登記簿が語る静かな嘘

登記簿が語る静かな嘘

序章

静かな町の午前八時

午前八時、事務所の窓から差し込む陽射しは、穏やかな地方都市の空気をそのまま切り取ったようだった。エアコンの風と混ざり合い、なんとも眠気を誘う。机に積まれた登記申請書を前に、私はため息をついた。
「やれやれ、、、また今日も書類の山か」と、口に出すと、斜め向かいの席からサトウさんが冷たい視線を送ってきた。何も言わないが、あの目つきだけで「無駄口叩く暇があるなら進めろ」と言われている気がしてくる。

事務所に届いた一通の封筒

その時、郵便受けの音がした。サトウさんが席を立ち、戻ってきた手には茶封筒。差出人の名前は無記名で、封筒の裏に鉛筆で「至急」とだけ書かれていた。開けると、中には古い登記事項証明書と、短い手紙が入っていた。
「この家のことを調べてください。何かがおかしいのです」
文面はたったそれだけだった。だが、私はその登記簿を見た瞬間に、ある種の違和感を覚えた。

不穏な依頼

サトウさんの違和感

「この書類、どこか変ですね」と、珍しくサトウさんが先に声を上げた。私が気づいた点と同じだった。最新の登記情報の欄が、所有者名だけぽっかりと空白になっていたのだ。
「登記官のミス?」
「いいえ、意図的に消されてる気がします」
その言葉に、背筋が寒くなった。

名前が消された登記簿

通常、登記簿に所有者の名前が空欄になることなどあり得ない。削除や訂正の記録もなく、単に「ない」状態。それは、意図的な加工か、何かを隠すための処理である可能性が高い。
私は、昔見た某探偵アニメの一場面を思い出した。少年探偵が、消された証拠の代わりに隠されたメッセージを読み取る話。まさか、あれと同じようなことが、現実に起きているのか。

過去と現在の境界

二十年前の売買契約

調査を進めると、この物件は二十年前に一度、所有者が変わっていた。その際の売買契約書のコピーが法務局に残っており、それには確かに「高梨雄三」の名が記されていた。
だが、その後の変更登記が存在しない。二十年もの間、物件の権利関係が完全に止まっていたのだ。しかも、高梨の名前は現在の登記簿から完全に消えている。

所有者不明のままの家

物件は現在、空き家となっており、近所でも「誰の家か分からない」とのこと。建物の管理もされておらず、庭木は伸び放題で、雨樋は壊れかけていた。
誰がこの家を売ろうとしているのかも不明だという。所有者不明土地問題が現実のものとして目の前に迫ってきた。

訪問と調査

崩れかけた家の玄関

私とサトウさんは、現地を訪れた。家の玄関は壊れかけており、鍵もかかっていなかった。扉を開けると、埃の匂いと共に、誰かが最近までいたような生活感が残っていた。
新聞や郵便物はなかったが、冷蔵庫の中に半分飲まれたペットボトルがあり、洗面所には使いかけの歯ブラシが置かれていた。

隣人の曖昧な証言

「去年の冬頃までは、誰かが出入りしてた気がするねぇ」と、隣人の老婆が言った。「けど、詳しいことは知らないのよ。引っ越してきたのも、もうずいぶん前だしね」
証言は曖昧だった。だが、その「出入りしていた誰か」が鍵になりそうだった。

見えない所有者

不動産会社の記録の欠落

売買の仲介をしていたとされる不動産会社に連絡を取ったが、既に廃業しており、資料も残っていなかった。代表者は病気で亡くなったとのこと。
この手の情報が消えると、調査は一気に困難になる。だが、どうにも不自然な点が多すぎた。

登記簿に残る最後の名前

唯一手がかりになったのは、登記簿の一番下にうっすらと残っていた旧字体の「髙」の文字だった。正式には消されたはずの所有者の名が、紙の劣化で浮き出ていたのだ。
高梨雄三——やはり、この人物が鍵なのか。

亡き父と隠された遺志

相続放棄の記録

高梨には二人の子がいた。だが、どちらも父の死後すぐに相続放棄をしていた。理由は不明だが、登記されていない遺言書がある可能性が浮上した。
「これ、もしかして、誰かが相続人を装って不正に物件を動かそうとしてますね」
サトウさんの推理は、いつもながら鋭い。

隠された遺言書の存在

町の公証役場に問い合わせると、非公開扱いの遺言書が一通だけ記録にあった。開封には相続人の同意が必要であったが、裁判所を通じて開示されたその内容は、私たちを驚かせた。
遺言には、「この家は町の学童施設に寄付すること」と明記されていたのだ。

遺産を狙う誰か

売却話を進めていた不動産業者

それと同時に、最近この物件を買いたいと名乗り出た業者がいた。調べると、元・高梨家の次男が関係していた。相続放棄しているにもかかわらず、だ。
彼は遺言書の存在を知っていた可能性がある。だが、寄付される前に売却してしまえば、誰にも知られることはない。そう踏んでいたのだろう。

地元議員の影

さらに厄介なのは、その業者の背後に地元の有力議員がいたことだ。学童施設用地となれば補助金が出る。その流れを嫌がっていたという情報も入ってきた。
登記簿の改ざんは、政治の影までつながっていた。

サトウさんの仮説

登記簿の空白が示すもの

「これ、誰かが登記簿を“修正”しようとしたけど、途中で止めたんじゃないですか?」
サトウさんの言葉に、私はうなった。なるほど、登記官の異動、書類の差し戻し、不正を疑われる事務処理。どれも辻褄が合ってくる。

矛盾した日付の謎

日付を見ると、すべての違和感は三ヶ月前の登記変更申請に集中していた。つまり、そのタイミングで誰かが“動いた”ということになる。
誰が、何のために。答えは一つしかない。

事件の真相

父の死と登記の操作

父が亡くなった後、次男は遺言書の存在を知ったが、それを黙っていた。そして、登記簿から父の名前を消すための“抜け道”を利用した。目的は、売却。
しかし、完全に消しきる前に誰かに止められた。それが、公証役場からの照会だったのだろう。

遺産をめぐる兄妹の対立

長女はすでに町を出ており、関与を拒否していた。次男はあくまで実家を金に換えることしか考えていなかった。だが、父はその家に、未来を託していたのだ。
その思いが、サトウさんの冷静な推理によって守られた。

結末とその後

真実と向き合う依頼人

最終的に、遺言は有効と認められ、登記も正しい形に戻された。町の施設として再利用される準備が進んでいる。
私たちの事務所には、誰も礼を言いに来なかったが、それでいい。

登記を戻す手続きの始まり

「また登記申請、ですね」
サトウさんがため息交じりに言った。私は、笑った。
「やれやれ、、、結局仕事が増えただけだな」
だが、心のどこかで、正義を貫けた満足感があった。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓