なぜ司法書士という道を選んだのか
恋愛の話をする前に、そもそもなぜ自分がこの仕事を選んだのかを振り返ってみたい。司法書士という職業、選んだときは「安定してるし手に職がつく」なんて思っていたけれど、正直言えば「何となく」だった。やりたくて仕方なかったわけでもないし、夢があったわけでもない。気がつけば「向いているかどうか」ではなく、「選んでしまった」仕事だった。
「安定してる仕事」に惹かれた若き日の自分
20代の頃、親や親戚に言われた「資格職は食いっぱぐれがない」という言葉に引きずられるように、気づけば資格試験の勉強を始めていた。野球部を引退して、やることを見失っていた時期。就活もうまくいかなかったし、親からも「そろそろ決めろ」とプレッシャーをかけられた。正直、「司法書士になりたい!」という熱意より、「何者かにならなきゃ」という焦りのほうが大きかった。
親に言われた一言がきっかけだった
「お前には公務員か資格職が向いてる」。母親のその一言が決定打だった。恋愛で悩むどころか、当時は「仕事が安定すれば結婚なんて後からついてくる」と本気で思っていた。今思えば、そんな甘い考えが、のちの孤独な日常を生む土台になっていたのかもしれない。
恋愛とは無縁になっていった理由
気がつけば、恋愛とは無縁の生活になっていた。朝は依頼人からの電話で始まり、夜は登記申請の確認や資料作りで終わる。誰かと食事に行く時間もなければ、そもそもその相手もいない。若い頃は「彼女くらいすぐできるだろ」と高をくくっていたが、それどころか、人と出会う場すらなかった。
朝から晩まで書類との戦い
一日中、書類とにらめっこ。登記原因証明情報の表現一つで神経を使い、間違いがあれば補正通知がくる。恋愛どころではない。「恋の駆け引きより、条文の読み解きのほうが簡単だ」なんて冗談を言う余裕すら、最近はなくなってきた。事務所には事務員さんが一人いるけれど、職場で恋なんて発想はない。そういうことを考える余裕がもうない。
誰とも会わずに一日が終わることも
特にオンライン申請が普及してからは、人と顔を合わせる機会が激減した。以前は法務局に行けば、他の先生や補助者と挨拶を交わすこともあったけれど、今ではほぼゼロ。朝から晩まで誰とも話さずに一日が終わる日も少なくない。「あれ、今日は誰とも喋ってないな」と気づいた瞬間、心のどこかがじんわりと冷えていく。
事務員さん以外、声を出す機会がない
電話対応以外で声を出すのは、せいぜい事務員さんとの会話くらい。しかも、業務連絡が中心で、世間話をする時間も空気もない。恋愛の始まりって、たわいもない会話からだったりするけど、今の自分にはその「たわいもない」すらない。恋が芽生える余地が、仕事に押しつぶされている。
職業柄の性格変化が恋愛を遠ざける
この仕事を長くやっていると、どうしても「慎重」で「警戒心が強い」性格になってくる。間違いは許されない、確認は三重、四重が当たり前。そんな思考がプライベートにも染みついてしまい、気軽に誰かと仲良くなることができなくなっていた。
慎重すぎる人間になってしまった
書類の一語一句に神経をすり減らす毎日。誰かに「好き」と言うにも、「本当に今言って大丈夫か?」「誤解を生まないか?」と慎重になりすぎる。恋愛に必要な「勢い」が、自分の中で完全に死んでいる。まるで、契約書を交わさない限り相手に近づけないような、そんな感覚だ。
「間違えてはいけない」が恋にもブレーキ
「間違った登記は訂正できるけど、間違った恋は修正できない」。そんな妙な自論を掲げてしまうくらいには、恋愛に臆病になっていた。昔、少し好意を持ってくれていた女性がいたけど、「もし気まずくなったら取引先にも影響が出るかも…」と勝手にブレーキを踏み、結局なにも起きずに終わった。あれが最後のチャンスだったかもしれない。
出会いのチャンスはどこに
よく「出会いがない」と言うけれど、本当にどこにあるのか分からない。仕事柄、紹介での付き合いが多く、プライベートの人脈は狭い。合コンなんて大学以来行っていないし、そもそも誘われもしない。「恋人欲しい」と口にすれば、なぜか笑われる。そんな年齢になってしまった。
法務局では書類の受け渡しだけ
法務局の窓口に行っても、受け渡しは一瞬。しかも相手は事務的な対応のベテラン職員さんがほとんど。こちらも早く済ませて戻らなきゃと思っているから、ちょっと雑談する余裕すらない。誰かとの出会いどころか、「今日の天気ですね」すら出てこない。こんな職業、恋の入り込む隙間がない。
合コンどころか飲み会にも呼ばれない
同級生の中で司法書士になったのは自分一人。共通の話題も少なく、地元の飲み会にも次第に呼ばれなくなった。「お前、忙しそうだから来ないでしょ?」って、行きたいとも言えなくなる。そもそも、忙しいのは事実だし、急な登記の対応もあるし、心から楽しめる余裕がどこにもない。
相談者に好意を持たれても、動けない自分
たまに、相談に来た女性が好意的な雰囲気を見せることがある。でも、こちらは「仕事」と「プライベート」をきっちり分けなければと自制してしまう。声をかける勇気もなければ、期待を持たせるような行動もできない。そんな不器用さが、また恋愛を遠ざけてしまう。
恋愛より優先してしまう仕事の重さ
そもそも、恋愛をする余裕があるのかと自問することがある。土日も何かしら事務所に寄ってしまうし、時間が空けば申請のチェックや次の案件の準備。恋愛は「余裕」がある人の特権なんじゃないかとさえ思えてくる。
「緊急登記」の連絡がデートを壊す
一度、意を決して誰かとご飯に行ったときのこと。食事中に「至急、明日までに登記お願いします」との連絡が入り、気もそぞろ。結局、話も弾まず、そのまま自然消滅。緊急対応が日常茶飯事のこの業界では、予定を立てること自体がギャンブルだ。
土日も安心できない現実
「平日忙しい分、土日はリフレッシュしたらいいよ」と言われるが、そんなに甘くない。土曜も日曜も、お客さんの都合に合わせて対応せざるを得ないし、法務局の補正対応に追われることもしばしば。スマホをオフにする勇気すらないまま、心がずっと仕事に縛られている。
本当に恋愛できない仕事なのか?
ここまで書いてきて、「本当に職業のせいなのか?」と疑問が湧く。たしかに忙しい。でも、世の中にはもっと忙しい中で結婚して子どもを育てている人もいる。やっぱり、自分の問題なのかもしれない。仕事にかまけて、恋愛から逃げていただけなんじゃないか。
職業のせいにしていないか
「司法書士だから仕方ない」。この言葉を、自分を納得させる免罪符にしてきた。けれど、同業者でも家庭を持っている人はたくさんいるし、恋愛だってしている。そう考えると、自分の消極さや臆病さが、恋愛から遠ざけていた一番の原因なのかもしれない。
自分から動けていないだけなのか
マッチングアプリ、婚活イベント、紹介——世の中にはいくらでも出会いのチャンスはあるのに、「面倒だ」と一歩も踏み出さなかった。仕事を言い訳にして、自分の殻にこもっていた。その結果が、いまの独り暮らしの夜の静けさだ。
もし結婚していたらどうだったか
たまに、ふと考える。「もし、あのとき付き合っていたら」「もし、誰かと家庭を築いていたら」。きっと今とは違う時間の使い方をしていたし、もっと柔らかい感情にも触れられていたかもしれない。そんな「たられば」が、今の寂しさをさらに深める。
愚痴を言える相手がいたら
帰宅して「今日さ、補正出ちゃってさ」と話せる相手がいるだけで、どれだけ心が救われただろう。今は、誰に愚痴ることもできず、ビール片手に天井を見つめてるだけ。吐き出せない不満は、どんどん体に溜まっていく。
仕事のバランス感覚は変わっていたかも
パートナーがいれば、「今日は早めに帰ろう」「仕事を持ち帰るのはやめよう」といったブレーキが効いたかもしれない。けれど今は、止める人がいない。際限なく働いてしまい、気がついたら深夜。そんな生活が、当たり前になってしまった。
恋愛も仕事も、あきらめるには早い
とはいえ、人生まだ終わってない。45歳、確かに若くはない。でも、恋愛も仕事も、これから変えていくことはできる。まずは一歩、自分から動いてみよう。仕事ばかりの人生に、ちょっとだけ風を入れてみてもいいんじゃないか。
いまさらだけどマッチングアプリ登録してみた
「どうせ無理だろう」と思いながらも、こっそりプロフィールを作成。写真は事務所の前で撮ったやつ。興味を持ってくれる人なんているのか不安だったけど、意外にも何件か「いいね」が来た。世の中、捨てたもんじゃない。
気軽なつながりでも、心が少し軽くなる
まだ実際に会ったりはしてないけれど、誰かとメッセージのやり取りをするだけで、なんだか心が軽くなる。誰かに「今日もお疲れさま」と言ってもらえるだけで、生きててよかったと思える。そんな当たり前のぬくもりに、今さらながら気づかされた。