静かに爆発する司法書士の本音と日常

静かに爆発する司法書士の本音と日常

朝は静かに始まり夜は静かに終わる

地方で司法書士をしていると、毎日が静かに始まり、静かに終わっていく。その「静けさ」が時には救いになり、時には孤独を際立たせる。朝、事務所に誰もいない時間にコーヒーを淹れていると、「今日もまた始まるな」という感覚がじんわりと押し寄せる。電話が鳴る前のこの静けさが好きなようで、実は緊張の予兆でもあるのだ。

電話の鳴らない朝にほっとする理由

たまに「電話が鳴らない午前中」があると、妙な安堵感がある。忙しくないことに罪悪感を感じる反面、心が解放されたような気分にもなる。実際、電話というのは一つ一つが爆弾のようなもので、登記のミスやクレーム、急ぎの相談が飛び込んでくる。それがない朝は、心の防波堤が少しだけ長持ちするのだ。

静寂が好きなのに孤独に弱い

音のない時間が好きだ。でもそれが続くと、なぜか胸がざわざわしてくる。事務員が休みで一人きりの日、静寂に包まれた事務所で書類と向き合っていると、誰にも見られていないような気がして、だんだんと存在がぼやけてくるような錯覚に襲われる。この仕事に「見られる安心」は意外と大切なのかもしれない。

夜のコンビニで買うカップ麺の意味

遅くまで仕事をして、帰りに寄るコンビニ。なぜかカップ麺を手に取ってしまう。食べたいというより、「何か温かいものがほしい」という欲求。事務所ではクールに仕事していても、夜道を歩く頃には、誰かに優しくされたい気持ちがじわじわと湧いてくる。だから、あの温かさが染みるのかもしれない。

誰にも見せられない爆発がある

声を荒げることもなければ、物に当たることもない。だけど、内側ではしょっちゅう爆発している。相談者の無理な要望、取引先の理不尽、そして自分の不甲斐なさ。怒鳴らずに済むのは、我慢してるだけだ。静かに爆発して、静かにまた書類をめくる。誰にも気づかれずに。

イライラの行き場が机の下

書類を綴じるとき、ホチキスがうまく留まらないと、それだけでイライラする。でも、誰もいないから顔にも出せない。無言でホチキスを床に落として、拾って、また留める。そんな瞬間に「ああ、もう限界かもな」と思うことがある。でも、そんな些細なことですら、誰にも話せない。

優しさと弱さは表裏一体

「先生って優しいですね」と言われることがある。でもそれは、強く言えないだけだ。本当は言いたいことだってある。でも、傷つけるのが怖いし、自分が嫌な人間になるのも怖い。だから黙る。優しさと呼ばれるその沈黙が、実は一番の弱さだったりする。

怒ると疲れるから静かに壊れる

怒ると、あとで猛烈に自己嫌悪になる。だから怒らない。感情を押し殺して、笑って対応する。でも、それが積もると壊れてくる。静かに、音もなく、内側からじわじわと崩れる。誰にも迷惑はかけていないけど、自分はどんどんすり減っていく。

事務員さんの一言で崩れるメンタル

一緒に働く事務員さんは、正直とても助かっている。でも、たった一言にぐらりとメンタルが揺れることがある。「先生って変わってますよね」と笑顔で言われたとき、心のどこかが崩れた。たぶん、言葉の裏なんてなかったのだろう。それでも、こっちは勝手に解釈して勝手に傷ついてしまう。

悪気のない言葉に傷つく自分が嫌だ

「そんなことで傷つくの?」と自分でも思う。でも、心のどこかに引っかかって、ずっと抜けないトゲになる。冷静なふりをして「そうかなあ」なんて笑って返すけど、帰り道で思い出してため息をつく。それが何度もあると、自分の小ささが嫌になる。

距離の取り方がわからない

仕事仲間と、フランクすぎてもだめ。かといって、距離を取りすぎると冷たいと思われる。そんな絶妙な距離感がいつも難しい。特に少人数の職場では、毎日の空気が重くなるか軽くなるかは、そのバランスひとつにかかっているように感じる。

上司と部下じゃない関係性

司法書士と事務員という関係。でも、地方の小さな事務所では、もはや「一緒に事務所をやっている相棒」みたいな存在にもなる。その分、気も使うし、正直遠慮もある。本音をぶつけ合えるような関係でもない。だからこそ、心が擦れていく。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。