静まり返った夜にだけ現れる感情
昼間は何かと忙しく動き回っている。登記の手配、依頼者とのやり取り、郵便局へ駆け込んで書類を出す。事務所に戻れば、事務員さんがつけておいてくれたポストイットのメモとにらめっこしながら、次の仕事に追われる日々。そんな毎日だから、寂しさを感じる暇もないように思える。でも、夜になると静まり返った部屋の中でふと気が抜ける瞬間がある。そのとき、胸の奥からじんわりと広がるものがある。「ああ、今日も誰とも本音で話してないな」と気づくのは、たいていそんな夜だ。
仕事の充実感では埋まらない空白
司法書士という仕事は、誰かの役に立っている感覚がある。相続登記や会社設立、何十年も放置された名義の整理。感謝されることも多いし、やりがいもある。でも、ふと立ち止まってみると、どこか「役目をこなしてるだけ」という感覚が残る。依頼者の問題を処理することで、自分自身の空白を埋めようとしているのかもしれない。昔は「この仕事が生きがい」と言えた。でも今は「仕事がないと崩れてしまいそうで怖い」と感じることのほうが多くなってきた。
忙しさに紛れて見失っていた「自分」
朝起きて、顔を洗って、スーツを着て、出勤して、メールを返して、書類をチェックして。繰り返されるルーティンに安心していた。でもある日、鏡を見たときに「誰だこれ」と思ってしまった。太ったわけでもない。老けたわけでもない。ただ、表情に覇気がなかった。あの瞬間、自分という存在がどんどん「司法書士」という役割に吸収されていたことに気づいた。役割に飲み込まれた自分は、もう昔みたいに自分の感情を大切にしなくなっていた。
「誰か」と共有できない時間の孤独
自分の生活の中で、仕事以外のことを誰かと共有することがほとんどなくなっていた。たとえば、夜に見たテレビの話とか、スーパーで買った惣菜の味とか、近所の犬が可愛かったとか、そういうなんでもない話をできる相手がいない。友人は家族を持ち、地元の知り合いも疎遠になり、SNSで「いいね」はもらえても、それは一瞬の錯覚でしかない。心の奥底にある「聞いてほしいこと」は、誰にも届かないまま夜が更けていく。
事務所の灯りが消えたあとの虚しさ
夕方、事務員さんが「お先に失礼します」と帰っていった後、ひとりで残業しているときがある。デスクに積まれた書類を見ながら、コーヒーを淹れて一息つく。静かになった事務所に自分のタイピング音だけが響いている。そのときふと、「なんのためにこんなに働いてるんだろう」と思ってしまう瞬間がある。依頼人のため、事務所の維持のため、生活のため——でも、自分自身の心を満たすものは何もないような気がして、少しだけ怖くなる。
一人暮らしの部屋に戻るまでの重さ
帰り道、真っ暗な道を車で走っていると、ラジオのパーソナリティの笑い声がやけに軽く聞こえる。「ああ、今日もこのまま誰にも会わずに一日が終わるんだな」と思うと、ため息が出る。帰っても部屋は無音。お湯を沸かして、レトルトを温めて、テレビをつける。その一連の動きに意味があるのかどうか、よくわからなくなる。家に帰るというより、「戻る」だけ。そこには誰も待っていないから。
晩ごはんのコンビニ弁当とテレビの音
コンビニで適当に選んだ弁当。栄養なんて気にしていられない。レジの店員さんとのやり取りが、今日唯一の対面会話だったかもしれない。部屋に戻ってから、テレビをつけるのは無音の部屋に耐えられないから。ニュースキャスターの声が部屋に響いて、少しだけ「誰かと一緒にいる気分」になれる。でも、それは錯覚だってすぐに気づく。食べ終わった容器を片づけるとき、また現実に引き戻される。
無言の時間が語りかけてくるもの
人は無言の時間にこそ、自分の内面と向き合うという。だけど、正直それがしんどい。あえて考えないようにしていたことが、夜の静けさの中でじわじわと浮かび上がってくる。昔付き合っていた彼女のこと、結婚していたらどうなっていたか、自分の性格、親の老い、そして自分の将来。昼間は見ないふりをしている現実が、夜になると一気に押し寄せてくる。「寂しい」と思ってしまう自分を、どう扱っていいかわからない。
独身司法書士という肩書きの裏側
「独立して事務所持ってるなんてすごいですね」と言われることがある。確かに、世間的には安定した仕事に見えるし、名刺の肩書きも立派に映る。でも、その裏でどれだけの孤独と不安を抱えているかなんて、誰にも話せない。司法書士は、他人の人生の大事な節目に関わる仕事だけれど、自分の人生の節目はどこにあるんだろうと、ふと考えると怖くなる。
「結婚しないんですか?」という問いの刺
親戚の集まりや法務局での雑談でよく聞かれる。「結婚しないんですか?」という問い。悪気がないのはわかる。でも、この質問はまるで「あなたの人生、なにか足りてませんよね」と言われているようで、ぐさりと刺さる。こっちはこっちで頑張ってるのに。無理に笑ってごまかしても、その言葉はずっと心のどこかに残っていて、夜になると思い出す。まるで、忘れていた傷を指でなぞるような感覚だ。
モテない自覚と努力しない言い訳
正直、自分がモテるタイプじゃないのは自覚している。顔も普通、性格も地味。仕事に逃げてきた部分もある。だからこそ、「努力すればいいじゃん」と言われても耳が痛い。婚活アプリを入れては削除し、合コンにはもう行く気にもなれず、気づけば「自分はこのままでいいんだ」と言い聞かせるようになった。そうやって、自分を正当化してきた。でも、夜になると、その言い訳が虚しくなる。
羨望と諦めが入り混じる心境
幸せそうな家族連れを見ると、素直に「いいな」と思う。でも、その一方で「自分にはもう無理だろうな」という諦めもある。この年齢になると、現実を直視するようになる。だけど、それでもなお心のどこかで、「もしかしたら」と思ってしまう自分もいる。そんな気持ちが交錯する夜は、とても長い。答えが出ることもなく、ただ布団に入って目を閉じる。
それでも明日はやってくるから
こんな風にネガティブな気持ちで夜を迎えても、朝はまたやってくる。そしてまた同じ日々が始まる。でも、それでいいんじゃないかと思うこともある。誰にも言えない気持ちを抱えていても、生きているということには変わりない。完璧じゃなくても、誰かの役に立てている自分を、少しだけ誇ってもいいんじゃないかと思うようにしている。
朝日を浴びて心をリセットする習慣
最近は、意識して朝にカーテンを開けて朝日を浴びるようにしている。最初はただの気休めかと思っていたけど、これが案外効く。少しだけ前向きになれる。昨日のことは昨日に置いておいて、今日をどう乗り切るかだけを考える。そうやって、自分の心をなんとか繋ぎとめている。司法書士だって人間だ。そんな弱さも込みで、自分を受け入れる朝にしたい。
「寂しさ」も含めて自分でいよう
誰かに愛されていないとダメなんじゃないか、と思っていた。でも、今は少しだけ違う考えもある。「寂しさ」を無理に消そうとせず、それも自分の一部として受け入れてみる。そうすることで、少しだけ心が軽くなった。寂しいときに寂しいと言える場所や人がいなくても、自分だけは自分を否定しないようにしていきたい。そう思えたとき、夜の孤独も少しだけ優しくなった。
誰かのために書くことで救われる夜もある
こうして文章を書くことで、少しだけ心が整理される。誰かに届くかどうかはわからない。でも、もしかしたら同じように感じている司法書士さんや、日々に疲れている誰かがいるかもしれない。そんな人に「自分だけじゃない」と思ってもらえたら、この夜にも意味があったと思える。寂しさの中で生まれる言葉が、誰かの心にそっと寄り添えたら、それだけで十分だ。