伝えたつもりが伝わってなかった夜のこと

伝えたつもりが伝わってなかった夜のこと

伝えたつもりが伝わってなかった夜のこと

なぜこんなにも説明が伝わらないのか

あれだけ丁寧に話したのに、結局「よくわからない」と返された。その瞬間、胸の中にどっと疲れが押し寄せてきた。司法書士の仕事は、専門的な知識を持たない人に説明する場面が多い。登記、債務整理、相続…こちらにとっては日常でも、相手には未知の世界だ。だからこそ、わかりやすく伝える努力をしてきたつもりだった。でも、伝わらない。「自分の伝え方が悪かったんだろうか」と自問する夜は、意外と多い。

説明の前提がズレていたと気づく瞬間

例えば、ある高齢の依頼者に相続登記の話をしたときのこと。僕は「法定相続分」「相続人調査」「登記申請」といった言葉を使って説明していた。でも相手の頭には「そもそも誰が何をもらえるの?」という疑問が先にあった。話が噛み合わないのも当然だった。僕が想定していたスタート地点と、相手の理解の起点がズレていた。これに気づいたのは、説明が終わったあと、相手が「で、私はなにをすればいいの?」と聞いてきたときだった。

相手の立場を考えすぎて空回りする

「難しい言葉は使わないように」と心がけるあまり、逆に何が言いたいのかわからなくなることもある。あるとき、登記費用の説明で「手数料と登録免許税が〜」という話を避けて、「だいたいこのくらいかかります」とだけ伝えたら、「なんでそんなにかかるのか」と突っ込まれてしまった。結局、全部言わないといけなくなる。優しさのつもりが不信感に変わる瞬間だった。

わかりやすさと丁寧さがすれ違うとき

説明が伝わらない原因の一つに「丁寧すぎる」ことがあるのかもしれない。事務員からも「もうちょっと結論から言ってもいいんじゃないですか」と言われたことがある。確かに、話の全体像を説明してから本題に入る癖がある。それが逆に相手の集中力を削いでしまう。丁寧さとわかりやすさは、必ずしも両立しない。そこが難しい。

説明が伝わらなかったあとの自己嫌悪

帰り道、車の中で一人反省会が始まる。「あのとき、もっと簡単な言い方ができたんじゃないか」「最初に確認すべきだったのはそこだったのか」など、頭の中で何度も繰り返す。言葉が空振りしたことが、自分の価値を否定されたように感じることもある。司法書士としての技術力ではなく、人間力を試されているような気がして、しんどくなる。

何度も頭の中でリプレイしてしまう夜

布団に入っても、依頼者との会話が再生される。「あれを言わなきゃよかった」「こう言えばよかった」と、どんどん自己否定が進んでいく。おまけに次の日もその方との面談があるときなんかは、緊張と不安で眠れなくなる。あれこれ言葉を練っても、伝わらなかったらどうしよう、またがっかりされるんじゃないかと不安になる。

寝る前に湧いてくる自己否定の嵐

「司法書士に向いてないのかもな」とか、「自分って説明下手すぎじゃないか?」といった言葉が、頭の中でリフレインする。部活時代、エラーした日の夜と似ている。周囲には「気にしすぎ」と笑われるようなことでも、本人にとっては心のど真ん中を突かれる。ミスではなく、「伝わらなかった」という曖昧な敗北感が、妙に重たい。

誰かに愚痴りたいけど愚痴れない

こういう気持ちを誰かに聞いてほしい。でも、こんな愚痴をこぼしたところで「気にしすぎ」とか「プロなんだから」と返されそうで、結局ひとりで抱えることになる。事務員さんに聞いてもらうわけにもいかないし、飲みに行けるような友人も近くにいない。だから、夜にこうしてPCに向かって日記のように書いてしまう。誰にも見られないけど、誰かに届けたい気持ちもある。

司法書士という仕事の説明の難しさ

司法書士の仕事は法律の知識が基盤にある。だから当然、専門用語が多くなる。でも相手にとっては馴染みのない言葉ばかりだ。説明するときは「相手が小学生だったら」と想定して言葉を選ぶようにしているが、それでも伝わらないことはある。話し方より、相手が何を不安に思っているかを読む力の方が重要なのかもしれない。

専門用語が壁になる日常の会話

「遺産分割協議書ってなんですか?」「登記ってしないといけないんですか?」と聞かれるたびに、こちらは何度も説明してきた言葉を使ってしまう。でもその瞬間、相手の表情が曇る。あ、わかってないな、と感じる。だから最近は、「いわゆる家族会議で誰が何をもらうか決める紙です」とか、「登記は不動産の名義を変更する手続きです」とか、具体例を交えて話すようにしている。

相手の反応にビクビクする自分

説明中に相手の顔をチラチラ見てしまう癖がある。理解できてるか、不満はないか、表情を気にしすぎてしまう。これはもう性格の問題だと思っている。野球部時代、監督の顔色を見てバッターボックスに立っていた自分と重なる。結果、余計なことまで話してしまい、論点がぼやけてしまう。自信を持って堂々と説明できるようになりたい。

伝わらないのは自分の努力不足かと悩む

何年やっても、説明の正解が見えない。毎回相手が違うから、その分だけ答えも違う。相手の理解度、関心、信頼、すべてが絡んでくる。だからこそ、うまく伝わったときは嬉しいし、伝わらなかったときは自分の力不足を思い知らされる。でもそれを「経験」として割り切るには、まだ僕は未熟だ。

それでもまた説明しなきゃいけない現実

どれだけ落ち込んでも、次の日にはまた誰かに説明をしなければならない。司法書士の仕事は「伝えること」が本質だから。自信がなくても、心が折れそうでも、説明を避けるわけにはいかない。だから今日も準備をする。昨日よりも少しでもわかりやすく伝えられるように。

次こそ伝わるようにと準備する虚しさ

パワーポイントも作ってみたし、図解も使ってみた。でも相手がそれを「難しい」と言えば、それまで。準備すればするほど、空振りだったときの虚しさも大きくなる。それでも準備する。それしかできないから。いつか、「ああ、そういうことなんですね!」と笑顔で返ってくる日を信じて。

伝え方を変えても結果は同じかもしれない

語尾を変えたり、話す順番を変えたり、言葉を足したり引いたり。でも伝わらないときは、何をやっても伝わらない。「もうこれは運なんじゃないか」とすら思うこともある。だけど、運に任せたら終わりだとも思ってる。だから、もがく。変える。反省する。地味だけど、そういう日々の積み重ねが、自分を形作っていくんだと思う。

少しずつでも言葉を磨いていくしかない

完璧な説明なんてできない。でも昨日より今日、今日より明日、少しでも伝わるように。そんなふうに思いながら、今日もまた説明の練習をする。誰にも気づかれない努力かもしれないけど、それが司法書士という仕事の本当の地味な部分だ。そして、そんな自分も嫌いじゃないと思えるようになれたら、少し楽になる気がする。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。