昔の恋人もいまや除籍扱いという現実

昔の恋人もいまや除籍扱いという現実

恋人も過去も除籍で片付くという現実

かつて笑い合い、未来を語り合った相手が、いまや「除籍済み」と印字された一行の記録に収まっている。司法書士という職業柄、人の人生が紙と印鑑でいとも簡単に処理されていく現場を何度も見てきた。でも、ふとした瞬間、自分のかつての恋人が「除籍」という事務処理で語られる対象になったことに、心がざわつく。感情と記録との温度差に、妙な寂しさを覚えるのだ。

法的にはただの元他人

どんなに一緒に過ごした時間があっても、戸籍の上では関係が消えてしまえば、もう他人。それが法の世界の冷たさでもあり、正確さでもある。書類の処理を終えても、心が処理を終えていないと感じる依頼者は多い。だが、それを言葉にできる人は少ない。自分もまた、同じように言葉にならない違和感を抱えている。

除籍謄本に残された名前の重み

あるとき、依頼者の離婚後の登記で、除籍謄本を目にした。その中にあった旧配偶者の名前を見て、依頼者が数秒間黙った。私にはその沈黙の意味がよくわかった。書類としてはもう終わった話なのだが、その名前はただの記号ではなく、確かに誰かの人生の一部だった。まるで、自分の胸の奥にしまった名前が浮かび上がるような気がした。

役所での手続きに感じる無情さ

役所の窓口は常に淡々としている。除籍謄本を請求しても、笑顔も慰めもない。仕事だから当然だけど、たまにその事務的なやりとりに、やけに心が冷えることがある。自分が彼女と別れてしばらく経った頃、試しに自分の戸籍を見たことがある。「変更なし」と書かれていた紙を見て、なんとも言えない気持ちになったのを覚えている。

気持ちの整理と記録の整理は別物

書類が整理されても、気持ちはそう簡単には整理できない。登記簿がきれいになっても、心の中にはモヤが残る。それが「人間らしさ」なのだろうけれど、司法書士という立場では、ついそのモヤに目をつぶってしまうことが多い。自分の感情にはフタをして、淡々と手続きをこなす。それがこの仕事の宿命でもある。

心は残っても戸籍には残らない

もう10年以上前の話だが、大学時代に付き合っていた彼女と籍を入れかけたことがあった。結局うまくいかず別れたけど、いま思えばその時点で私の人生の中に彼女の名前が確かに刻まれていた。だけど、戸籍には何も残らない。記録に残らない関係は「なかったこと」なのか。そんなふうに考えてしまう日もある。

「除籍済み」という冷たい表現

法的な用語には感情がない。「除籍済み」という言葉も、その一つだ。でも、依頼者にとっては人生の節目であり、時には失恋よりも深い喪失だ。書類にその痛みは載っていない。事務的に処理される中で、気持ちが置き去りにされる瞬間に立ち会うたび、自分の過去も少しだけ疼く。

司法書士という職業の皮肉な日常

他人の人生を記録し、整理し、法律に則って処理するのが司法書士の仕事。でもその裏で、自分の人生は何も動かず、変化も乏しい。忙しさにかまけて、感情に蓋をする日々。皮肉な話だが、他人の心の整理を手伝うことに慣れすぎて、自分の心は放置されたままになっている。

他人の人生を整理しながら自分は置き去り

誰かの相続や離婚、結婚に関する手続きに日々追われていると、ふと自分だけが時代に取り残されているような気になる。みんな前へ進んでいるのに、自分は未だに旧友とLINEもせず、実家の犬の写真だけが癒し。書類はすっきり片付くのに、心はどんどん乱雑になっていく。

自分の戸籍に変化はないまま

事務所でふと戸籍の話になったとき、事務員に「先生の戸籍って真っ白なんじゃないですか」と笑われた。冗談だとわかってはいるが、図星だった。籍を入れたこともなく、もちろん子もいない。親の記載がある以外は、誰もいない自分の戸籍。それが、なぜだか自分の人生の虚しさを物語っているようで、なんともやりきれなかった。

あの人が結婚した時も書類で知った

共通の知人の登記案件で、偶然元恋人の名前を見かけた。結婚して名字が変わっていた。幸せそうだった。なぜかその時、自分は書類の向こうに立ち尽くしたような気持ちになった。過去はもう過去でしかないのに、それを「現在の記録」として目の前に突きつけられることの苦さ。仕事中だったけど、しばらく動けなかった。

元恋人の名前を消す側の気持ち

ある離婚届の登記処理で、夫婦の片方の名前を記録から外す手続きがあった。表向きは冷静に、事務的に処理する。だけど、もしそれが自分のかつての関係だったらと思うと、ぞっとする。誰かと心を通わせた記録が、こうもあっさりと「除く」だけで済んでしまうのかと、妙に空しくなった。

書類には心の余白がない

法務局に出す書類に「気持ち」なんて項目はない。あくまで事実だけを、正確に、客観的に。それが司法書士の仕事だ。けれど、依頼者の目に浮かぶ涙や、黙り込む沈黙を見るたび、書類の中に書き込めない「余白」があることを痛感する。余白のない記録は、時に人を余計に苦しめる。

記録と感情のズレに悩む時

毎日膨大な書類を扱う中で、「記録」と「感情」のズレを感じる瞬間が増えた。登記が完了しても、それで全てが終わったわけじゃない。とくに、自分自身の中には、整理されずにくすぶり続けている思いがある。それが「昔の恋人」だったり、「もう戻れない何か」だったり。除籍という言葉に、ふと感情が引っかかる理由は、たぶんそこにある。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。