結婚はと聞かれるたびにスマホを伏せる夜

結婚はと聞かれるたびにスマホを伏せる夜

結婚はと聞かれるたびにスマホを伏せる夜

結婚はという五文字が心に刺さるとき

司法書士という肩書きがある程度知られるようになったのはありがたいが、その名前が一人歩きして「ちゃんとしてる人」「落ち着いてる人」といった幻想をまとい始める。実家の親から届くLINEに「結婚は?」とあっただけで、スマホを伏せてしまう夜がある。相手は善意で言っているのもわかっている。親なりに、心配してくれている。それでもその五文字が、時にこちらの心をざらつかせるのだ。

実家から届く優しさと圧の混在したLINE

一人で事務所に残って作業している夜、ふとスマホが震える。画面を見ると「おつかれさま。最近どう?結婚は?」と、母親からのLINE。近況を気遣ってくれているのはわかるけど、最後の一文でズドンと心が沈む。親からすれば、そろそろ…というタイミングなのかもしれない。でも、こっちは仕事に追われてるし、そんな余裕どこにある? つい、「今、忙しい」とだけ返して、既読をつけることすらためらってしまう。

「元気?ところで結婚は?」の破壊力

一見何気ない言葉だ。けれど「元気?」のあとに、続けて「結婚は?」とくると、そのギャップに打ちのめされる。「元気?」の時点でちょっと安心して、嬉しくなって、それからの「結婚は?」で地面が抜ける感覚。まるで野球のピッチャーが初球ストライクからの、スローカーブで崩してくるような。こっちの準備が整う間もないまま、急に核心を突かれる感じがするのだ。

返信しないと心配される 返すと刺さる

返信しないと、今度は「体調でも悪いの?」と追いLINEが来る。でも正直、返信するのも気が重い。「誰かいい人いないの?」「紹介してもらえば?」と続けられることもしばしばで、気づけばそれに対して説明する自分が面倒になる。だからつい「また今度話すよ」とか「そのうちね」で逃げてしまう。するとまた一週間後に同じLINEが来る。優しさが重圧に変わる瞬間だ。

司法書士という職業に恋愛は似合わない?

よく「司法書士さんってちゃんとしてそうだから、結婚もしてると思った」と言われる。でも、仕事柄きっちりしているように見えるだけで、実態はバタバタで余裕もなく、書類ばかりと向き合う日々だ。恋愛に割く時間なんてほとんどないし、休日も結局は事務所の整理やら資料作成に追われて終わる。モテそうと言われても、実感ゼロ。ましてや田舎では出会いのチャンスも限られている。

真面目な職業はモテるという幻想

「安定してる」「ちゃんとしてる」「頼りがいありそう」——そう言われてみたい願望はある。でも、実際には「話が難しそう」「取っつきにくい」「固そう」と言われることも多い。元野球部の頃のように、多少泥臭くても勢いだけでどうにかなった時代とは違う。今は職業でフィルターをかけられることが増えて、真面目であることが恋愛の武器にはならない時代に突入している気がする。

書類の山は築けても家庭は築けない現実

事務所の中には、登記書類や申請書が整然と積み上げられている。法務局への提出期限も頭に入っている。でも、自分の人生設計はまるで白紙のままだ。住宅ローンの相談には乗れるのに、自分の家族計画となるとさっぱり。仕事の成功と引き換えに、何かを置いてきたような感覚が、時折押し寄せてくる。書類の山の向こうに、誰かの笑顔があるわけじゃないことに気づいてしまったのだ。

そもそも結婚ってそんなに必要なのか

誰が決めたんだろう。「ある年齢になったら結婚してるのが普通」って。仕事に集中してたらあっという間に40代半ば、親は心配するし、世間も「まだ独身?」とチクリ。でも、自分なりに仕事に誇りを持って、真面目に毎日を生きている。そんな生き方を、どうして「不完全」みたいに見られなきゃいけないのか。誰かの価値観に沿って生きるために、今まで頑張ってきたんじゃない。

結婚しないと幸せじゃないのか論争

SNSを見れば、結婚式や家族との写真が溢れていて、「これが幸せの形」と言われているような気分になる。でも、その裏側のリアルは見えない。幸せは他人が定義するもんじゃないし、結婚だけが正解でもない。自分の心が穏やかで、誰にも迷惑をかけずに、誰かの役に立てているなら、それも立派な生き方だと思いたい。結婚というラベルを貼られずとも、ちゃんと生きてると胸を張りたい。

独り身だからこその自由と孤独

自由なのは確かだ。夜遅くまで仕事しても誰にも怒られない。休日をまるごとゲームや掃除で潰しても、誰にも咎められない。けどその代わり、ふとした瞬間にくる孤独の波は、予告なく襲ってくる。特に体調を崩したときや、年末年始のテレビが家族向けになってくる季節。ああ、自分には報告する相手もいないんだなと実感する。自由と孤独は、常にセットなのかもしれない。

幸せの形を押し付けないでほしい夜

親の気持ちは痛いほどわかる。子の幸せを願ってるだけだ。でも、幸せの定義ってそんなに単純じゃない。夜、仕事を終えて一人分の夕食を作りながら、ふと「これでいいのかな」と不安になることもある。そんなときに「結婚は?」とくると、ただの一言がナイフのように胸に刺さる。「そっとしておいてほしい夜もある」ということを、伝えられるようになりたい。

仕事が忙しいという言い訳と向き合う

「忙しいから恋愛できない」と言い続けてきた。でも、それはただの言い訳かもしれない。誰かと向き合うことを恐れているだけかもしれない。仕事はある程度の予測が立つけれど、人との関係は予測不能だ。そこに踏み込む勇気が、どこかで抜けてしまったのかもしれない。責任を背負うことに慣れすぎて、心のやり取りには臆病になってしまったのかもしれない。

忙しいから恋愛しないのか しないから忙しいのか

冷静に考えると、「忙しさ」は都合のいい盾だった。もし恋人がいたら、きっと無理やりにでも時間を作っていたはずだ。つまり、最初から「作ろうとしてない」だけ。恋愛が怖いのか、拒否してるのか、そこに向き合わないまま日々を過ごしている。忙しいのは事実だけれど、それがすべての原因じゃない。むしろ、自分から心を閉じてしまっていることに、そろそろ気づかなきゃいけない。

優しさが伝わらない職業病

司法書士という仕事は、正確さや慎重さが求められる。それはいいことでもあるけど、時に「感情の表現が下手」になる副作用がある。誰かに優しくしたいと思っていても、言葉にできない、タイミングを逃す、結果として距離ができてしまう。書類には間違えないけど、人との間にはすれ違いばかり。職業病と言えばそれまでだけど、本当は、もっとちゃんと向き合いたい気持ちがある。

それでも親に優しくなれない自分に落ち込む

「親の気持ちくらいわかれよ」自分でもそう思う。でも、それができたら苦労しない。言葉を選びすぎて、感情を押し殺しすぎて、結局うまく伝わらない。たった一言のLINEに一喜一憂して、スマホを伏せるような夜は、きっと親の望んだ姿じゃない。わかってる。でもどうしてもできない。そんな自分に落ち込む。それでも、また一歩前に進もうとする。それが今の自分にできる精一杯だ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。