仮処分がほどいた真実の縁

仮処分がほどいた真実の縁

朝の電話と見知らぬ依頼人

仮処分を急ぐ男の声

午前8時45分。まだ事務所のシャッターを開けていないというのに、事務机の電話が鳴った。受話器の向こうからは、切羽詰まった声の男が仮処分を至急でお願いしたいという。話があまりにも早口で、こちらが相づちを打つ隙もない。

「不動産の仮処分をお願いします。今日中に、いや、できれば午前中にでも書類を出してほしいんです」 その要望を聞いた瞬間、コーヒーを飲みかけていた手が止まった。こっちはサザエさんの波平さんほどには短気じゃないが、朝から無茶な依頼はカンベンしてほしい。

やれやれ、、、また厄介な一日が始まりそうだ。

案件ファイルに書かれた旧姓

依頼人の持ち込んだ資料には、不動産登記簿の写しと共に、仮処分申立てに必要な添付資料が一式揃っていた。 だが、それらに目を通していたサトウさんが、ふと顔を上げた。

「この名義人、旧姓で登記されてますね。しかも婚姻解消前の名義のまま。不自然です」 彼女の言葉に、俺は資料をもう一度見返す。確かに、名義人の名前が今の戸籍と一致していない。登記が放置されているケースは多いが、ここまでタイミングが絶妙だと何かを隠しているようにも思える。

過去を隠す登記申請

書類に仕掛けられた違和感

仮処分申請そのものに違法性はなかったが、何かがおかしい。理由の説明が妙に曖昧で、「権利保全の必要性」が書かれた申立書にすら感情的な言葉が多すぎた。

この違和感。言葉で説明するのは難しいが、まるで映画の怪盗ルパンが煙幕を張って逃げたあとのような、ごまかしの匂いがある。 依頼人は仮処分で不動産を凍結させようとしている。しかしそれは果たして正当な目的なのか。

サトウさんの冷静な推察

「この人、本当に不動産を守りたいんでしょうか? むしろ“誰かに渡させないように”しているように見えます」 サトウさんの目は冷静だった。 まるでコナン君が阿笠博士のトンデモ発明に眉をひそめるときのような、確信に満ちた視線。

その言葉に、俺の中で何かがつながりかけていた。これは単なる仮処分ではない。過去の因縁か、あるいは忘れられた約束か。

遺言と遺産をめぐる攻防

仮処分で封じられた遺産口座

午後、地方裁判所に確認を取ると、ちょうど同じ物件をめぐって遺言執行の手続きも動いていることが分かった。仮処分は、その執行を止めるための手だったのだ。

まるでキャッツアイがターゲットの美術品に先回りして細工を仕込むような、計算された一手。しかしその裏には、ある女性の名前が記されていた。依頼人の元妻。名義人は、彼女だった。

「これは本当に彼の意志ですか?」

俺たちは、相続人の一人に連絡を取った。すると、驚くべきことに、仮処分を申請した男が、故人の意志を無視して遺言を止めようとしているという情報を得た。

「父はあの人にだけは渡したくないって言ってました」 相続人の声は震えていたが、真剣だった。 それを聞いて、俺の中でもう一つの確信が芽生えた。これは単なる登記トラブルじゃない。真実と嘘が交差する、人間の業の物語だ。

名義変更の裏にある謎

生前贈与と養子縁組のからくり

調べを進めるうちに、亡くなった名義人が、過去に生前贈与や養子縁組をしていたことが分かってきた。 その登記記録と戸籍を照らし合わせると、どうにも辻褄が合わない部分がいくつもあった。

「ここです。この日付、合いません」 サトウさんが指摘したのは、養子縁組の届出日と、贈与契約書の締結日。順序が逆だ。 つまり、契約書は後付けされていた可能性がある。

かすれる署名と日付のずれ

さらに契約書の原本を精査すると、署名のインクだけが妙に薄く、他の部分よりも明らかに新しい。 日付の部分だけ修正されたような跡も見つかった。

仮処分の名目はあくまで財産保全。だがその裏では、法をかいくぐる偽装が行われていた。 これが明るみに出れば、依頼人はただの申立人では済まない。

別れた妻の名前が語るもの

仮処分が結んだ最後の接点

登記簿の旧名義、そして残された遺言、さらには戸籍の変遷。 全てを追いかけると、浮かび上がってきたのは一つの事実だった。 この仮処分がなければ、元妻の存在は誰にも知られず、彼女もまた何も受け取れずに終わっていただろう。

仮処分は、実は「拒絶」ではなく「繋がり」だったのだ。 皮肉にも、それが最後の縁だった。

真相にたどり着いたサイン

遺言の真贋を決める最後の証拠

裁判所に提出された遺言の写しを再確認すると、サトウさんがとあるサインを見つけた。 それは、生前の名義人しか使わなかった癖のある「止めハネ」。それが、真作の証明となった。

「この筆跡は間違いなく本人のものです」 たった一つの線が、依頼人の偽装を崩した。 登記の世界では、小さな違和感がすべてを動かす。

サトウさんの一言がすべてを繋げる

「仮処分って、人の心も保全できるんですね」 サトウさんが呟いたその言葉に、俺は少しだけ笑ってしまった。

「やれやれ、、、お前が言うと皮肉にしか聞こえん」 でも、確かにそうかもしれない。 法というのは、時に冷たく、時に人を救う。

二人の運命が交わる場所

仮処分が果たした役割

登記は無事に訂正され、仮処分は取り下げられた。 だが、事件の本質は「財産」ではなく「関係」だったのだと思う。

争いの中にも、誰かが誰かを思った痕跡がある。 仮処分は、その形見だったのかもしれない。

失われた家族と司法の境界線

不動産という形で残った家族の記憶。 それを巡る人々の葛藤。俺たち司法書士の仕事は、その調停者でもある。

サザエさんの波平よろしく「それが筋というものだ」とは言えないが、今日だけはちょっとだけ誇らしい気持ちだった。

事務所に戻った静けさ

サトウさんのコーヒーと無言

事件が終わって戻った事務所には、いつものコーヒーの香りが漂っていた。 サトウさんが黙ってマグカップを差し出す。ありがとう、という言葉は要らなかった。

静かな空気の中で、一息つく。やっと、今日が終わる。

「これでまた少し、、、眠れそうだな」

俺はつぶやいた。 仮処分がほどいたのは、不動産の問題だけじゃない。人の記憶と、心の結び目だったのだろう。

次の依頼の電話が鳴るまで、あと数分は眠れる気がした。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓