体調が悪いのに休めない現実

体調が悪いのに休めない現実

体調が悪いのに休めない現実

地方の司法書士として独立してから十数年。事務所には事務員が一人だけ。誰かが風邪をひいても、インフルエンザでも、変わりがいない。だからと言って依頼は待ってくれない。ひとたび体調を崩すと「どうして自分はもっと自己管理できなかったのか」と責める。だが本音を言えば、管理もへったくれもない。休めないんだから、どんなに注意していても倒れるときは倒れる。そんな矛盾を抱えながら、今日も無理を押して仕事に向かうのが現実だ。

一人事務所という名の孤島

司法書士として一人で事務所を切り盛りしていると、自由なようでいて、実はがんじがらめだ。何かトラブルがあっても、すべて自分で対応しなければならない。たとえば、登記申請の期日が迫っているときに限って高熱が出たりする。だが、依頼者に「熱があるので延期させてください」とは言えない。野球部時代、「這ってでもグラウンドに来い」と言われた根性論が、今も染みついているのかもしれない。気づけば孤独な無人島で旗を振っているような感覚に陥る。

休めば止まる そのプレッシャーが体を壊す

私が38歳のとき、酷い咳と倦怠感に襲われながらも、予定どおり登記申請を行った。結果、体は限界を超え、救急外来へ。医者に「よくここまで我慢しましたね」と言われたが、我慢したわけではない。せざるを得なかっただけだ。体調を崩して仕事が止まると、信用も売上も目減りする。それが怖くて、薬を飲んで無理にでも出勤する。そんな生活が続けば、体が悲鳴を上げるのは当然だ。プレッシャーとは静かに心と体を蝕んでいくものだ。

替えがきかない現実と向き合うしかない日々

誰かが替わってくれるなら、病院にもすぐ行けるだろう。だが、小規模事務所に代打はいない。顧客対応、申請、書類確認…どれも「少しくらい体調が悪くてもできる」と自分に言い聞かせるうちに、限界の線が曖昧になる。自分の代わりはいない。それを痛感するたび、恐怖すら感じる。それでも、事務所を潰すわけにはいかないから、休む選択肢は浮かばない。こうして「当たり前」が静かに体を追い詰めていく。

誰にも頼れない仕事の構造

中小の事務所というのは、実に脆いバランスで成り立っている。事務員がいても、司法書士業務のコアな部分は自分でやるしかない。だからこそ、体調を崩したときに感じる「誰も助けてくれない」という現実は堪える。まるで一人きりの戦場で応援もなく戦っているような感覚。気軽に「代わってほしい」と言える環境があればどれほど救われるか、と何度思ったことか。

事務員さんにだって限界がある

事務員はいても、専門知識が必要な部分までは任せられない。「今日は少ししんどいから、申請関係お願いね」と言える状況ではない。彼女もフルタイムで働いてくれているし、時には私の咳に気づいて「お薬飲みました?」と心配してくれる。だが、彼女に任せられるのは限られている。逆に「頼られすぎている」と感じさせてしまうことを恐れてしまう。だから余計に自分を追い詰めてしまうのだ。

外注する余裕もなく 自分で抱えるしかない

外注すればいいじゃないか、と簡単に言う人もいる。だが、地方での業務は報酬単価が高いわけでもなく、外注する予算すら確保が難しい。加えて、外注先にも説明や管理が必要で、その時間すら惜しいときがある。結局、「自分でやったほうが早い」となり、自分の首を絞めることになる。これはもはや習慣であり、呪いのようなものかもしれない。

休むことへの罪悪感

「ちゃんと休みなよ」と言われることもある。だが、休むことへの罪悪感はなかなか拭えない。電話やメールが鳴るたびに「返信しなければ」と反射的に動いてしまう。誰かの人生や財産に関わる仕事だからこそ、仕事を止める=迷惑をかけるという意識が強い。それがたとえ熱があっても、頭が痛くても、ノートパソコンを開いてしまう理由だ。

倒れる前に休めと言われても

「倒れる前に休め」って、よく言うけれど、それができれば苦労はない。忙しい時期に限って体調を崩すのが常で、そのときにはもう、スケジュールもパンパン。ひとつズレれば芋づる式に崩れていく。そのプレッシャーの中で、「今日は寝ておこう」とはなかなか決断できない。体よりも仕事を優先してしまうのは、責任感なのか、ただの意地なのか、自分でもよくわからない。

「そんな時に?」と聞こえる無言の圧

依頼者が悪いわけではない。でも、こちらが「体調を崩しておりまして…」と伝えたときの一瞬の間が、妙に突き刺さる。「今、この時期に?」「他の先生に頼もうかしら」という心の声が聞こえる気がしてしまう。実際には言われていなくても、そう感じてしまうほど、自分が勝手に追い込まれている。そしてそれがまた、体調を悪化させる要因になる。

小さな休息の価値を見直したい

忙しい中でも、ほんの少しの休息を取ることが、どれだけ自分を保ってくれるか。最近になってやっと、その重要性を感じるようになった。完璧を目指さない。100点じゃなくてもいい。それよりも、「今日は無理しない」と自分に許すことのほうが、ずっと大事かもしれない。そう思えるようになったのは、倒れそうになった経験のおかげだ。

10分間の昼寝が救うもの

以前は昼寝なんて「サボり」だと思っていた。でも、今は昼食後に10分だけ目を閉じるようにしている。それだけで、午後の作業効率がまるで違う。頭のもやもやもスッと晴れて、「あ、まだやれるな」と思える。ほんのわずかな休息が、体と心のセーフティネットになる。それに気づけたのは、体調を崩し続けてきた結果だ。

ほんの一言の「大丈夫?」が救いになる

ある日、事務員さんが「先生、今日は顔色悪いですよ」と言ってくれた。その一言が、どれほど嬉しかったか。「気づいてくれている」「気にかけてくれている」と思えるだけで、少し気が楽になった。司法書士という職業は、感情を表に出さず、常に冷静でいなければならないと思い込んでいたが、人間なんだから弱って当然だ。そんな当たり前のことに、ようやく気づいた。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。