しんどさの分だけやりがいもある?

しんどさの分だけやりがいもある?

しんどい毎日の中で見えてきたこと

司法書士という仕事は、一見「先生」と呼ばれてかっこよく見えるかもしれないが、実際は泥臭くて地味な日々の積み重ねだ。朝から晩まで、電話、書類作成、役所対応。ひとつひとつは大したことがないが、連続して押し寄せてくると、まるで波に呑まれるような感覚になる。そんな中でも、ある日ふと「これって何のためにやってるんだろう?」と思ってしまう瞬間がある。だけど、そんな時こそ立ち止まって、自分の歩んできた道を振り返ってみると、少しずつだけど「しんどさの中にも意味があるかも」と思えることもあるのだ。

朝起きるのがつらいのは自分だけじゃない

「朝がつらい」と思う瞬間、まるで自分だけがこの世で取り残されているような感覚に襲われる。けれども、電車に揺られるサラリーマン、朝早くに子どもを保育園に預けるお母さんたち、新聞配達のバイク音…どれも「誰かのしんどさ」の表れだ。結局、みんな何かを背負って生きている。そのことに気づけたのは、40を過ぎてからだった。自分が特別つらいんじゃない。みんなも、それぞれの重さを抱えている。そう思うだけで、少し楽になる朝がある。

眠れない夜と止まらない思考

仕事が終わったあとも、頭の中で今日のこと、明日の予定、あの依頼者の一言…ぐるぐると考えてしまい、眠れない夜が続くこともある。テレビをつけても、YouTubeを流しても、気が紛れるのは一瞬だけ。事務員には言えない。誰かに愚痴るほどのことでもない。でも、心のどこかで「助けてほしい」と思っている自分がいる。布団の中で、何度も寝返りを打ちながら、「明日こそは」と呟いて目を閉じる。

不安と闘う静かな朝のルーティン

朝は、静かだ。静かすぎて、不安がやってくる。PCの前に座る前、少しだけお湯を沸かして、コーヒーを飲む時間が自分にとっての“自衛手段”になっている。特別なことは何もない。でもその数分間があるだけで、「よし、今日も始めよう」と思える。ルーティンというより、儀式に近い。誰にも見られていない、自分だけの小さな儀式だ。

「もう辞めたい」と思った瞬間

事務所をやっていると、「ああもう無理だ、辞めたい」と思う瞬間が本当に来る。むしろ、年に数回は確実に来る。電話口で怒鳴られ、提出書類のミスを見つけ、取引先に無視され、事務員に心配され…。積み重なる「小さな失敗」が、いつか大きな絶望に変わるような気がしてならない。それでも踏みとどまるのは、「ここまでやってきたのに」と思う未練と、依頼者の「ありがとう」の一言かもしれない。

連日の電話とクレームの嵐

一日中、電話の鳴りっぱなしの日がある。登記が遅い、説明が分かりにくい、誰かが何かを忘れた…。特に、立会いが続くと疲労はピークに達する。クレームを受けるたびに、「自分の価値って何だろう」と考えてしまう。でも、そんな日々でも、誰かが「大丈夫です、いつも助かってますよ」と言ってくれるだけで、ほんの少し心が軽くなる。たった一言で救われる自分が、ちょっと情けなくもある。

誰も褒めてくれない現実の壁

この仕事、基本的に「やって当たり前」で、誰も褒めてくれない。役所も依頼者も、スムーズに進んで当然という顔をしている。だから、完璧にやっても無言。ミスをすれば怒号。そんな理不尽に向き合いながら、「誰のためにやっているんだろう」と疑問が生まれる。それでも、不思議なことに続けてしまうのは、もはや習慣なのか、それとも職業病なのか。

それでも続けてきた理由

「やめたら楽になるんじゃないか」そんな妄想が浮かぶことはある。でも、結局またデスクに向かってしまうのは、自分の中に「誰かの役に立ちたい」という思いがあるからだ。と、きれいごとのように聞こえるけど、実際はもっと泥臭い。責任、生活、プライド、そして意地。そんなものが絡み合って、この仕事を続けている。それでも、続けて良かったと思える瞬間が、たまに来るからやっかいだ。

感謝の言葉がふと心に刺さるとき

何気ない「ありがとう」が、深く心に刺さることがある。先日も、相続登記を終えた高齢の依頼者が、帰り際に小さく「助かりました」と言ってくれた。その一言が、疲れた身体をふっと軽くしてくれる。「自分のやってることにも、意味があるんだな」と思える瞬間だ。金額じゃない、効率でもない、そういう“報酬”が一番沁みる。

依頼者の「助かりました」がくれる灯り

事務所の電気を消す前、ふとその日のやり取りを思い出す。疲れていても、「助かりました」の一言が残っていると、それだけで少し報われた気になる。そういう依頼者ばかりじゃない。でも、そういう人が一人でもいるから、明日もやろうと思える。灯りってのは、そんな些細な言葉の中にあるんだと、最近ようやく分かってきた。

事務員さんのひと言に救われる午後

「先生、ちょっとコーヒーでも飲みませんか?」そんな一言に救われる午後がある。事務員さんは、きっと僕がしんどそうにしてるのを見抜いている。無言の気遣いが、どれだけありがたいか。僕が感謝を伝えることは少ないけど、たまには「ありがとう」と伝えようと思っている。…思っているだけで、なかなか言えないけど。

元野球部らしさと仕事の向き合い方

学生時代、野球ばっかりやっていた。根性、声出し、上下関係。いま思えば古臭い文化だったけど、あの経験が今の自分に生きている部分もある。特に、どんなにしんどくても「とりあえず今日一日だけ頑張ろう」と思えるのは、あの頃の練習のおかげかもしれない。踏ん張り方を身体が覚えてるのだ。

根性論だけじゃ乗り越えられない時代

とはいえ、今の時代に「気合いで何とかしろ」は通用しない。若い世代にはそれが嫌われるし、なにより自分自身も昔ほど無理がきかない。根性で乗り越えても、身体を壊してしまえば元も子もない。最近は、適度に手を抜くこと、逃げ道をつくることも「続けるための技術」だと感じている。

チームプレーの精神が生きる場面もある

司法書士の仕事は基本ひとりだ。でも、事務員さんや他士業との連携、依頼者との信頼関係…やっぱり「ひとりじゃない」と感じる瞬間がある。元野球部としては、こういう場面に“チームプレー”の精神が生きていると感じる。個人競技に見えて、実は団体戦なのだ。

しんどさとやりがいの間にあるもの

しんどさとやりがい。その両方を天秤にかけて「やるかやめるか」なんて、そんな単純じゃない。ぐちゃぐちゃに絡まった感情の中に、ほんの少しの喜びや意味を見つけて、それを支えにしていくしかないのかもしれない。しんどさがあるからこそ、やりがいがある。いや、しんどさの中にしかやりがいを見出せないのかもしれない。

独身だからこそ感じる孤独と自由

誰にも縛られない自由がある一方で、誰も待っていない家に帰る孤独もある。独身生活は気楽だ。でも、たまにふと「誰かと今日の出来事を話したい」と思う夜がある。そんなときは、事務所にいる時間が不自然に長くなる。もしかしたら僕は、仕事に逃げているのかもしれない。

「モテない」ことがくれる時間の余白

女性にモテたことはない。でも、それが悪いことばかりではないと思う。予定も自由、土日も自由。恋愛で消耗することもない。だからこそ、こうして文章を書く時間があるのかもしれない。誰かの役に立つ文章が書けたら、それが僕にとっての“モテ”なのかもしれないと、最近は少しだけ思えるようになってきた。

頑張っている人へ伝えたいひと言

しんどくても、今日一日やりきったあなたは本当に偉いと思う。誰も褒めてくれないなら、僕が言う。「えらいよ」って。僕も毎日しんどい。だから、あなたのしんどさに共感できる。しんどさの分だけ、ちゃんと誰かの役に立ってる。自分を過小評価しすぎず、たまにはちょっとだけ甘やかしてやってください。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。