気づけば会話の引き出しが補正と登記だけ
最近ふと、自分の会話の内容が限られすぎていることに気づいた。誰かと雑談になったとき、つい口をついて出るのが「いや、また補正が来てね」とか「オンライン申請が重くてさ」という話ばかり。これはもう立派な職業病なんだろうけど、たまに自分で情けなくなる。司法書士という仕事にどっぷり浸かっている証かもしれないが、ふと冷静になると、社会との接点をどんどん失っているような気がしてならない。会話の幅を失っていくというのは、気づかないうちに孤立の始まりだったりする。
コンビニ店員との会話すら緊張するようになった
朝のコンビニ。コーヒーを買ってレジに並ぶ。前は「寒くなってきましたね」とか、「もう年末ですね」なんて軽く言えたのに、今はそれができない。何を言えばいいのかわからなくなってしまったのだ。頭の中では「昨日の申請がどうの」「補正対応がこうの」といったフレーズばかりがぐるぐる回っていて、季節の話題が全然出てこない。まるで日本語を失ったかのように無言でレジを済ませてしまう。これが地味に寂しい。
地元の集まりで浮く話題選び
地元の寄り合いのような会に顔を出すと、農業の話や子どもの進学、近所のスーパーの特売情報なんかで盛り上がっている。でも僕が話せるのは「登記識別情報の扱いが変わったんですよ」とか、「今年は相続登記の問い合わせが多くて」なんていう、地味でズレたネタばかり。相手も「へぇ…」と苦笑いを返すだけで、会話はそこで終了。ああ、またやってしまったなと思いながら、飲み物を口に運ぶ。
飲み会で登記の話をするやつが俺だけ
数少ない飲み会の場。行政書士や税理士の先生と一緒に飲む機会もあるが、みんな話がうまい。プライベートの話や趣味の話も織り交ぜて場を盛り上げる。でも僕は、つい「今日法務局で3時間待ちでしたよ」みたいな話をしてしまう。皆が笑うような小話もなく、空気を冷やすこともしばしば。まるで「登記の妖精」みたいになってしまっている自分が、ただただ哀しい。
会話力が低下したのはいつからか
昔はもう少し、柔らかい会話もできていたはずだ。今のように固い話題しか出せなくなったのは、いつの頃からだろう。気づいたときにはもう、口をついて出るのは登記のことばかり。周囲と自然に笑い合う感覚も、どこかに置いてきてしまったようだ。仕事に誠実であることは良いことだけど、そればかりになってしまうと、人間としてのバランスを欠いていくのかもしれない。
元野球部だった頃はもう少し明るかった
高校時代は野球部だった。笑いの絶えない毎日で、休憩中の雑談はほぼ漫才だった。「あの監督、昨日の弁当ののり弁、二重だったんだぜ」なんて、くだらない話をずっとしていた。あの頃の自分は、人と話すのが大好きだったはずなのに、今じゃ事務所で口を開けば「登記簿が…」「申請が…」。どうしてこうなったのか、年齢だけのせいじゃないと思う。
雑談の切り出し方を忘れた司法書士
「今日はいい天気ですね」みたいな当たり前の一言が出てこない。まるで雑談に対する免疫がなくなってしまったかのように、話し出す瞬間に変な緊張をする。相談者にいきなり本題を切り出すのは得意でも、その前のちょっとした雑談が苦手になっているのは、ある意味で職業的な弊害かもしれない。心をほぐす言葉を失うと、仕事にも影響してくる気がしてならない。
独身のまま話す相手も減っていく現実
結婚していれば、家で話す相手がいるかもしれない。でも僕は独身。仕事を終えて帰宅しても、会話する相手がいない。テレビにツッコミを入れるのもむなしいし、スマホを眺めても通知は業者からのメールくらい。事務員さんとは必要なこと以外あまり話さないし、たまに「話したいな」と思うときに限って忙しい。気づけば、一日で言葉を発したのが数十語だったなんて日もある。
事務所では事務員との会話が命綱
今の僕にとって、一番会話しているのは事務員さんかもしれない。とはいえ、話すのは「この書類まだですか?」とか、「法務局に行くの誰にしましょうか?」といった業務連絡ばかり。日常の雑談とは程遠く、たまに冗談を言ってみてもスルーされると心が折れる。でも、そんな彼女の存在が救いであることも間違いない。
「あの書類まだですか?」が日常会話のすべて
一日のうちで最も発する言葉が「まだですか?」か「できました」ですよ。何だかもう、録音で対応できるんじゃないかと思うくらい。同じフレーズを繰り返す自分が、ロボットのように思えてくる瞬間がある。こんな毎日で、人間としての感情をどう保っていくかが、最近の課題です。
愚痴をこぼすのも申し訳なくなってくる
本当は「今日も大変だったんだよ〜」って気軽に言いたい。でも、事務員さんの前で愚痴ばかり言うのも気が引ける。頑張ってくれてる彼女に、これ以上ストレスを与えたくない。結果として、自分の中で愚痴を消化するしかなくなる。それがまた溜まって、余計に人と話せなくなってしまう。
お菓子の話題が唯一の癒し
そんな中、最近の救いはお菓子の話だ。「このクッキー美味しかったですよ」「あ、これ懐かしい味ですね」――たったそれだけで、心が少しだけ軽くなる。補正の話よりずっと優しい。お菓子の話が、唯一無二の雑談のネタになっている。もういっそ、事務所の会話はすべて駄菓子縛りにした方が健全かもしれない。
補正の話がやたら盛り上がる司法書士界隈
司法書士同士で集まると、不思議と盛り上がるのが「補正ネタ」だ。「昨日のオンライン申請、1分遅れて補正来ましたよ」「それうちも!」「法務局のあの職員、最近厳しくなってません?」なんて、居酒屋の隅で真顔で盛り上がってる。冷静に考えたら、相当地味な会話なんだけど、それが楽しかったりするから余計に悲しい。
補正で夜中にLINEが飛び交う世界
深夜0時。スマホが鳴る。「補正来たかも」「また同じパターンかよ」「スクショ送るわ」――こんなやりとりが当たり前の世界に僕たちはいる。感覚が麻痺してるとわかっていながら、それが日常になってしまっている。でも、ふと「これ、他の人に話せないな」と我に返る瞬間が、なんとも言えない寂しさを伴う。
「オンライン申請あるある」が共感のカギ
司法書士仲間との「あるある」ネタが、唯一の共感ポイントになってしまっている現実。たとえば「このボタン、申請中に押すと戻れないやつ」「ログイン時間、また切れたよ」など、共感してもらえることだけが救いだったりする。でも、その会話を他の人に振ってもまったく通じない。やっぱり、僕たちはマニアックな世界に生きてるのかもしれない。
それでも誰かと話したくて
こんな日々でも、どこかで誰かとちゃんと話したいと思っている。補正や登記じゃない話、たとえば「最近読んだ本のこと」とか「子どもの頃の思い出」とか、そういう素朴な会話が恋しい。司法書士として生きていく限り、補正も登記も切り離せない。でも、それだけじゃない何かを求めているのも本音だ。
独身男性司法書士の孤独な試み
最近、週末に少しだけ時間をとって「話す練習」をしている。自分のことを自分で話してみる。趣味のこと、昔好きだった音楽、観た映画。たまに、カフェのカウンターで隣の人と数語だけ交わせる日がある。そんな小さな成功が、ほんの少しだけ自分を人間らしく保ってくれている。
登記以外の話題を探しに本屋へ
たまに本屋に行って、実用書以外の棚を見るようにしている。エッセイ、旅行記、小説、育児本――登記と無縁な世界を感じることで、自分の感覚を取り戻そうとしているのかもしれない。ページをめくるたび、こんな世界もあるんだなとホッとする。仕事だけじゃない、会話も心も、もう少し広げたい。
趣味の話題が仕事に飲み込まれる瞬間
でも結局、趣味にしていた写真もガジェットも、「業務効率化に使えるか?」みたいな視点でしか見られなくなってきている。趣味の話さえも仕事と結びつけてしまう癖がついてしまったようだ。だからこそ、何も生産性のない、意味のない話――それが、今の僕にとって一番欲しい雑談なのかもしれない。