事務員さんがいなければ事務所はただの空箱です

事務員さんがいなければ事務所はただの空箱です

司法書士は一人じゃ仕事が回らない

司法書士という職業は、なんだかんだで「一人親方」みたいな空気がある。実際、独立してすぐのころは、何でもかんでも自分でやろうとしていた。登記申請の書類作成から提出、電話対応から来客の応対、そして掃除。まるで球場でピッチャーが自分で球を打って、自分で捕球してるようなもので、そりゃ試合にならないわけだ。限界が来たのは、開業3年目。一度体調を崩したときに「あれ、誰も代わりいないじゃん」と本気で焦った。そこから事務員さんを雇うことを決意した。

「全部自分でやれたらなあ」と思っていた頃

開業したての頃は、お金も余裕もない。「人を雇うなんて贅沢だ」と思っていたし、どこかで「一人で全部やってこそプロ」みたいな謎の自負もあった。元野球部の癖か、「エースで四番」を目指しちゃうんですよね。でもその無理がたたって、電話一本で仕事の手が止まる、郵便局に行くだけで午後が潰れる。結果的に、お客様への対応が後手に回る日々が続いた。そんなある日、お客様から「あれ、まだ書類届いてませんが…?」と電話があり、背筋が凍った。確認したら、出し忘れてた。完全に、人的リソースの限界だった。

郵便物を取りに行く時間すら惜しい

たとえば午前中、2件の来所予約が入っていて、午後には法務局に行く予定。その合間を縫って郵便局に行くのがどれほど大変か、やったことがある人にはわかると思う。事務員さんがいないと、確認の電話一本入れるのも後回しになる。細かいことの積み重ねが、信用を蝕んでいく。それでも「自分でできる」と思い込んでいたのは、自分の器を見誤っていた証拠だった。

一人事務所の限界に気づいたきっかけ

あの日、夕方に商業登記の納期が迫る中、申請書の確認をしながら、お客さんからの電話にも対応して、FAXも送って、気がついたら印鑑を押し間違えていた。再提出。スケジュールはズレるし、何より自分にガッカリした。仕事が雑になるのは、集中できる時間が少ないから。その事実を認めたとき、「あ、もう限界だ」と初めて思えた。

事務員さんが来てくれた日のことは今でも覚えている

面接のときから感じていたが、彼女は「できる人」だった。事務所初日、電話が鳴った瞬間にスッと出てくれた。それだけで、肩の荷がすっと軽くなった感覚があった。別に特別なことをしているわけではないのに、当たり前のことが当たり前に進む。これがどれだけありがたいことか、以前の自分にはわからなかった。

何気ない挨拶に救われる朝

「おはようございます」と言われるだけで、朝の空気が変わる。独り言ばかりだった朝が、少しだけ明るくなる。たまに持ってきてくれるコンビニのコーヒーひとつが、どれほど嬉しいか。自分が独身で、家庭のぬくもりを知らないからかもしれないけど、その一言の重さに、何度も救われている。

仕事の段取りが二倍速になる不思議

電話を任せられる、郵送物をお願いできる、書類のファイリングを自動的にやってくれる。そうなると、自分の「本業」に集中できる時間が増える。結果として、処理スピードも精度も上がった。1人でやっていたときの半分のストレスで、倍の仕事が片付いていく。それはもう、魔法みたいな感覚だった。

事務所の「空気」を支えているのは誰か

「あの事務所、なんか感じがいいよね」って言われるとき、正直ちょっと悔しい。なぜなら、それは大抵、事務員さんの雰囲気に対する感想だから。自分がピリピリしてても、彼女がにこやかに対応してくれることで、事務所全体が柔らかい空気になる。その空気の中で、お客様も自分も落ち着いて話ができる。空気をつくるのは、やっぱり人なんだと実感する。

電話応対一つで信用が決まる現実

不動産屋さんや税理士さんからの電話対応で、第一声がどれだけ大切か。昔は「はい、〇〇司法書士です」と無機質に出ていた自分に比べて、事務員さんの「お電話ありがとうございます、〇〇事務所です」の一言の安心感。リズム、トーン、間の取り方、それがそのまま事務所の印象になる。もはや顔より声が看板と言ってもいい。

「感じのいい事務所ですね」と言われるのは誰の手柄か

不動産の営業マンさんが、「御社の事務員さん、いつも丁寧で気持ちがいいですね」と言ったことがあった。少し嫉妬もしたが、同時に誇らしくもあった。裏方のようでいて、最前線を支えてくれている。それを理解してくれる相手がいるのもまた、ありがたいことだ。

お客様との会話の余白を作る存在

事務員さんが先に簡単なヒアリングをしてくれることで、こちらの話もスムーズになる。「ご事情はうかがっております」と言ってから話し始めると、お客様もリラックスしてくれる。初対面の緊張をほぐす存在として、彼女はまさに「空気づくりのプロ」だ。

黙って隣にいてくれるだけで違う

登記の説明で話が詰まったとき、そっと補足を入れてくれる。お客様が困っているとき、視線だけで助け舟を出してくれる。そんな「何もしないようでいて全部支えている」感覚は、まるでキャッチャーのよう。元野球部としては、いいピッチングの裏には名捕手がいるってよくわかる。

事務員さんが休んだ日の地獄

先日、事務員さんが風邪で一日休んだ。朝の段階で「今日は厳しいな」と覚悟していたが、午後には机の上がカオスになっていた。FAXは詰まってる、郵便物は確認できてない、電話は鳴りっぱなし。自分が「何をどこまでやったか」が分からなくなる。頭の中が散らかると、仕事の精度も落ちる。それを一人で実感する日だった。

あれもこれもやるしかない一日

タスク管理アプリを見ながら、未処理の案件を追いかけていくが、どれも途中で中断される。電話が鳴り、来客が来て、郵便局に行って、また戻って書類を確認して…気がついたら昼飯も食ってない。こういう日は、集中力も優しさも全部すり減っていく。

不在票を見てため息が出る

午後、急ぎの書類が届く予定だった。でもその時間、ちょうど法務局にいた。戻ってきたらポストに「不在票」。翌日の再配達を依頼するしかなくなり、予定していたお客様への対応も延期。「ああ、あの人がいてくれたら…」と心の中で何度もつぶやいた。

簡単なミスが命取りになる

慌てて作成した書類で、一桁数字を間違えた。そのまま提出しそうになったが、ギリギリで気づいた。でも、もし見落としていたら? 今頃、再申請で頭を下げていたかもしれない。誰かに確認してもらうというワンクッションが、どれほど大事か痛感した。

人を雇う不安より、いない不安の方がずっと大きい

確かに最初は、人を雇うのが怖かった。お金のこと、相性のこと、教育のこと。でも今でははっきり言える。いない不安の方が、よっぽど恐ろしい。自分が倒れたら、事務所が止まる。そのリスクを軽くするためにこそ、人がいるのだ。

人件費を払う覚悟と対価

毎月の給与は正直、負担ではある。でも、その対価として得られる時間と安心は、数字にできない価値がある。むしろ彼女がしてくれていることを一つ一つ時給換算したら、自分の支払っている額では足りないくらいだと思う。

給料以上の仕事をされてしまう現実

こちらがお願いしていない細かいことまで気づいて動いてくれる。書類の並べ方、備品の補充、郵送の手配…。自分だったら見落としていたであろう部分を、彼女はすでに処理済みだったりする。それに気づいた瞬間、頭が下がるしかない。

頼ることは甘えじゃない

「全部自分でやる=偉い」ではない。誰かに任せることは、信頼の証であり、効率化への第一歩。事務所という「チーム」において、役割分担は必要不可欠だ。甘えじゃなくて戦略。そう考えるようになってから、自分の心にも少し余裕ができた。

「全部自分で」はただの自己満足

結局、一人で全部やるって自己満足だったんだなと、今ならわかる。お客様は「誰がやったか」より「ちゃんとやってくれたか」を見ている。そのためには、信頼できる人と一緒にやることが、一番の近道なのだ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。