仕事が終わらない夢を見た朝に思ったこと

仕事が終わらない夢を見た朝に思ったこと

朝からぐったりする夢の後遺症

目が覚めた瞬間、全身がどっと重かった。時計を見ると、まだ6時過ぎ。眠ったはずなのに全然休んだ気がしない。そうだ、夜中ずっと夢の中で仕事をしていた。相続登記の相談に追われ、書類を探し、期限を気にして焦っていた。現実と同じように、夢の中でも僕は走り続けていた。目覚めた瞬間に「今日も仕事か」と思う朝と、夢の中でも仕事だった朝では、疲労感の種類がまったく違う。朝のコーヒーすら苦く感じるのは、たぶん心のどこかで限界を感じている証拠かもしれない。

頭では休めと言われても体が覚えている

誰かに「ちゃんと休んでくださいよ」と言われることがある。でも、頭ではそうだとわかっていても、身体がどうしても休まるタイミングを許してくれない。休みにしても、気がつけばメールをチェックし、翌週の予定を確認し、登記申請の期日を思い出している。「ああ、あれやっておかないと」と思った瞬間、休みが終わる。野球部だった頃、筋肉に無理をさせてでも試合に出ていたが、それと今は似ている。体が仕事を覚えてしまって、スイッチが切れないまま生きている感覚だ。

気づいたら夢の中でも登記の打ち合わせ

昨夜の夢の中では、明らかに現実で何度かやり取りしたことのあるお客様が出てきた。しかも「先生、印鑑証明がありませんでした」なんて、現実さながらのセリフ。夢の中でも、僕は「明日でも大丈夫ですけど…」とやんわり返していた。無意識のうちに現実を再演しているようで、夢なのか現実なのか曖昧になる。ドラマでよく見る“夢オチ”って笑えるけれど、自分の夢が仕事まみれだと、笑い事じゃない。寝ている間すら気が抜けないというのは、冗談じゃなくきつい。

本当に休まる時間ってどこにあるのか

睡眠すら仕事に侵食されてしまった今、「本当に自分が休まっている時間ってあるのか?」と考えるようになった。テレビを見ている間も、風呂に浸かっている時も、どこかで業務のことを考えてしまう。仕事は人生の一部だとよく言うが、僕にとっては“全部”になりつつある。事務員さんは定時で帰れるが、僕は夜になっても帳簿を見直し、日付のズレを確認する。もう少し自分を緩めても良いのかもしれないけど、それができるなら、とっくにしている。

寝ても仕事に追われるということ

夢の中で仕事をしていたなんて、笑い話にできればいい。でも本当は、笑えない。精神的に追い詰められている状態とも言えるし、無意識に“まだ終わっていない感”を引きずっているのだろう。タスク管理アプリにはチェックがついていても、気持ちは完了していないのかもしれない。小さな登記ひとつ終えるにも、必要書類が揃うかどうか、補正が来るかどうか、色んな不安がついて回る。安心して寝るために、何が必要なんだろう。

忙しさが脳に染み込むという感覚

慣れって怖い。毎日のように朝から夜まで予定が詰まっていると、それが普通になる。そして、予定がないと不安になる。「何か忘れてるんじゃないか」「今日暇って、むしろ怖くない?」みたいに。まるで忙しさが自分の存在価値を証明してくれているようで、逆に暇だと自分が要らない人間になった気さえしてくる。脳が常に働いている感覚があって、寝ていてもフル回転。その結果が、夢の中でも仕事という状態なのだろう。

土日も祝日もカレンダーが意味をなさない

「先生、土曜でもいいですか?」と聞かれることが多い。もちろん断る理由はない。独身だし、予定なんてないから。それに一度断れば、次は他の事務所に行かれるかもしれない。そうやって休日が埋まっていく。年末年始ですら、書類整理や法務局の動きに合わせた準備に追われて、心から「休みだ」と思えた日はいつだったか忘れてしまった。夢の中でも仕事してたって、おかしくないかもしれない。

夢でさえも「期限」に怯えていた

夢の中で焦っていた理由、それはたぶん“期限”だった。誰かに怒られる夢ではなかったけれど、「間に合わない」「提出できない」という焦燥感に追われていた。実際、最近ギリギリで補正に間に合った件があって、それが無意識に残っていたのかもしれない。期限という言葉は、もはや“呪い”に近い。過ぎればダメ、間に合って当然、少しでも遅れれば信用に傷がつく。そんな中で生きていたら、夢くらい自由にさせてくれ…と言いたくなる。

忙しさに慣れてしまった自分が怖い

ふとした瞬間、「あれ、俺こんな生活を何年続けてるんだ?」と思うことがある。朝起きてメールを開き、昼には外回り、夜は残務。土日も返上して資料を確認して。そんな毎日に慣れてしまっている自分が怖い。本当は異常なのに、「これが普通」と思い込んでいるのではないかと疑うこともある。心も体も休まらないのに、それが当たり前になっている。だからこそ、夢の中でも仕事をするようになったのだろう。慣れは、ときに麻痺だ。

こんなに働いているのに誰からも評価されない

一人事務所というのは、孤独な戦いだ。誰も褒めてくれない。誰も見てくれていない。お客様から感謝されることもあるが、それは“当然”のように扱われる。こちらが遅れれば怒られるのに、相手が提出物を遅らせても「すみません」で終わる。その理不尽さに慣れきってしまった自分が、ちょっとだけ哀れに見えることがある。こんなに頑張っても、誰にも認められない。そんな気持ちが、夢の中でも“仕事を終えられない”という形で表れているのかもしれない。

誰も「ありがとう」とは言ってくれない現実

事務員さんがたまに「大変ですね」と言ってくれる。それだけでも救われるけど、正直もっと欲しいと思ってしまうときもある。登記が無事に終わっても、法務局は何も言わないし、お客様も「助かりました」と言うだけ。そこに本心があるのかどうかも、正直わからない。ありがとうが欲しいわけじゃない。でも、「見てくれている誰か」がいれば、もう少し頑張れる気がするのに。

愚痴を言っても誰かと笑えたらマシだった

夜、酒を飲みながら愚痴る相手もいない。元野球部の仲間とはもう疎遠だし、家族とも仕事の話をしなくなった。誰かに話せば、少しは楽になるんだろうけど、話す人がいない。だから夢の中でさえ、僕はひとりで仕事をしていたんだろう。独り言のように、心の中で愚痴って、それをまた飲み込んで眠る。笑ってくれる相手がいれば、こんな夢は見なくて済んだかもしれない。

それでも今日も事務所を開ける理由

こんなに疲れていても、今日もまた事務所の鍵を開ける。別に使命感があるわけじゃない。でも、やらなきゃ誰もやってくれない。誰かに頼まれてるわけでもないけど、逃げる理由もない。だから、また仕事を始める。それだけのことなのに、毎日が戦いのようだ。

独りぼっちのルーティンの中にある静かな意地

朝のコーヒーを飲み、PCを立ち上げてメールをチェックする。すべてが毎日のルーティン。でもその中に、自分なりの“意地”があるように思う。誰も褒めてくれなくても、誰にも負けたくない。仕事が好きかどうかはもうわからない。でも、この生活を投げ出したら、それこそ自分が崩れる気がして、踏みとどまっている。

元野球部だからって踏ん張りすぎてないか

野球部時代、「最後まで諦めるな」「歯を食いしばれ」と言われ続けてきた。その言葉が今も心に染みついている。だから、倒れそうでも踏ん張ってしまう。でも、ふと「もう踏ん張らなくてもいいんじゃないか?」と思うこともある。根性論で走り抜けるには、年齢的にも限界が近い。

朝 夢から現実に戻るときに思ったこと

夢の中でも仕事をしていた朝、目が覚めたときに「もうダメかも」と思った。でも、少し経つと「今日もやるしかないか」と思い直した。その繰り返しで毎日が進んでいる。もしかしたら、それでいいのかもしれない。夢の中ですら仕事をする僕だけど、それでも今日も、生きている。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。