独りで耐える司法書士の夜に思うこと
仕事が終わらない日の夜、ふと気づけば事務所に一人きり。誰もいない空間に自分のタイピング音だけが響く。こういう夜が週に何回あるだろう。誰かがそっと「おつかれさま」と声をかけてくれたら、もう少し気持ちが楽になるかもしれない。けれど、そんな存在はない。司法書士という仕事は、時に社会的な信用があるように見られつつも、内情は孤独で、しんどさを吐き出す相手すらいない現実がある。頼られることと独りで耐えることは、紙一重だと思う。
ひとり事務所に響くキーボードの音だけが味方
19時を過ぎ、事務員が帰った後の事務所に残るのは自分だけ。外は暗くなり、近所の飲食店から笑い声が聞こえてくる。そんな時間でも、自分はまだパソコンと向き合っている。登記のミスは許されない。ほんの一文字違うだけで、大きなトラブルにつながる。慎重になればなるほど、作業のスピードは落ちる。キーボードの音が、唯一のBGMになるこの空間は、まるで自分の頭の中のように静かだ。誰かに背中を押してほしいときもあるけれど、その誰かがいない現実がまた堪える。
なぜこんなに静かなのに心はざわつくのか
部屋は静まり返っているのに、自分の中はざわざわしている。今日のあの依頼、これでよかったのか。あの電話の言い方はきつすぎなかったか。思い返しては、後悔と不安が波のように押し寄せてくる。元野球部だったころは、仲間と励まし合ってミスを取り返せた。けれど今は違う。責任はすべて自分に降りかかる。プロである以上当然だと思いつつも、「誰かに相談したい」という気持ちはどうしても消せない。
書類の山と無言のプレッシャーに囲まれて
デスクの上には、まだ処理していない登記関係書類の山。急ぎとマークされたファイルがこちらを睨んでいるように見える。毎日が締切との戦いで、ふと気を抜くと一気に信頼を失う世界。誰に叱られるわけでもないのに、背筋が伸びてしまう。こんなにも自分を律して働いているのに、誰も見ていないという虚しさもある。けれど、それを誰かに言うと「愚痴っぽい人」になってしまいそうで、黙って抱えるしかない。
電気を消すタイミングがわからない夜
何時までやれば「頑張った」と言えるんだろう。23時を過ぎても終わらない作業に、「もう今日はここまで」と区切る判断がつかない。終わらせなきゃいけない。でも、終わらない。そんな葛藤の中で、電気を消すタイミングを見失うことが多々ある。昔は、父親が「働きすぎるな」とよく言っていた。でも、今は誰も止めてくれない。自分で限界を見極めるしかないのだ。
「もう帰りなよ」って誰も言ってくれない
大企業に勤めていた友人は、22時を過ぎると上司が「もう帰れ」と言ってくれるという。羨ましいと思った。うちは、誰もそんなことを言わない。というより、そもそも自分しかいない。誰かが気づいてくれるという幻想すら持てない。責任感のある自営業者の宿命とはいえ、どこかで人間らしさを忘れてしまいそうになることもある。
あと少しのつもりが気づけば終電
「あと一件だけ処理したら帰ろう」そう思ったはずなのに、時計を見ると0時近くになっている。終電なんてとっくに終わっていて、車で帰るしかない。道は空いているけど、心の中は重たい。効率的にやるって難しい。終わらせた達成感より、「また今日も自分を追い詰めた」という疲れのほうが勝る夜がある。
事務員さんが帰ったあとの静寂は重たい
うちの事務所は小さい。事務員さんは本当に助かってる。笑顔で「お先に失礼します」と帰っていく後ろ姿を見ると、少し安心する一方で、そのあとの静けさがやけに重たい。彼女がいるだけで、空気が違ったのだと気づかされる。独りになると、言い訳もできず、黙って作業と向き合うしかないのが現実だ。
感謝と遠慮と少しの罪悪感が混ざる
忙しい時期になると、事務員さんに頼みたいことが山ほどある。でも、彼女の負担を考えると強くは言えない。だから結局、自分で抱え込むことになる。「これくらい自分でやれるだろう」と自分に言い聞かせて。でもそれは優しさなのか、ただの気疲れなのか、自分でもよくわからなくなる。ひとりで頑張る癖がついてしまったのかもしれない。
話し相手がいないまま夜が更けていく
昔は誰かに電話して、どうでもいい話をしてリフレッシュしていた。でも今は、そんな相手もいない。女性にもモテないし、連絡を取る相手も減った。スマホを見ても通知はほとんどない。ただ、静かに夜が過ぎていく。誰にも気づかれないまま終わっていく一日に、少し切なくなる。
夜食に救われることもある
深夜のコンビニ飯が唯一の楽しみという日もある。体には良くないと分かっていても、温かいおにぎりやカップ味噌汁は、心をホッとさせてくれる。「自分へのご褒美」なんて大げさなものじゃない。ただ、何か温かいものがほしい。そんな気持ちに正直になれるのが、この夜食の時間だ。
コンビニおにぎり一つが沁みる理由
仕事帰りに食べるコンビニのおにぎり、正直そんなに美味しいわけじゃない。でも、夜遅くまで頑張った自分にとっては、特別な味がする。昔、試合に負けて泣いた夜に、監督がくれたあのパンを思い出すような、あのときの優しさに似ている気がする。ただの炭水化物なのに、心の空白を少しだけ埋めてくれるから不思議だ。
「頑張ってるね」って言葉があれば十分
「頑張ってるね」この一言が、どれだけの人を救うだろう。自分も、誰かに言われたいし、誰かに言ってあげたい。司法書士という立場上、感情を出すのは控えがちだけど、人間なんだから弱る日もある。それを許してくれる言葉がひとつあるだけで、また明日もやってみようと思えるのだ。
それでも仕事をやめない理由
愚痴をこぼしたくなる日ばかりだけれど、それでもこの仕事を続けているのは、やっぱり人の役に立てているという実感があるから。しんどさの裏にある達成感や信頼。それを一度でも感じると、簡単には手放せない。夜の静けさも、悪くないと思える瞬間が、時々あるのだ。
誰かの役に立っているという実感
登記が無事に通ったとき、依頼者の安堵の声を聞いたとき、「あなたに頼んでよかった」と言われたとき。そういう瞬間は本当に報われる。この仕事の誇りは、そういう目に見えにくい部分に詰まっている。だからこそ、独りで耐える時間も、意味のあるものだと信じたい。
逃げなかった自分を少しだけ褒めたい
弱音ばかり吐いてきたけれど、それでも辞めずにやってきた。誰に褒められるわけでもないけど、自分だけは自分を認めてあげたい。耐えてきた日々、逃げなかった自分、続けた選択。司法書士として、そして一人の人間として、少しだけ誇らしく思える夜もある。