やっと終わったその瞬間にふと襲ってきた感情
「終わったな」とつぶやいたのは、事務所のドアを閉めた瞬間だった。大口の登記案件。準備に何週間もかかり、依頼主とのやり取りも煮詰まり、最後の押印まで気を抜けなかった。完了の確認を終えた帰り道、ふと歩みを止めて空を見上げた。ホッとした気持ちと、何とも言えない空虚感が同時に押し寄せてきた。完了通知のメール一通では、誰も僕の苦労なんて知らない。胸にたまっていた疲れが、一気に涙になってこぼれ落ちた。
帰り道のコンビニで立ち止まった理由
何かを買うつもりはなかった。ただ、明かりに吸い寄せられるようにコンビニへ入った。外の風が妙に冷たく感じたのもある。棚を見て回るふりをしながら、実際には自分の気持ちを落ち着ける場所を探していた。ジュースの棚の前で立ち止まり、缶コーヒーを手に取る。その重さがやけにリアルだった。たった一本の缶に、自分の「今」が映る気がした。疲れてるのか、情けないのか、それすらもわからなくなっていた。
達成感より先にきた「疲れた」の一言
本当なら、成功の充実感で胸がいっぱいになるはずだった。でも、口をついて出たのは「疲れたなあ」だった。依頼人に感謝されたけど、こっちとしては「ギリギリだったんだよ」と言いたかった。司法書士の仕事は、感情を押し殺して進めることが多い。間違えたら終わり。信用も失う。そんな緊張の連続に、いつしか達成感なんてものは薄れていた。終わったあとに残るのは、疲労感と「また明日もあるんだよなあ」という溜息だけだった。
レジ前で財布を出す手が震えていた
缶コーヒーを握りしめてレジに並んだ。誰も見ていないのに、変な緊張感があった。財布を出す手がわずかに震えていて、自分でも驚いた。疲れてるのはわかってたけど、こんなに神経が擦り減ってたのかと思い知らされた。レジの若い店員は、そんな僕に気づくはずもなく、「温めますか?」とだけ聞いてきた。頷くのがやっとだった。コーヒーを受け取りながら、ただ「今日も無事に終わった」と心の中で繰り返していた。
誰にも言えなかった重圧という名の荷物
司法書士という肩書きは、他人からは安定して見えるかもしれない。でも現実は違う。責任の重さは想像以上で、誰にも頼れない場面が多い。特に地方で一人事務所を回していると、相談できる人も近くにいない。ネットで調べても答えが見つからないことばかり。毎回が孤独な戦いだ。自分の判断ひとつで依頼人の人生が左右されると思うと、夜眠れなくなることすらある。なのに、表向きは「先生」と呼ばれる。このズレに、いつも心がついていかない。
「間違ってたらどうしよう」の呪い
登記を終えるたびに、「どこか間違えてないか」という不安がよぎる。何度もチェックしたつもりでも、人間だからミスはある。でもそれが許されないのがこの仕事だ。以前、書類の軽微なミスで補正通知が来た時、全身が冷たくなった。あの恐怖は今も忘れられない。それ以来、提出した後も落ち着かず、夢の中でも書類のチェックをしているような感覚になる。「完了」通知を見るまでは、とても気が休まらない。
登記ミスのトラウマがまだ消えない
昔、まだ経験が浅かった頃、ひとつの登記で大きなミスをした。登記簿の住所表記を一文字間違えただけだった。でも補正に時間がかかり、依頼人には怒られ、信頼も落ちた。以来、「大丈夫だろう」が信用できなくなった。確認しても、さらに確認したくなる。こうして自分の首を自分で絞めるような習慣ができてしまった。正直、今も「登記完了」の通知を見るたびに、ホッとするというよりは、ようやく地獄から解放された気持ちになる。
それでも誰かに見せる顔は平静を装う
仕事中、依頼人には笑顔で応じる。事務員には明るく声をかける。でも、心の中は常に張り詰めている。誰にも見せられない弱さを隠すのが、いつの間にか日常になっていた。元々、野球部だった頃は、歯を食いしばって耐えるのが当たり前だった。その癖が今も抜けないのかもしれない。辛くても、しんどくても、表には出さず黙ってやる。だけど、誰か一人くらい「よく頑張ってるね」と言ってくれる人がいたら、どれだけ救われるだろう。
事務所の明かりを消しても心は休まらない
仕事が終わっても、気持ちのスイッチは切り替わらない。家に帰っても、頭の中では「あの書類は大丈夫だったか」と考えてしまう。事務所の明かりを消しても、心の中はまだ仕事モードのままだ。独身で一人暮らしだから、誰かと話して気を紛らわせることもない。晩ごはんを食べながら、スマホで次の案件の情報を検索している自分がいる。こんな生活を続けていて、本当に大丈夫なのか、と不安になる夜もある。
たった一人の事務員にかかる責任の重さ
事務員は一人だけ。とてもよくやってくれているが、負担をかけすぎていないか常に気になる。ちょっと風邪気味でも、「今日は大丈夫ですか?」と聞くのが習慣になっている。何かあれば即アウト、という体制だ。そんな不安定な状態でも回していかないといけないのが現実。事務員が辞めたらどうしよう、そんな不安がいつも頭の片隅にある。だからこそ、彼女には感謝してもしきれない。だけど、それと同じくらい、自分自身の限界も感じている。
「先生がいるから大丈夫」なんて言うけれど
たまに依頼人から「先生がいるから安心ですね」と言われる。でも、その言葉の重みを受け止めきれない時がある。本当はこっちも不安でいっぱいなのに、誰にも言えない。「大丈夫」と言いながら、心の中で「全然大丈夫じゃないよ」と叫んでる自分がいる。それでも、自分が折れてしまったら、誰もフォローしてくれない。だから今日も、登記簿の文字を睨みつけながら、心の中では泣きそうになっている。
元野球部のくせに弱音ばっかり
高校時代は野球漬けだった。厳しい練習も、上下関係も、根性で乗り越えてきた。でも今は、そんな自分が情けないほど弱っている。ちょっとしたことで心が折れそうになり、夜中に布団の中で泣くこともある。あの頃の自分が今の僕を見たら、きっと呆れるだろう。だけど、現実はきれいごとだけじゃ済まない。どれだけ努力しても、結果が出なければ誰にも評価されない世界。だからこそ、せめてこうやって文章にして、誰かと共感を分かち合いたい。
頑張ってるのに誰にも褒められない日々
この仕事は結果がすべて。無事に終わって当たり前、ミスをしたらすべてを失う。その中で毎日真剣勝負しているのに、「よく頑張ってるね」と声をかけてくれる人はいない。家族も遠く、恋人もいない。友人たちは家庭を持ち、僕の話には「へえ、すごいね」と言うだけで本音は通じない。誰かに評価されたいわけじゃないけど、孤独が胸を刺す夜がある。だから今日も、一人で缶コーヒーを握りしめて帰るしかない。
でも俺はここで踏ん張ってる
それでも、明日もまた事務所を開ける。誰に褒められなくても、自分がやるしかない。小さな田舎の司法書士事務所だけど、僕を頼ってくれる人がいる限り、ここで踏ん張るしかない。情けない気持ちも、泣きたい夜もあるけれど、全部引き受けて、今日も書類と向き合っている。たった一人でも「助かったよ」と言ってくれる人がいたら、それでいい。そう思える自分だけは、まだここにいる。