封印された印鑑証明
それは、梅雨も明けきらない蒸し暑い午前だった。事務所に届いた一通の封筒。宛名も書式も整っているが、どこか違和感があった。僕のうっかり癖が警戒心に変わるまでに、数秒もかからなかった。
ある日届いた奇妙な封筒
差出人不明の分厚い郵便物
郵便受けの中で、その封筒だけが汗をかいていたようだった。開けてみると、複写された遺産分割協議書と一通の印鑑証明書が入っている。しかし、差出人の名前がない。不自然さが鼻についた。
中身は協議書と印鑑証明
印鑑証明書には故人の長男・田辺誠一とあった。協議書もきちんと整っているように見える。だが、封筒の中には何かが足りない気がした。まるで『キャッツアイ』の美術品のように、肝心な一点が抜け落ちている。
依頼人の動揺と沈黙
開口一番に放った言葉
「先生、これは間違いなく正式なものです」男の声は揺れていた。背広の襟元を不自然に正しながらそう言ったが、目は笑っていなかった。経験上、こういう依頼には何か裏がある。
どこか様子のおかしい長男
話を進める中で、田辺の目線がやたらと資料から逃げていることに気づいた。兄弟が四人いたという話だったが、協議書には三人の名前しか載っていない。「やれやれ、、、面倒なことになりそうだ」と心の中でつぶやいた。
亡父の意思か誰かの策略か
遺言書がないことの重み
公正証書遺言は存在しない。自筆証書もなし。つまり、遺産分割協議書にすべてを委ねるしかない。しかしその協議書に、いま一つ信頼が置けない。なぜか。書かれていない“誰か”がいるからだ。
押印された協議書の不自然な点
各ページに実印の押印。印影も揃っていた。しかし、日付の並びに奇妙な飛びがあった。次男の欄の日付だけ、他の兄弟より一週間早い。それに気づいた瞬間、サトウさんの声が飛んできた。
サトウさんの冷静な一言
「この印鑑証明、ちょっと変です」
机の上で書類をすべらせるサトウさんの手が止まった。「この発行日、古すぎます。通常は三ヶ月以内のものが必要ですが、これは……四ヶ月前ですね」表情一つ変えずに、淡々と告げた。
日付と有効期限に潜む矛盾
慌てて確認すると、その通りだった。協議書は最近の日付なのに、添付された印鑑証明書だけが過去のもの。しかも、それは原本ではなくコピーだった。コピーされた証明書に効力はない。
登記情報から浮かぶ意外な人物
登記簿に残された痕跡
管轄の法務局から取り寄せた登記事項証明書には、亡父の財産についてまだ名義変更がされていないことが記されていた。しかし、それとは別に、過去に“ある名義変更が拒否された”記録があった。
もう一人の相続人の影
長女の名前がそこにあった。協議書には記載されていなかった四人目の相続人。すでに結婚し、名字も変わっていたが、間違いなく法定相続人だ。除外された理由は、果たして意図的なものか。
真実に近づくための一計
役所と法務局を巡る調査
まるで名探偵コナンの探偵団のように、僕とサトウさんは役所を飛び回った。交付申請履歴、郵送記録、住民票の除票…。証明の欠片を集めていく中で、少しずつ真相が形になっていく。
やれやれ、、、また走り回る羽目に
役所の階段を駆け下りる途中、僕はつぶやいた。「やれやれ、、、どうしてこう、書類一枚でこんなに疲れるのかね」。隣でサトウさんは一言、「体力ないんですよ」と毒を吐いた。
協議書が三通存在する理由
一致する二通と、異なる一通
最初に提出された協議書と控えのコピー、そして登記所に持ち込まれた原本の三通を比較して驚いた。一通だけ、長女の名前が記載されていたのだ。つまり、誰かがそれを改ざんしたということになる。
封印された印鑑証明の行方
長女が所持していた原本の印鑑証明が、なぜか登記所の提出書類に含まれていなかったことが分かった。それは、兄が隠したからだった。動機は「揉めたくなかった」という、よくある言い訳だった。
浮かび上がる偽造と隠蔽の手口
使い回された証明書
兄は以前別件で取得した証明書をコピーし、あたかも今回の協議用として使ったかのように見せかけていた。悪意というよりも、“手間を省いた”結果だった。だが、それが法的に通るわけがない。
誰が何のために仕組んだのか
長女に知らせずに分割協議を進めたのは、遺産の一部を巡る複雑な感情が原因だった。父が生前に長女に内緒で渡していた預金があり、それを「もう十分だろう」と判断したらしい。完全に自己判断だった。
最後の確認と逆転の一手
サトウさんの指摘が導いた真実
「協議書のフォントが違いますね」サトウさんのその一言が決め手となった。コピーの差し替えは稚拙だったが、それでも見逃されればそのまま成立してしまっただろう。気づいたのは、彼女の観察力だった。
うっかりが幸いした一枚のコピー
僕が間違えて封筒の中に入れ忘れていたコピーが、偶然真相を明らかにする材料になった。やれやれ、、、こういう時ばかりは、自分のうっかり癖にも少しだけ感謝したくなる。
遺産分割協議の本当の終結
修正された協議書と本来の権利者
改めて四人全員の合意を取り付けた協議書が完成した。長女は静かに判を押し、「兄さんらしいや」と笑った。争いにはならなかった。それだけが救いだった。
そして今日も書類の山と格闘する
事務所に戻ると、サトウさんが言った。「ところで次の相談、養子縁組がらみです」僕は頭を抱えた。「やれやれ、、、」声にならないため息が、書類の隙間に消えていった。