雨の日の訪問者
古びた傘と泥のついた靴
激しい雨音が事務所の窓を叩いていた午後、入り口のチャイムが控えめに鳴った。振り返ると、年配の男性が泥のついた靴で立っていた。傘は破れかけ、スーツの裾は濡れてよれよれだ。
登記簿の写しと謎の依頼
男性は「この登記簿に記された名前について調べてほしい」と言って、古びたコピーを差し出した。そこには彼の名前とは異なる人物が所有者として記載されていた。だが、彼の話では「これは私の父の土地のはず」だという。
相談室に響く沈黙
サトウさんの冷静な視線
サトウさんは、持ち込まれた登記簿の写しに静かに目を通していた。その眼差しは、見逃しがちな端の文字にも注がれている。彼女の塩対応とは裏腹に、その観察眼は鋭く、見逃しはない。
消された名義人の正体
「この仮登記、何かおかしいですね」サトウさんがぽつりと言った。見ると、かつて存在した名義人の登記が一度抹消された後、別人によって本登記がなされている。「仮登記だけじゃなく、手続きそのものが曖昧です」と続けた。
手がかりは役所の端に
閉庁直前の滑り込み調査
閉庁10分前、私は市役所の登記課に滑り込んだ。担当者が不機嫌そうに書類棚をあさりながら「この時期のものは倉庫ですね」と答えた。倉庫へ案内された先で、埃をかぶった一冊の原本台帳を見つけた。
古い書類の束と見落とされた印
ページの端に、鉛筆で薄く書かれた数字が残っていた。それは旧土地台帳の番号だった。今では使われない形式だが、当時の担当者が移行処理を怠ったことが見て取れた。ここに何かがある、と私は確信した。
地主と借地人のあいだ
遺産か策略か
訪問者の父親は、かつて地主であり、近隣の住人に土地を貸していたという。ところが、登記簿にはその借地人の子と思われる人物の名前が所有者として記されていた。「父は何も譲っていない」と彼は繰り返した。
昔の和解とその裏側
過去の和解書を取り寄せた。そこには、土地を「一時的に貸す」と明記されていた。しかし、そこに付された捺印が父親ではなく、代筆と思われるものだった。まるで誰かがサインの練習をしたような歪んだ文字だった。
隠された登記申請書
書類の余白に残る鉛筆の跡
登記申請書のコピーを取り寄せたサトウさんが、机に顔を近づけて言った。「これ、誰かが後から書き足してますね。鉛筆の跡が消し切れてない」。文字の流れが微妙に傾いており、不自然な追加がなされていた。
サザエさん方式の記憶整理
私はホワイトボードに人物相関図を書いた。まるでサザエさんの登場人物一覧のように、大家・借地人・父・息子と複雑に絡む関係を線で結んでいく。「これ、大家のフネさんがちゃぶ台返す案件だな」と呟くと、サトウさんが無言でマーカーを差し出した。
カタがつかない想い
元妻の登場と真相の一端
話が進むにつれ、元妻が登場した。「あの人、何も言わなかったけど、あの土地を誰かに貸してたのは知ってたの」。彼女の証言が、借地人の一人の息子と密接な関係を持っていたことを示唆していた。
やれやれ、、、人の縁は厄介だ
「やれやれ、、、こんなに複雑な人間関係、書類だけじゃ追えないな」。私は頭を抱えながら、コーヒーをすする。元野球部の直感と、サトウさんの頭脳に頼るしかない展開だった。
司法書士の裏推理
サトウさんの推察と核心への誘導
「仮登記は本登記の予告。つまり、本登記がされる前に抹消されているのは、何か意図的な行為があったということです」とサトウさん。彼女の冷静な推理が、案件の核心を炙り出し始めていた。
野球部仕込みの直感勝負
「ここでバントは無い。強行突破だ」。私は高校時代の監督の言葉を思い出しながら、調査の方向を決定づけた。思い切って元の所有者の弟を訪ねると、彼の口から衝撃の証言が飛び出した。「あれは、兄貴が勝手にやったことだ」。
登記簿が語る最後の真実
名義人が二人いる理由
仮登記された名義は、実は二人の兄弟の共有財産だった。しかし、一方の兄がすべてを自分名義に変えようとしていたことが発覚した。父の死後、遺産相続の際に提出された書類には虚偽の記載が含まれていた。
仮登記の裏に眠る過去
すべての手続きが明るみに出たことで、過去の仮登記にまつわる偽装が明確となった。申請当時は見逃されたが、現代の司法書士の目には不自然さが浮かび上がる。「時代が変われば、嘘も色褪せるんだな」と私はつぶやいた。
静かな解決
書類の訂正と再出発の笑み
正しい登記名義への修正手続きが完了した。「これでやっと父に顔向けできます」と依頼人が深く頭を下げる。サトウさんは一言も発さず、淡々と訂正書のチェックをしていた。
塩対応の中にあった温度
事務所に戻る車内で、私はふと「今日はありがとうな」と口にした。サトウさんはちらりとこちらを見て、「明日からまた雨らしいですよ」とだけ答えた。その言葉に、少しだけぬくもりを感じた。
今日もまた雨が降る
湿った空と心の余白
帰り道、空はまた鈍色に染まり始めていた。雨の気配を感じながら、私は傘を鞄から取り出す。どこかで誰かがまた、誰かの名前を忘れかけているかもしれない。
次の依頼が来る前にコーヒーを
事務所に戻り、ドリップの音を聞きながら椅子に沈む。「今日のは、いい仕事だったな」と独りごちた。けれど、その直後、電話が鳴った。まだ、静かな時間は与えてもらえないらしい。