仕事に人生を持っていかれる日々
司法書士として独立してからというもの、「仕事に追われて生きている」感覚が年々強くなっている。特に地方で一人で事務所を切り盛りしていると、すべてが自分の責任。登記の締切、依頼者対応、役所とのやりとり、電話対応…。どれも他人には任せられない。日々のタスクに埋もれていると、自然と自分の人生の軸が「仕事」しかなくなってしまう。ふと時計を見ると、もう深夜。恋愛を考える余裕も、出会いのきっかけすら消えていく。
平日も土日も予定が埋まっていく
カレンダーを見ても、空いている日はない。土日も役所に行くわけではないが、依頼者の都合に合わせた面談や、書類作成であっという間に埋まっていく。たまの休日に何かしようにも、「今のうちにあれを片付けておこう」という自分の声が聞こえてきて、結局事務所に行ってしまう始末。まるで自分の生活が“仕事の空き時間”に追いやられているようで、これでは恋人と過ごす時間なんて取れようはずがない。
そもそもプライベートという概念が薄い
司法書士の仕事は、思った以上に“切り替え”が難しい。仕事が終わって家に帰っても、頭の中は「あの書類、明日までにまとめないと」とか「役所にこれ聞かないと」でいっぱいになる。結果的に、オフモードに入る暇がない。プライベートって何だったっけ、と思う日もある。友達から飲みに誘われても、気分が仕事モードのままだと、ただ疲れるだけで終わってしまう。こんな状態で恋愛感情を育てるのは正直かなりしんどい。
デートよりも書類の締切が優先される現実
過去に何度かお付き合いしたこともある。でも、いつも問題になるのが「仕事ばかり」という一点。実際、役所の締切や依頼者との約束を優先するあまり、デートの予定を何度も変更した。最初は「仕方ないよね」と理解してくれていた相手も、やがては「本当に私のこと考えてる?」となって、自然消滅。自分としては悪気はないし、一生懸命だった。でも、恋愛は“成果”じゃないから難しい。
「いつ休んでるの?」と聞かれるけど
最近よく聞かれるのが、「いつ休んでるんですか?」という言葉。こちらとしては、空いた時間に昼寝したり、移動中にスマホで野球の動画見たりしてるから、休んでいる“つもり”なんだけど、たぶん世間的にはそれは休みじゃない。ちゃんとした休みを取った記憶は…年に一度あるかないか。そんな生活を続けていると、恋愛なんて優先順位の下の下。気づいたら、もう何年も誰かと手を繋いでいない。
休んでても頭は登記のことでいっぱい
仮に一日完全オフにしたとしても、頭の中は仕事から離れられない。「あの案件、あのままで良かったっけ?」「月末の登記、受理されるだろうか」など、考え始めると止まらない。結局、リラックスできないまま夕方になり、「やっぱりちょっとだけ事務所行こうか」と自転車をこいでしまう。これでは誰かと一緒にゆっくり映画を観る、なんてことは夢のまた夢。気づけば、空気のように日常から恋愛が消えている。
心からのオフがないことが恋愛を遠ざける
心が休んでいないと、他人に優しくできない。これ、痛感する。ちょっとしたLINEの返事にも気が回らなくなったり、相手の話に耳を傾ける余裕がなかったり。そんな自分に気づいたとき、「ああ、もう俺は恋愛には向いてないのかもしれない」と思った。人は、心がゆるんでいるときにこそ他人を受け入れられる。でも、司法書士という職業は、それを許してくれないのかもしれない。
予定が不規則すぎて相手に申し訳ない
自分では「今週は少し時間あるな」と思っても、急な相続の依頼や登記の変更が入ればすぐに予定は崩れる。相手にしてみたら「またか…」となるだろう。だから恋愛は、どこか“申し訳なさ”との戦いになる。相手に我慢を強いることが前提になってしまうと、恋愛の楽しさは一気に色あせてしまう。そんな現実を何度も経験してきたからこそ、踏み出せないのだ。
それでも少しだけ夢を見る
ここまで書いておいて何だが、それでもやっぱり、人としての願望はどこかに残っている。「お疲れさま」と言ってくれる人がいたらな、誰かに相談したいな、って思う夜もある。たまには誰かと笑いながらご飯を食べたいし、季節のイベントを一緒に過ごしたい。恋愛に向いていないかもしれないけれど、向いていないからこそ、そういう普通の時間に憧れてしまう。司法書士という職業でも、恋していいよね、と思いたい。