第一章 朝の訪問者
見慣れない男の依頼
午前9時を少し過ぎたころ、事務所のドアが控えめに開いた。入ってきたのは、地味なスーツに身を包んだ中年の男だった。手には厚めの封筒を持っており、その指先はわずかに震えていた。
「相続の登記をお願いしたいんです」男は名乗るとそう言った。しかし、その視線は私ではなく、壁の時計に釘付けだった。サトウさんが無言でうなずきながら、椅子をすすめる。
不自然に白紙の契約書
「これが遺言書と契約書の写しです」男が封筒の中から取り出した紙には、確かに押印がある。しかし、署名の筆跡がどれも同じに見えた。しかも、契約内容は妙に抽象的で、肝心な土地の場所もあいまいだった。
「こりゃあ、、、一筋縄じゃいかんかもしれんな」そう口に出すと、サトウさんがすかさず「調べておきます」と冷たく言った。彼女の目が、すでに何かを疑っているようだった。
第二章 遺言書の謎
言葉を濁す依頼人
遺言書をよく読むと、被相続人の死亡日が記載されていなかった。普通なら考えられない初歩的なミスだが、逆に意図的な空白に見えた。私は依頼人に質問を投げたが、彼は「よく覚えていなくて…」と視線を逸らした。
サザエさんで言えば、波平が書いた遺言状に「カツオへ」とだけ書いてあるようなもので、全然法的効力が感じられなかった。
土地の名義と不一致の署名
登記簿を確認すると、土地の名義人と契約書の署名者が一致していなかった。しかも、数年前に別の名義人に変更された形跡がある。にもかかわらず、契約書には古い名義がそのまま使われていた。
「これは、、、時系列がおかしいな」私はつぶやいた。事件の匂いが、じわじわと事務所に染み込んできた。
第三章 サトウさんの冷静な指摘
印鑑証明書に残された日付
「先生、この印鑑証明、三年前の日付です」サトウさんが投げかけた言葉に、私は目を丸くした。確かにその日付では、今回の契約と一致するはずがない。
「つまり、契約書の印影が本物でも、日付の整合性がとれないってことか」私はうなる。サトウさんは静かにうなずいたが、その瞳には明確な疑念が宿っていた。
登記簿にない過去の移転履歴
さらに、過去の登記記録を辿ると、本来あるべき中間の移転登記が抜け落ちていた。これは明らかに不自然であり、何らかの意図で書類が改ざんされた可能性が高まった。
「やれやれ、、、また厄介な案件だな」私は思わずぼやく。サトウさんは無言でコーヒーを差し出してきた。彼女なりの応援らしい。
第四章 裁判所からの電話
真夜中にかかってきた通知
その夜、私のスマホが鳴った。珍しく、裁判所の書記官からだった。「仮処分の申立てが出ています。今日の契約に関係しているようです」その一言で、眠気が吹き飛んだ。
「嘘みたいだが、やっぱり事件になったか」私は一人、布団の中でうなずいた。
仮処分申立とその裏に潜む意図
翌日、裁判所から送られてきた資料には、今回の土地が一時的に凍結される内容が記されていた。差し止め請求をしたのは、依頼人のいとこにあたる人物だった。
サトウさんが一言、「これは、遺産争いの匂いがしますね」。その冷たい口調の裏に、鋭い洞察が隠れていた。
第五章 旧登記簿の閲覧
過去に同じ地番で発生したトラブル
法務局で古い登記簿を閲覧すると、十年前にも似たような相続トラブルがあったことがわかった。相手方の名前には、今回の依頼人と同じ苗字があった。
血の繋がりがもたらす複雑さに、私は眉をひそめた。法よりも根深い感情のもつれを感じたからだ。
不動産業者の奇妙な沈黙
さらに話を聞こうと訪れた不動産業者は、私の名刺を見るなり態度を硬くした。「が、こちらではお答えできかねます」その無表情な返答が、かえって怪しさを増していた。
「おいおい、、、これじゃあまるで探偵ごっこだ」私は内心で苦笑した。
第六章 暗号のような地積測量図
角度と寸法が語る真実
地積測量図を見ると、土地の境界線が微妙にずれていた。小さな角度の違いが、他人の敷地を巻き込んでしまうような形になっていた。
「これじゃ、後から買った人が損する構造ですね」サトウさんの冷静な声が、妙に現実的に響いた。
地目変更のタイミング
地目が「田」から「宅地」に変更されたのは、遺言書の日付の一週間後だった。つまり、遺言の内容と実際の土地の性質に食い違いがあったのだ。
それは誰かが遺言を利用して、不動産価値を操作しようとした痕跡でもあった。
第七章 シンドウの推理
一枚の登記簿が示す犯行の動機
登記簿には、亡くなった被相続人の名義がそのまま残っていた。にもかかわらず、依頼人は自分が相続したと主張していた。これは、登記の未了を逆手に取った詐欺的な手法だ。
「意図的に登記を怠った上で、あとから証明を偽装したんだな」私は結論づけた。
偽造された契約書の共通点
印影を拡大して確認すると、過去に別の事件でも使われたゴム印と酷似していた。フォントの傾き、押し圧、朱肉の濃淡。すべてが一致していた。
「証拠は十分だ」私は書類を丁寧にファイリングし、警察への提出を準備した。
第八章 真犯人の正体
地主を装った人物の過去
犯人は、亡くなった被相続人の弟だった。過去に金銭トラブルで縁を切られ、遺産からも外されていた。それを恨みに思い、偽装工作を企てたのだった。
調査の末、すべての証拠がそろったことで、刑事告発にまで発展した。
金に執着する親族の策略
「家族って、時に一番信用ならないんですよね」サトウさんがそうつぶやいた。確かに、登記簿は正直だが、人間はそうじゃない。
司法書士として、記録された事実の裏にある感情を読み解く力が求められていた。
第九章 依頼人の涙
家族の信頼と法の壁
依頼人は、偽造に加担していたことを知らなかったらしい。だが、その甘さが事件を招いた。法の壁は、時に情を切り捨てる。
それでも私は、彼にやり直す機会があることを信じたいと思った。
司法書士としてできること
「登記だけが私の仕事じゃない。真実を見抜くことも含まれる」私はそう自分に言い聞かせた。机の上には、今日も一通の登記申請書が置かれていた。
その文字の一つ一つが、誰かの人生を背負っているのだ。
第十章 やれやれ今日も一日が終わった
サザエさんに出てきそうな終わり方
事件が無事解決した日の夕方、事務所のラジオからサザエさんのテーマが流れてきた。あれだけの騒動のあとに、日常が戻ってくるのが信じられなかった。
「まるで一話完結のアニメだな、、、」私は苦笑いを浮かべた。
コーヒーを片手に一息つく事務所
コーヒーを淹れてくれたサトウさんが、今日は少しだけ微笑んでいた。「次は普通の登記だけがいいですね」そう言った彼女に、私は「やれやれ、、、」と肩をすくめた。
外は静かな夕焼け。明日もまた、誰かの人生と記録をつなぐ仕事が待っている――。