある。しかし、現在の登記簿にはその痕跡すら残っていない。 「消えた……?」とサトウさんがつぶやいた。 さらに不審なのは、委任状に記された申請人の名前が現在の住民票にも、どの名簿にも存在していなかったことだった。
サトウさんの冷静なツッコミ
「シンドウ先生、それ……仮登記そのものが“なかったこと”にされてるってこと、気づいてます?」 ソファでうたた寝しそうになっていた私は、思わず背筋を伸ばした。 「……つまり、誰かが意図的に“帳消し”にしたってことか」
旧登記簿の違和感
市役所の保管文書室で旧登記簿を閲覧した。そこには、わずか数日間だけ存在した仮登記の記録が確かにあった。 だが、ページの隅に誰かが書き込んだメモのような字が残っていた。「不要、破棄済」とだけ。 そんな記載があること自体、法的には大問題だ。
司法書士会の古い伝聞
司法書士会の古参職員に尋ねると、ある仮登記の大量抹消が10年前に問題になったという話を聞いた。 「一部の登記官と不動産業者が結託してたって噂もあったな。真相はうやむやになったけどね」 私は手帳にその事件のキーワードをメモした。「仮登記一斉抹消」と。
登記の裏を知る男との接触
後日、近所の小料理屋で、かつて登記官だったという男に接触した。今は酒浸りの中年男だったが、記憶ははっきりしていた。 「そいつはな、裏帳簿ってやつさ。本来の帳簿と別に、見せかけだけの書類を用意してたんだよ」 「やれやれ、、、サザエさんの波平さんでもここまで見逃さないぞ」と私はため息をついた。
調査報告書に浮かぶ偽名の正体
調査を進めるうちに、依頼者が持ってきた委任状の筆跡と、過去のある不動産会社社長の筆跡が一致していることがわかった。 かつて問題になった会社は、すでに倒産していたが、その社長は別名で活動を続けていた。 「仮登記を盾に土地を売買し、不都合になればその痕跡ごと消す……か」
仮登記の申請理由を読み解く
問題の仮登記の理由は「所有権移転請求権の保全」。ただし、売買契約書が存在しない。 つまり契約自体が虚偽、もしくは架空だった可能性がある。 サトウさんは、机に散らばる書類を一瞥しながら言った。「この人、本当は最初から登記する気なんてなかったんですよ」
シンドウのうっかりと偶然の突破口
私は誤って、依頼人から預かった謄本の一部をコピー機に置き忘れた。 翌日、その用紙を見たサトウさんが叫んだ。「これ……別の物件の謄本じゃないですか?!」 そこに写っていた地番は、今回の仮登記とまったく同じ筆界を持つ別の区画だった。
不動産業者が握る真相の鍵
その別区画を管理していた不動産業者に会うと、彼は妙に歯切れが悪かった。 「その仮登記ね……俺は知らねえよ」と言いつつ、古びたファイルを隠すように引き出しへしまった。 私は見逃さなかった。ファイルの背には「売渡承諾書」と書かれていた。
登記官との一触即発の対話
事情聴取のために管轄の法務局へ赴き、当時の登記を担当していた登記官に面会した。 「記録がなければ、それは法的に存在しないことになります」彼は淡々と答えた。 私は静かに言い返した。「記録を消すこと自体が、あなた方の職責を逸脱しているんですよ」
ひとつの仮登記に潜む複数の動機
調べれば調べるほど、仮登記には複数の売買契約が紐づいていたことが明らかになった。 つまり一筆の土地を、異なる名義で複数の人間に仮売買していたのだ。 詐欺とはっきり断定できる証拠も揃い始めていた。
仮登記抹消の駆け引き
証拠を握りつつ、私は依頼人に連絡を取った。「仮登記を正式に抹消してください。でなければ刑事告発します」 数日後、あっさりと仮登記の抹消申請がなされた。 その日、私は久しぶりに「勝った」と感じた。
サトウさんの鋭い推理が導く真実
「最初から不動産を売るつもりもなければ、買う意思もなかった。ただ“登記された土地”という肩書きが欲しかっただけ」 サトウさんは、冷静に結論を述べた。 「だから仮登記で止めたんですよ。手元に残る“物語”だけをね」
やれやれ事件の本質は人の欲か
「やれやれ、、、また人の欲が土地を狂わせたか」と私は事務所のカーテンを開けながらつぶやいた。 サザエさんのオチのように、誰も得をしない結末がこの世にはある。 だが、それでも記録として残すことには意味があるのだろう。
名義人の微笑と過去に消えた影
後日、ふとした偶然で、件の“名義人”とされていた男の写真を手に入れた。 古びた集合写真の端で、彼は静かに微笑んでいた。 その笑顔が、すべてを見透かしているように見えて、私は思わずその場に立ち尽くした。