いつも更新されない恋をしてしまう理由

いつも更新されない恋をしてしまう理由

更新されなかった恋の記憶はなぜこんなにも残るのか

恋愛において、自分の中で「更新されなかった恋」ほど強く記憶に残っているものはありません。何年も前のことなのに、まるで昨日のように蘇ってくる。これは司法書士の仕事でいうと、期限が来た契約書をそのまま引き出しの奥にしまって、なぜか定期的に引っ張り出して見返してしまう感覚に近いかもしれません。思い返すたびに「あれ、どこで間違えたんだろう」と自己検証が始まる。でも答えなんて出ないんです。そもそも、恋には更新契約の説明義務もなければ、解除理由の明記もない。だから余計に引きずるのかもしれません。

初めての恋も最後は自然消滅だった

高校の頃、初めて付き合った彼女は同じクラスのマネージャーでした。野球部だった僕は、その子が差し入れてくれるスポドリを楽しみに練習を頑張っていたんです。だけど、卒業後に進路が分かれ、連絡も徐々に減っていきました。特に喧嘩をしたわけでもない。ただ、連絡をしなくなり、されなくなった。それだけです。まるで定期借家契約のように、更新の意志確認もないまま終了してしまった関係。でも、未練はありました。仕事で使う文書のように、「終了通知」があればよかったのにと今でも思います。

若い頃は勢いだけでどうにかなった

20代の頃は勢いで恋をして、勢いで終わっていました。居酒屋で出会った相手に勇気を出して連絡先を聞いて、数回食事をしただけで「これはいける」と思い込んでしまう。今思えば相手はお試し感覚だったんでしょう。でも僕は本気でした。更新を前提にしていた。でも、期限の提示もなければ、相手からの意思表示も曖昧なまま自然消滅。仕事では「この契約はいつまでか」と確認するのに、恋ではその確認を怠っていた。いや、怠っていたというより、怖くてできなかったのかもしれません。

でも“好き”だけでは更新されない

司法書士の世界では、契約更新には相互の同意が必要です。恋愛も同じだと思うんです。僕がどれだけ相手を想っていても、相手がもうこの関係に魅力を感じていなければ更新されることはない。そこにどれだけ「好き」という感情を注いでも、それだけでは関係は続かない。これは仕事で言えば、相手が求めていないサービスをいくら提供しても迷惑になるだけ、というのと似ているかもしれません。恋においても、独りよがりな“誠意”では継続は難しい。そう学ぶのに、何度も失敗が必要でした。

契約解除されるような恋を選んでしまう癖

自分でも気づいているんです。いつもなぜか、長続きしないタイプの相手に惹かれてしまうことに。仕事では安定性を重視するくせに、恋では“ちょっと危うい”人ばかりを選んでしまう。振り返ってみれば、どの恋も最初から契約期間が限定されていたような、そんな気がします。きっとどこかで、自分には長期契約にふさわしい価値がないと思い込んでいたのかもしれません。無意識のうちに、自分に合わない契約先ばかり選んでいたんです。

優しくしすぎると相手が離れていく矛盾

「優しいね」とはよく言われました。でもその“優しさ”は、相手にとっては重かったのかもしれません。仕事でもそうですが、相手の要望を先回りして応えると感謝されるどころか、「ちょっと鬱陶しい」と感じられることもあります。恋でもそれは同じだったようで、相手の好きなものを覚えていたり、体調を気遣ったり、まめに連絡したりしているうちに、相手がだんだん距離を取り始める。「ありがとう」より「ちょっと冷たくしてほしい」と言われたこともあります。結局、僕は一人で走りすぎていたのかもしれません。

距離感がつかめず空回りする日々

事務所の業務でも感じることですが、距離感というのは本当に難しい。親切にしようとすると近づきすぎるし、距離を保とうとすると「冷たい」と言われる。恋愛でもそれが顕著で、自分ではちょうどいいと思っていた距離感が、相手にとっては不快だったようです。連絡の頻度、会うタイミング、言葉の選び方、すべてがズレていた。相手のペースに合わせようとすればするほど、自分を見失ってしまっていた。結局、自分にとって自然な関わり方がわからなかったんだと思います。

「いい人」で終わるのはいいことなのか

「いい人だったよ」と言われて終わる関係が多すぎる。最初はそれが褒め言葉だと思っていました。でも、だんだんそれが“更新されないフラグ”だと気づいてきた。仕事で言えば「この事務所、感じはいいけどまた頼むかは微妙だね」と言われているようなもの。つまりリピートされないということです。恋愛でも仕事でも、“いい人”では選ばれない。突き抜けた魅力がなければ、契約には至らないんです。そこに気づいたとき、優しさの使い方を少し見直す必要があると感じました。

恋も仕事も途中で切られる怖さに似ている

途中で切られる、という感覚に慣れてしまうと、最初から期待を持たないように自分を守るようになります。恋愛でも、仕事でも。「どうせまた終わるんだろう」とどこかで思いながら関係を築く。これは非常に消耗する生き方です。司法書士としての契約も、最初から「継続されない前提」で組んでしまうと、仕事のモチベーションが続きません。恋も同じ。始まっても、常に終わりのシナリオを頭の中で予測してしまう。そんな癖が染みついてしまっています。

信頼関係は築くより維持が難しい

信頼関係は、築くことよりも維持する方がよほど大変です。特に、日常の忙しさやプレッシャーの中で、ちょっとしたズレやすれ違いが不信につながることもあります。司法書士としても、初回相談で信頼されても、ちょっとした連絡漏れや説明不足で「この人、頼りないな」と思われてしまうことがあります。恋愛でも同じで、最初の印象が良くても、関係が続く中で見せる自分の弱さや至らなさが致命的になってしまう。つまり、“更新”には努力がいるということです。

頑張っているつもりが報われない

一生懸命やっているのに、なぜか報われない。この感覚には何度も打ちのめされました。恋愛でも、仕事でも。「これだけやったのに」という思いが募るほど、結果が出なかったときのダメージは大きい。仕事であれば改善点を検証できますが、恋ではそうもいきません。相手の気持ちが変わったら、もう終わり。それまでの努力は一瞬で帳消しになります。報われない経験が積み重なると、「どうせまた……」と、諦める癖がついてしまうのです。

打ち切られる前に察してしまう癖

仕事でクライアントの態度が少し変わると、「あ、次はないな」と感じることがあります。恋愛でも、LINEの返信が遅くなったとか、会う頻度が減ってきたとか、そういう変化に敏感になってしまう。ある意味、防衛本能なのかもしれません。でもそれは同時に、関係を“更新”するチャンスを自ら潰している行為でもあります。まだ可能性があるかもしれないのに、早々に引き際を考えてしまう。これは、積み重なった“解除経験”が生んだ、悲しい習慣かもしれません。

野球部の頃の方が、まだ単純だった

あの頃は、三振しても怒られても、またバットを握ればチャンスがありました。失敗しても終わりじゃなかった。でも、大人になると一度のミスで契約が切られたり、関係が終わったりする。それが恋でも仕事でも。あの頃の“次がある”という感覚を、今の自分はどこかに置いてきてしまった気がします。本当は恋も仕事も、もう少し気楽に向き合えたらいいのに、どうしても結果を恐れてしまう。野球部のグラウンドが、少しだけ恋しいです。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。